とある新宿の風景から case.1

nako.

とある新宿の風景から

第1話

新宿駅の改札を出て、早歩きで東口に出る階段を登っていく。

昨日買ったばかりの靴だからか、まだ慣れてなくて爪先が痛い。

これ、靴擦れ確定だな…店着いたら絆創膏貼ろ。


待ち合わせをしている人や、群がって馬鹿騒ぎしている人をすり抜けて歌舞伎町方面へ歩いていく。


「おねーさん、どこ行くの?」

「おねーさん、キャバクラやらない?」


途中、キャッチらしき男が声をかけてきた。

この界隈で私に声かけてくるとは…さては新人くんかな?


『大丈夫でーす、もうやってます』


そう吐き捨てた頃にちょうど店があるビルにたどり着いて、合ってない靴でさらに階段を登っていく。

なんでうちの店2階なんだよ…しかもエレベーターで行けないし…




「あっ、美奈さんおはよーございまーす」

「おっ、チーママ今出勤?」

『誰がチーママや!!』


店に入るとカウンターには常連客のぐっさんとタローさんのコンビ、少し離れたところに神田のジジイがポツンと1人いるだけ。

…え、お客さん3人?カウンター内にはキャストの女の子が5人…いやいや、2人余るはずなんですけど。


『ちょっと、下誰も立ってないから混んでるかと思ったじゃん。誰か立っとかないとヤスさんに怒られるよ?』

「だってぇ、ドリンク頂いちゃったんですぅ〜」


アニメ声の女子大生、まりんが甘ったれた声で言い訳してくる。こいつ…やりよったな。


「まぁまぁ、美奈。俺らが引き止めてご馳走したんだからあんまり怒らないであげて?」

「さすが、チーママはしっかりしてんな!!」


誰にでも優しいタローさんがまりんを庇い、調子のいいぐっさんがまた私にチーママ弄りをしてきた。

最悪…折角一息ついて営業連絡でもしようと思ったのに。来て早々私がプラカード持ちじゃん…足痛いのに。


『もう…とりあえず私が下立つから!時間来たら誰か交代で降りてきてよ!?』


そう言ってさっさとプラカードを持って外に出ようとする私に「はーい」と間抜けな返事をする若いキャストの子たち。

おまけにいつも私に嫌味を言う神田のジジイが鼻で笑ってきた。


「美奈が下に立ったらこの店熟女バーだって勘違いされるんじゃねえか?」

『誰が熟女やっ!!』

「神田さん、それはひどいですよぉ〜。美奈さんまだ26なんですよ??」


おいコラ、まりん。それフォローになってないから。


『大丈夫で〜す。大人の魅力で紳士なお客さん捕まえてきまーす!!』


うるせぇジジイ。いっつもいっつもいい歳して20代後半の女は終わってるとか得意げに言ってんじゃねえよ。

控え目に言ってマジでキモいし、女の子達からもウザがられてますからっー!!


