日本の話芸「落語」は、昔から、現実より離れた物語を面白く語ってきた実績を持ちます。
時には恐ろしい話もあります。しかし噺家が人づてに聞いた話を語る、それもお笑いに包むという構造を設けることで、聴者は直接的な打撃を避けつつ情景の本質を咀嚼できます。
本作はホラーです。軽妙な語りに耳を傾けるうちに、恐ろしい結末に導かれていたことに気づきます。その時には引き返せません。お後がよろしいようで。
でも、どこか憎めないのは、噺家が自虐している、つまり語り手が、自分は人様をとやかく言えるほど偉くないと理解しているからです。断罪しません。まぁ、そんな話もあるでしょうな、痛いところをつつきやしませんと、分別をわきまえて語るからです。
人は、強欲で、そのくせ弱虫で、どうしようもありません。しかし語り手も人の子です。
人のありのままを受け入れる、落語の美点を味わえる一作です。
語りは小説の命です。そこの語り口一つによって話の雰囲気がガラリと変わり、読む人がニコニコしながら読むか、それともゾワっと戦慄しながら読むかの違いが出てくるものです。
この『みぎてだけ』は、その点でとっても語りが上手い。まず落語調という形で、噺家が一つの『怪異譚』を語るという形式になっています。
とあるアパート。そこに住みついた男が、壁からある『奇妙なもの』が生えているのに気づく。最初は汚らしいと思って駆除していたが、それはだんだん『一つの形』となって成長していく。
場合によっては不気味なエピソードとなりそうな設定ですが、語りも軽妙な上、主人公もどこかとぼけた雰囲気で憎めない。
そんな彼が、壁から出てきた『存在』に対して、ある感情を抱き始める。
それが妙に切ないやら、ちょっと可笑しいやら、それでいて少しゾワゾワくるような感じもして、どういう方向へ話が転がって行くのだろうと、読者としてはぐいぐいと先を読まされることになります。
語り口とキャラクターの個性によって、どんなオチに向かって行っても不思議ではない、絶妙な味わいを作り出しています。
とても巧みで、そして面白い小説でした。是非ともこの一席、味わってみてはいかがでしょう。