仕事

第7話

朝方。新宿から電車で最寄り駅まで戻ってきて、自宅まで早歩きをしているとこれから通勤通学であろう人々とすれ違う。

川の流れに逆らうように進む私は酒気帯びだが、それでも頭の中は非常にクリアだった。早く家に帰って修也に話すべきことがあるからだ。





『ただいま』

「おかえりー。どうしたの、すんげー息切れして」


早足で帰って玄関を開けると、すぐに修也の姿が目に入った。玄関のそばにあるキッチンの前に立ち、オーブントースターでパンを温めていた。


『珍しく早起きじゃん』

「そーだね。何故か目が覚めた。一緒に朝飯食う?」

『うん、食べる』


私の返事を聞いた修也はスーパーで買ったロールパンを、私の分として2個追加した。自分が朝食の準備をしているからメイクを落としたり着替えたりしな、と言われたので素直に従う。ヒモを極めている彼はこうやって働いて帰ってくる私の代わりにある程度の家事をこなしてくれる。正直、料理は私より美味いと思う。

洗面所で顔を洗い、部屋着を纏って寝室に戻ると、ローテーブルの上にはロールパンと炒めたウインナー、数種類の野菜が入ったコンソメースープが2人分並んでいた。


『めちゃくちゃちゃんとした朝ご飯じゃん』

「まあ、冷蔵庫の残りもの祭りだけどね」

『ありがとう、いただきます』


私は真っ先にスープ皿を手に取り、コンソメスープを口に運んだ。温かくて野菜たっぷりのスープが、花金営業で疲れた体に染み渡る。


『スープ美味すぎ』

「酔い覚ましになった?」

『うん、なった』


そういうと修也は満足そうな顔をして、自分も朝食に手をつけ始めた。


この現代社会、専業主夫になるという道もありなのかもしれない。

でも、それでもやっぱり私は修也に変化をもたらしたい。










『修也、話がある』


朝食を食べ終わって一息ついた頃に、私は思い切って話を切り出した。私が急に改まったように見えたのだろう、修也は怪訝そうな顔をする。


「え、何何?まさか俺ついに追い出されちゃう?」

『これ見てほしいの』


冗談っぽく流そうとする修也を遮り、私はケイちゃんから預かった劇団の公演チラシと資料を修也に渡した。


「何これ?」

『私が働いてるお店に劇団活動してる女優の子がいるんだけど、その公演のチラシデザインをした人が…』




私はケイちゃんから聞いた劇団事情を説明し、当日パンフレットなるもののデザイン画を描いてくれる人を探しているということ、私が絵を描ける知り合いがいるとケイちゃんに言ったんだということを伝えた。

チラシと共に修也に渡した資料は公演の企画書というもので、出演者やスタッフにいつどこで公演が行われるのか、どういう作品なのかなどの概要が書かれているものだ。

修也は私の話を聞きながら企画書に目を通している。


『で、ケイちゃんが言うには修也がどういう作風なのかがわからないから、すぐにお願いとは言えないけど資料渡すからこれを参考に自由に描いてみてほしいんだって。で、それを送って欲しいって』

「ええ…なんか美奈で勝手に話進めてるじゃん…俺やりたいとか一言も言ってないのに」


修也は一見面倒臭そうにしているが、しっかり企画書を最終ページまで捲って見ていることを私は見逃さなかった。

彼は完全に嫌がってる訳ではない。そう思い、私は更に畳み掛けるように話を続けた。


『ねえお願い。ケイちゃんすごく困ってるみたいだったし、普段お店の営業中、唯一私のこと助けてくれる良い子なの。いつも助けて貰ってる分なんとかしてあげたいんだよ』

「すんげー思い入れあるじゃん、ケイちゃんに」

『あるよ!たった1人の同世代の同僚だもん!!ねえマジでお願い』

「んー……描いたやつってデータとかで送るよね多分」

『え?まぁそうだよね…そうするしかないよね』


修也に突っ込まれて私はハッとした。実際にデザイン画を描いたとして、それをどうやってケイちゃんや劇団の人達に提出するというのか。紙に描いて郵送という訳にはいかないだろう。当日パンフレットとして形にするには印刷だってしなくてはならない。ということは絵を描くのは紙やキャンバスにではなく、デジタルな世界でだ。当然だが、そのような作業をこなせるような電子機器は我が家にはない。水商売の女にパソコンなんて不要、スマホがあれば事足りる。

…ということは?私は案件を取ってくるより、まず修也にパソコンかタブレットを買い与えるべきだったのでは?見切り発射で動くとこういう問題にぶち当たることになるのかと、頭を抱えた。とりあえず手頃な値段のものがあるのかネットで検索しなくては…


「あー、あったあった!」


私が1人でパニックに陥っている間に自分の荷物を漁っていた修也が何かを見つけたのか声を上げた。彼の手にはタブレット端末がある。


『え、修也そんなの持ってたの?』

「そりゃ持ってるでしょ。美大生は大体持ってるよ」

『だって修也専攻は油絵って』

「いやいや、パソコンで絵描いたりする授業もあるよ。あ、やべ。やっぱアップデートしないとダメか」


修也はタブレット端末を充電しながら起動させる。長らく使っていないからか、最新の状態にするべく更新が必要らしい。うちはインターネットが使えるのかと聞かれたのでアパートが契約している無料のインターネットは使えると答えると、ちょっと考え込んでから日中なら大丈夫かと言って色々作業し始めた。


「あー、終わるまで結構時間かかりそうだなー」

『修也…デザイン画引き受けてくれるの?』

「うんいいよ、やるよ。美奈がマジでお願いって言うから。どうせ暇だし」



不服そうなニュアンスだが、タブレットを更新している間にずっと劇団の企画書をじっくりと読み込んでいる。その目は数日前のあの時と同じように生き生きと輝いて見えた。

ペンある?と聞かれたので、すぐに私物を探ってボールペンを手渡した。企画書を何度も読み込み、黙って考え込む。そして時折余白になにかの構図なのだろうか、サラサラとペンを走らせている。


私は絵のことが全くわからない。わからないけど、今私の目の前にいるのは女に食わせてもらう生き方を極めたほぼ無職のクズ男ではなく、他とは違う知的で特別な男だということは断言出来る。

そしてもう一つ断言出来ること。今この瞬間、私は情があって手放せないから修也のそばにいるんじゃない。

心底惚れていて、目が離せないから修也のそばにいるのだ。

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