自動販売機

 他に誰も車を停めていない田舎の駐車場で、一人の男が自動販売機の前に立っていた。

 男はとても苛立った様子で、百六十円する缶ボトル入りホットコーヒーの購入ボタンを、今すぐ壊してしまおうかと言わんばかりに強く連打している。続けて彼は自動販売機の返却レバーを引く。何度も、何度も。


 賢明な読者諸君みなさまなら既にお気付きのことだろうが、男が先程入れた千円札は――それもピン札の北里柴三郎――、この紅い自動販売機に飲み込まれたままなのだ。勿論、商品は出てきていない。


 男は数分ほど腕を組んだあと、何かしら閃いた様子で自動販売機の前に屈んだ。商品取り出し口のカバーを開き、腕をぐいっと突っ込む。

 まるで世の童貞たちにとって未知である空間をまさぐるような、テクニカルで助平すけべえな腕だ。

 おそらく彼は失われた北里柴三郎の仇を討つべく、自力救済を試みているに違いない。


 ――駐車場に隣接する道路を一台の車が駆け抜ける。


 車の音に気がついたのか、男はビクンと体を震わせてから商品取り出し口に突っ込んでいた破廉恥はれんちな腕を引っこ抜いた。そして何事もなかったかのように誰も聞いていない口笛を吹く。


 結局、男は車が去ったあとも北里柴三郎の仇を討つ様な真似に戻ることはなかった。筆者は安心している。作品の中で、彼のような純粋ピュアな心の持ち主が卑劣な犯罪行為に手を染めてしまわなかったことを。


 暫く辺りを見渡して、大きく深呼吸をした男はポケットからスマートフォンを取り出した。自動販売機に貼り付けてある管理会社の電話番号を見つけると、発信画面にその電話番号を打ち込む。

 スピーカー通話での発信ボタンを押すと、男はもう片方の手を腰に当て、管理会社のコールセンターに電話がつながるのを待った。


『お待たせ致しました。カクヨム商事お客様問い合わせセンターの藤森と申します。どのようなご用件でしょうか?』


 スマートフォンのスピーカーからは、二十代半ばといったところか、透き通っていながらも堂々とした女性の声がする。クレーマー客に舐められないため訓練されているのだろう。彼女の声色に怯えた様子は一切見受けられない。


「ああ、カクヨム商事さんですか? えっとね、おたくの管理してる自販機なんですけど、角川カドカワ薬局の所にあるやつ。千円札を入れたら商品は出てこないしお金も返ってこないんですよ。どうしてくれるんですか!」


 男は怒鳴り慣れていないのだろうか、少しだけ震えたマーモットのような可愛らしい声で威圧を掛けた。スマートフォンを握る手はぷるぷると震えている。


『自動販売機の故障ということでしょうか? それは誠に申し訳ございませんでした。それでは、失礼いたします』


 ――がちゃり。


 男の握り締めたスマートフォンの画面には、無情にも通話終了という画面だけが表示されていた。


「ファ!?」


 すかさず掛け直す。


『お待たせ致しました。カクヨム商事お客様問い合わせセンターの藤森と申します。どのようなご用件でしょうか?』


 この藤森という女は、相変わらず堂々とした声で応答していた。


「さっき電話した者なんですけどね。急に切られたら困りますよ! 返金とか、商品を直接持ってくるとか、なんとかしてくれないと。こっちは千円無くなってるんですよ! 千円!」


『先程の対応についてのご意見ですね。先程は大変申し訳ございませんでした。以後気をつけますので。それでは、失礼いたします』


 ――がちゃり。


 男の次の言葉を待たずして、またもや彼女は無慈悲に通話を終了した。通話終了とだけ表示されるスマートフォンの画面をスリープ状態にし、男は空に向かって大砲を飛び出させるかのような大声を放つ。

