マユミの彼氏

 定時に仕事を終えた俺は、華金はなきんなどお構いなしに、家路へ向かう電車の中に居た。

 此処が、そこそこの田舎で良かった。店はあっても電車は混まない。帰ったらメシでも食ってネトゲでもして、……えっと、土日は何をしようか。

 そんな事をずっと考えながら座っていると、鳥のような花のような、きらきらとした話し声が耳に入る。

 対面の座席からだ。そこには制服に身を包んだ二人組の女子高生が座っていた。化粧か香水か、制汗剤か。桃のような香りがする。

 短めのスカートにも関わらず、大胆に脚を組んでいる彼女らのことを、じろじろと見てしまいたい欲求に必死であがない、俺は正面を向けていた首の角度をぐいっと変えた。

 俺は何も見ていない。太ももになんて興味ございません!

 聞き耳を立てていた訳では無いが、遮る壁もなく垂れ流される二人の会話は1/fエフぶんのいちゆらぎのリズムに揺らされながら、俺の耳へ自然と流れ込むように入ってくる。


「でさー、マユミって年上の彼氏と付き合ってるんだっけ」

「うん。言ってたっけ?」


「こないださ、最近彼氏できたって言ってたじゃん?」

「あ、アキにはそう言えば教えてたね」


 茶髪で髪を片方結んだ娘がアキで、黒髪ロングストレートの娘がマユミというらしい。


「そん時さあ、タイミング悪くていろいろ聞けなかったじゃん? だから今教えてほしい的な? で、どんな人なん?」

「えっとね。イケメンで、性格がめっちゃ良い、……あと実家が結構太いみたい」

「マ? それマ? すごいじゃん。会社やってるとか?」

「会社っていうか、相撲部屋?」

「太いねん、多分それ二つの意味で太いねん!」


 え? 何? 急に関西弁?


「ってか、そんな人どうやって知り合ったの?」

「なんか、しつこくナンパされてたときにさ、助けてもらったんだよね」


 へえ、そういうパターンの出会い、漫画とかの世界だけじゃなかったんだ。


「国技館の前で」

「どこでナンパされてんねん」

「『大丈夫でしたか』って声かけられた時さ、もう運命感じちゃったよね」

「まあ、なんかロマンチックな出会いだよね」

「頭の中でめっちゃ、ベートヴェンの運命流れたし」

「もっといい曲あったでしょ」

「運命の赤い『綱』ってやつ?」

「いや太いんよ。糸で良いんよ! ほんで綱やと結ぶんやろ」


 アキちゃん、めっちゃ早口でツッコむなあ。


「でさ、勇気出してお礼ついでにLINE聞こうと思ったんだけどさ」

「うんうん」

「なんか、たまたまスマホ忘れてたっぽくて」

「タイミング悪いね」

「じゃあIDだけ教えてって言ったら、メモ帳とマッキー取り出して書いてくれた」

「いや太い! それ街中で持ち歩くんテレビのスタッフくらいやろ! 普通のペン持って無いんか!」


「ってかアキ、聞いて聞いて! うち、プロポーズされたも知れん」

「マ? 早くない? ってかウチらまだJKじゃん」


 あ、アキちゃん急にギャルに戻った。


「彼氏がさ? 『こんど、部屋こない?』って言ってたから。それって実質、おかみってことじゃん?」

「いやそれ多分、意味違う! そういうのは、おうちデートしようって意味ね?」

「え? そうなんだ、めっちゃ勘違いしてたし。恥っず!」


「でもマユミすごいじゃん! 結構進んでんじゃん」

「えー、でもおうちデートか、それはそれでちょっと怖いってゆーか?」

「どしたん?」

「うちさー、男の人の部屋って行くのぶっちゃけ初めてなんよね」

「あー、マユミなんやかんやでお嬢だもんね」


 お嬢なんだ。確かにギャルっぽい友達と一緒に居なかったら、マユミちゃん、お嬢っぽくは見える。


「緊張するから、アキさ、練習付き合ってよ」

「え? どゆこと?」

「アキがさ、ハクちゃんになりきっておうちデートのシミュレーションするみたいな」

「ここで!?」

「うん、ここで」

「ってかハクちゃんって誰?」


 それな。


「ああ、ウチの彼氏ね。白剛力関はくごうりきぜき

「そういや関取だったね」

「じゃ、始めるよ? 部屋に入るところからね。……カランコロンカラーン」

「いやそれ、漫才コントで芸人が喫茶店に入るときにしか使わんやつ!」


 なんか始まった。


「材料買ってきたから、ごはん作ったげるね! ちな、おでん!」

「おでんかあ、良いね、俺おでん大好きなんだよ」


 あ、ちゃんとノるんだ。アキちゃん男声ちょっと上手いな。


「うちの好きな具材いっぱい入れちゃって良い?」

「いいよ! マユミの好きな具材、俺も知りたいしさ」

「えっとね、ロールキャベツと、にんじんと、じゃがいもと、ウインナーと、あとカブ」

「もうそれはポトフなんよ! 絶対コンソメ入れるでしょ! もうポトフなんよ!」

「ポトフじゃないってば、お出汁だしもちゃんとこだわるんだから」

「ああそうなの? えっと、あー、あー。それは楽しみだなあマユミちゃん」


 なにこれM-1? キングオブコント?


「まずは昆布っしょ? そしてカツオぶしっしょ?」

「お、いいねいいね。おでんっぽいよ」

「更にちょっとだけ煮干しとトビウオを入れるのがポイントなんよ」

「けっこう本格的じゃん」

「そして極めつけはクミンとコリアンダーとターメリックね」

「それカレーなんよ! それ入れたら元が何でもカレーなんよ!」


「じゃあ、おでんも出来たし、うちこれ全部食べるね」

「もうおでんじゃないじゃん! ……ってか、え? 俺のじゃないんだ」

「え? だってハクちゃん、カロリーメイト半分も食べらんないじゃん」

「いやいや食は細いんかい! もうええわ」

「「どうもありがとうございました!」」


 二人組の女子高生は元気に挨拶し、立ち上がってお辞儀をした。呆気にとられている俺の眼の前に、マユミちゃんが近寄ってくる。


「お兄さん、ウチら今年からM-1出るし、応援してね」


 黄鶲キビタキのような澄んだ声に耳打ちをされた俺が、高鳴る胸の鼓動と闘っているうちに、彼女らは桃のような香りだけを残して電車を降りていった。


 推せる。

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