人助け

 夕方の薄暮はくぼが街を包み込む中、青年は歩道橋に差しかかる。昇りかけた階段の途中で、彼は一人の老婆が階段に腰を下ろしているのを見つけた。通行の邪魔になるというほどではないが、老婆は疲れ切った様子で、微動だにしていない。


 老婆のかたわらには、一つの荷袋が無造作に置かれていた。中身の重さに耐えかねたのだろうか、持ち手の付け根は伸び切っていて、くたびれたように見える。


 青年は少しの迷いもなく階段を下り、老婆に声をかけた。


「お母さん、大丈夫ですか?」


 老婆は顔を上げ、柔らかな笑みを浮かべる。細かな皺がその顔に刻まれているが、笑顔は穏やかだ。


「ええ、大丈夫ですよ。少し疲れちゃって、休んでいるだけですから」


 青年は一瞬納得しかけたが、老婆の疲れた表情が気にかかり、もう一度提案した。


「よかったら、歩道橋の反対側まで私が背負ってお送りしましょう」


 老婆は驚いたように青年を見つめた後、申し訳なさそうにかぶりを振った。


「いえいえ、本当に大丈夫ですから」


 老婆の断りに、青年は軽く肩をすくめると笑顔を浮かべ、「いいからいいから、このくらいお手伝いさせてくださいよ」と言うなり、しゃがみ込んで老婆の足首をつかむと、ひょいと軽々、彼女の体を背に担ぎ上げた。


「わあっ!」


 突然の浮揚感に驚いた老婆が声を上げる。青年は笑いながら片手でひょい、と荷袋を拾い上げると、そのまま階段を昇り始めた。


「大丈夫ですよ、お母さん。私はこう見えて、現場仕事で鍛えていますから! この間も、が使えない山道で大きな土のうに詰まった砕石を、何たいも担いで往復していたくらいなんで!」


 青年は自信満々に話しながら、足取り軽く歩道橋を進む。老婆は彼の背中にしがみつき、周囲を見回している。行き交う車の前照灯ヘッドライトが下の通りをジャズ喫茶のステージのようにぼんやりと照らし、街の雑音が遠くで響く中、二人のやり取りは穏やかな夜の一部となっていた。


「とっても力持ちなのね。ありがとう。でも、もう大丈夫だから、降ろして頂戴お兄さん」


 老婆は優しく頼んだが、青年は頑として聞き入れなかった。


「そんなに遠慮をしないでください! お母さん。見返りなんて求めたりしませんから。それより落ちないように、しっかりと捉まっていてくださいね」


 老婆を背負ったまま、青年は軽々と歩道橋の頂上を越え、反対側の階段へと足を向けた。

 秋の冷たい風が、微かに吹き抜ける。――歩道橋に灯る街灯の薄い光が、風に当たってリンゴのように赤らんだ老婆の頬を優しく照らす。

 青年の足取りは終始軽やかで、やがて、無事に歩道橋を降りきり、彼は老婆を背負ったまま歩道橋の下に立ち止まった。


「さあさ、もう着きましたよ、お母さん」


 青年が言うと、老婆はほっとした様子で地面に足をつける。


「あらまあ、あっという間だったわねえ」


 老婆は笑顔を浮かべながら、青年に深くお辞儀をする。青年は彼女に続けて尋ねた。


「もし良かったら、次に向かう先まで私が荷物もお持ちしましょう」


 老婆は再び首を横に振った。


「いいえ、さすがにこれ以上は甘えられないわ。お兄さんも、なにか用事があるでしょう? 私はもう大丈夫だから、ありがとうね。お兄さん」


 青年と老婆は、互いに軽く手を振って別れる。青年はそのまま歩き去り、老婆は歩道橋を見上げた。


「さて、困ったものね」


 老婆の言葉は、夕暮れに沈む空に吸い込まれるように消えた。薄い光に照らされた歩道橋の上に視線を戻し、老婆は深い息をつく。


「せっかく渡り終わったところなのに、また連れ戻されちゃったわ」


 彼女はもう一度、歩道橋の階段をゆっくりと見上げる。そして、何事もなかったかのように歩道橋を昇り始めた。

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