 叫び声は村一番のトラクター運転手・斎藤さんの頭上を通り抜け、北北西の空、遥か彼方へと消えていった。


「流石にこれはおかしいって! 社員教育が問題なのか、あの女がやべえのか分からんけど! 分からんけど!」


 気を取り直した男は再びスマートフォンのスリープを解除し、カクヨム商事へリダイヤルをする。


『お待たせ致しました。カクヨム商事お客様問い合わせセンターの藤森と申します。どのようなご用件でしょうか?』


「もう三回目だし、どうせ発信者の番号くらい見えてるだろうから分かるだろ? 良くその態度で対応できるな。とりあえずあんたじゃ話にならんから、責任者に変われ。もしくはあんたの上司でも良い。話が通じるやつに変わってくれ」


『責任者ですね。かしこまりました。今、担当の者にお繋ぎします』


 小さなプッシュ音のあとに小学生が吹いたような、ぎこちないリコーダー風の保留音が流れる。――曲はオーラリーだった。


『お電話代わりました。カスタマーサポート部・部長の高柳たかやなぎです』

「やっと話が出来るやつが来たよ。とりあえずだけどさ――」


『――それでは、失礼いたします』


 ――がちゃり。


「おいいいいぃぃぃぃぃいいいい!?」


 男の絶叫は当然カクヨム商事に届く事もなく、先程までトラクターを運転していた県内有数のダイコン農家・斎藤さんの軽トラから爆音で流れる野球実況に混じり、北北西の空へと溶けていった。


 もう一度リダイヤルボタンをタップしようとしていた男は、このままではらちが明かないと気が付いたのか、少しだけ考え込むような仕草をした。


 すると真っ昼間だというのに、突如、駐車場は真っ暗闇となり、眩しいスポットライトが男を照らす。


 額に中指をあて、両目をパチクリとさせながら誰も居ない駐車場で彼の推理ショーが始まった。


「えぇ、今回の電話で判ったのは、あの会社が明らかにおかしいということです。藤森という女性も彼女の上司も、一度目に言われたことにしか対応できていませんね。つまり、つまりです。カクヨム商事から千円を返金してもらう為には、細かい説明を極力省き、要件を伝えきる必要があるんです。……あとはもう、皆様、お分かりですね? ふっふっふ……。カドカワ任三郎でした」


 ――――暗転終わり・スポットライトOFF――――


 長台詞を喋り終え、一呼吸をした男は再度、リダイヤルボタンへ指を伸ばした。


「目的は返金対応のみであり、要件は短く。自動販売機の連絡先に事務所の住所も記載されている」


 呼び出し音が鳴っている間、男はぶつぶつと呪文を唱えるように一つ一つ話す内容を確認していた。


『お待たせ致しました。カクヨム商事お客様問い合わせセンターの藤森と申します。どのようなご用件でしょうか?』


 このテンプレートである。筆者もこのセリフをコピー&ペーストする作業に慣れてきたところだ。


「今すぐ〝カネ〟を用意しろ。千円だ。お前のところの自販機が故障している。金はカクヨム商事の駐車場で〝直接〟受け取る。すぐに用意しろ! いいか、キッチリ金を用意するんだ! すぐにだぞ!」


『え……、あ、その……かしこま――』


 藤森の返事を聞かず、男は通話終了ボタンをタップした。


「客より先に受話器をおろす会社があってたまるかっつうの! ばーかばーか!」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、男は自動車へ乗り込みエンジン始動ボタンを押す。V8ブイはちエンジンの軽快なサウンドが駐車場に響き渡る。因みにトランスミッションはATオートマだ。

 車内では激しいユーロビートの曲が掛かり、響く重低音が男の心と共に踊りだす。


 白いフルエアロの型落ち高級セダンはユーロビートの重低音を心臓のように弾ませながら国道を突っ走る。


 しかし、彼は最後まで気付くことが出来なかった。

 カクヨム商事の駐車場には既に、複数台のパトカーと、武装した警察官ががっつりとスタンバイしているということに……。


――END No. 4 『切り取られた悪意』――

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掌の中の世界 あああああ @agoa5aaaaa

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