…なんてことをストレートに言えるわけもない。

ぐっと堪えて私は来たばかりの店のドアを開け、再び外へ出た。




新宿歌舞伎町。私はこの大繁華街の中にあるガールズバーで、夜から朝にかけて働いている。

といっても、最初から水商売にズブズブだったわけじゃない。


地元の関西から出てきて、美容師になるため専門学校に通った。

卒業後はとある美容室に就職したけど、仕事がハードなわりに給料が安過ぎることに衝撃を受けた。この店で働き始めたのも元々はお小遣い稼ぎだった。

しばらくして美容室の人間関係に疲れてしまい、私は美容師を辞め、ガールズバーのキャストが本職になった。

こんなはずじゃなかったんだけどなぁ、という思いが時々頭をよぎる。でもそんなものはいつも慌ただしさと五月蝿い騒音に掻き消される。



「おえぇぇ…」

「きったねぇ、お前ゲロってんじゃねぇよ!!」


「お前、ふざけんなよ!ぼったくりじゃねぇかよ」

「お客さん、人が見てますから…」


悪ノリしている大学生の集団、飲食店の店先で揉めている客と店員、その他怪しい客引きをしている外国人や、どう見てもカタギではないスーツ姿の人影…

これらの風景は私にとっては日常で、特に何も思うことなんてない。

何でもない風景をぼんやり眺めながら、私はプラカード持ちをしていた。


「あ、美奈さんお疲れ様です」

『ああどうも、お疲れ様です』


隣のビルにある焼肉屋の店長さんが私に声をかけてきた。

ここは深夜から早朝にかけても営業している焼肉店だから、仕事を早上がりした日や、仲の良いお客さんとの同伴またはアフターでよく利用させてもらっている。

まぁ“この界隈”の付き合いっていうやつだ。


「ヤスさんってもう来てます?」

『まだです。いつも通り遅出ですよ…』

「やっぱそうかぁ。今日昼近くまでウチにいましたからねぇ」

『またですかぁ?おかげで私、チーママ状態ですよ!最近はお客さんにもそう弄られてるし…まぁ古株なんで仕方ないですけど』

「きっと頼りにされてるんですよ〜、美奈さんしっかり者だから」


会話の中に出てきた“ヤスさん”というのはうちのガールズバーの店長のことだ。

ヤスさんは元キャバクラの黒服で、独立してこの店を作った40手前の男性。

私と同様、しょっちゅうこの界隈での付き合いのため、店を閉めた後に飲食店で飲み歩いている。

だからか、開店時間にヤスさんが店にいることは少ない。早出のキャストが郵便受けに入っている鍵で店を開けている。

そんなわけでヤスさんが出勤するまでは、キャストの中でも古株で最年長の私が仕方なく店を仕切っているのだ。

これがチーママ弄りを受ける理由。


『どうせならチーママ手当欲しいですけどね…他の若手キャストと時給一緒ですよ、私』

「あはは…それじゃあ、ヤスさん来たら昨日もありがとうございましたって伝えておいてくださいね」


そう言って焼肉屋の店長さんは自分の店に引っ込んでいった。

彼だけではなく、こうやって店先でプラカード持ちをしていると色んな人に挨拶されたり話しかけられたりする。

飲食店の人はもちろん、同業系や風俗系まで…あ、たまにカタギではない“そっち”系の人からも。さすがに“そっち”系の人に声をかけられた時は緊張するけど。

この界隈歴も長くなると、それなりに認知されてしまうのだ。だから私が出勤時にキャッチで近づいて来た男は、きっと新人くんなんだろうな…と思ったのだ。


正直、私は自分がすっかりこの界隈の住人になってしまっていることに対して、複雑な感情を抱いていた。

そもそも自分に水商売は向いてないと思っている。小遣い稼ぎのナイトワークの中でも何故ガールズバーを選んだのかというと、クラブやキャバクラは自分では無理だと思ったからだ。


元々接客業をやっていたから、それなりに“お客さん”とコミュニケーションをとるスキルはあると思っている。

でも、こういう仕事では少なからず彼らに疑似恋愛をさせなくてはやっていけない。クラブやキャバクラはガールズバーに比べて単価が高い分、余計にその要素が求められる。

彼らをうまいことその気にさせるような営業を出来る自信が私にはなかった。加えてクラブやキャバクラは店によってはノルマだってあるし。

そんな消去法でガールズバーを選んだのだが、それでも初心者の頃はどうすればいいのかと悪戦苦闘した。

悪戦苦闘した結果、同じ時期から働いていた人気者のキャストを持ち上げ、弄られ役に徹することにした。客からの弄りに対しては関西出身ということを生かして明るくノリツッコミをしてみせた。そうやって私は“友達系弄られキャラ”という自分を確立させたのだ。


そうしているうちにヤスさんが私に店のことを任せるようになっていったのだった。

ガールズバーといえど、売り上げを出せるキャストなのかどうかということはわりとシビアに判断される。

例えば希望シフトを出しても、集客が出来ない子やお客さんからドリンクを貰えない子はシフトカットの対象になるし、あまりにも適正がないような子は最悪クビにもなる。

自分目当てで来る客を獲得するのが難しかった私は、すすんで人気者キャストのサポート役を勝って出ていた。

だから自分が不在時に店を任せる人材として適任だとヤスさんは思ったのだろう。

こうして私は人気者キャストじゃなくてもこの店に必要とされる存在となった。美容師を辞めてこの仕事一本にしようと踏ん切りがついたのも、何とかやっていけると確信が持てたからだ。


でも、確かにやっていけてるけど…私はいつまでこの店で働いていられるのだろう。

私が入った頃にいたキャストは、私以外誰も残っていない。当時私がサポートについていた人気者キャストの子はこの店で自信をつけたのか六本木のキャバクラに移ると言って辞めていったし、客だった男との間に子供が出来て店を去った子もいる。その他ヤスさんと揉めたとか実家に帰るとか様々な理由でみんないなくなってしまった。

彼女たちが今どのように過ごしているのかは知らない。源氏名しか知らない、連絡先もわからない人だっているのだから店を辞めてしまえば当然疎遠になる。

私以外のキャストは全て入れ替わり、今はヤスさんの好みなのか圧倒的な女子大生率だ。正直話についていけない時もある。

悔しいけど、神田のジジイに言われたことは間違っていない。“ガールズバー”を謳っているこの店に私はあと何年いられるのだろう…将来が不安になる前に昼職に戻った方がいいような気がする。

というか、何でうちの店ってこんな女子大生率高いの?中には実家住まいの子もいるけど、親は水商売のバイトを了承してるの?私だって最初の頃は実家の親には居酒屋って嘘ついてたよ?やっぱ東京って怖いなぁ…。


「お疲れっすー」

『あ、お疲れ様です』


頭の中の回想が脱線し始めた頃。髪はボサボサ、シャツもだらしなく上2つボタンを開けたヤスさんに声をかけられた。

…うーん、絶対シャワー浴びずに来たな。若干酒の匂い残ってるし。店長なんだからもうちょっと清潔感大事にして欲しい。


「店混んでる?」

『全然です。今3組だけ。しかもみんなフリーの常連』

「まぁー給料日前だからな。引き続き客引きよろしく」


そう言ってヤスさんは大きな足跡を立てて階段を登っていき、店内に消えていった。

ヤスさんは若いキャストに甘い。これがもし客数が同じで私が店内にいたら「何で3組だけなの?ちゃんと営業連絡してる?」と言ってくるに違いない。

まぁ若い子の方が需要あるから仕方ないけどさ…。

あーあ、もしかしたら自分が思ってるより潮時って早くくるのかもなぁ…。









「こんばんは〜、ガールズバーっすか?」

『はい、そーです』


スーツ姿のサラリーマンらしき男性2人組に声をかけられ、私は切り替えて明るい声色で返事をした。

よかった、ネガティブ思考に毒される前に声かけられて。


「おねーさんより若い子いますか?」

「中村さん!その言い方は彼女に失礼じゃないですか…」

「え〜、ジョンちゃんだって若い子と話す方が良くない?」


おそらく会社の先輩後輩かな、中村と呼ばれてる遊び慣れしてる感じの男が先輩で、“ジョンちゃん”の方が後輩で草食系…と。

大丈夫ですよ、ジョンちゃん。言われ慣れてますから。


『是非どーぞ!うちJD率めっちゃ高いんで!!私が最年長なんで、店内にいる子みんな私より若いです!』

「まーじでー?んじゃ入ろうっかな?つーかおねーさんって売れ残り?」

「ちょっと、中村さん!!」

『あはは〜、みたいなもんですかね〜。あ、でも店内には空いてる子他にもいるんでちゃんと若い子も付けられますよ』


中村先輩の失礼な物言いは軽く流し、私は2人を店内に案内した。

これで一応1対1で女の子つく状態にはなるから問題ないでしょ。

やっと店内に戻れる…おしぼり渡して1杯目のオーダー聞いたら、とりあえずは靴擦れの箇所に絆創膏貼りたいかな。

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