第5話 チノリちゃんとタマシイの秘密
この世界は今、大変な危機に瀕している。
「どうにか、この流れを変えないといけないの」
「澱んでいる、とでも言えばいいのかしらね。魂の性質というか、死後の世界における霊の動きというものが、今は酷く乱れたものになっているの」
「先生。それはやっぱり、『例のもの』が原因なんですか?」
一メートルほど後ろから、助手がおずおずと問いかける。
貴子は振り向かず、こっくりと頷いた。
「この仕事が終わったら、また講演会まわりをしましょう。一人でも多くの人に、今のこの危険な状態を伝えて回らないと」
気が重い仕事だ。多くの出版社がきっと反論し、営業妨害だと非難してくることだろう。
「この世の中には今、さまよえる霊たちが溢れているの。怨霊として現世に留まったり、転生に失敗して妖怪として闊歩するようになったり」
「それが何もかも、『例の本』のせいだって言うんですね?」
「そう。子供たちが大好きな例のもの。子供だけじゃなくて、それなりの年齢の大人でもアレに夢中になっているそうね」
「『異世界転生』の話ですね」
再び、貴子は大きく頷く。
「そう。あのライトノベルだとか漫画なんかで溢れ返っている。アレが全ての元凶だと考えて間違いない」
どうにか、この状況を変えられないものか。
「どう見ても、今の風潮は異常よ。あまりにも多くの人が、『異世界転生』なんていうものを持て囃している。子供たちだけでなく、中高年の中でも『死んで異世界に転生したい』なんて嘯く人間が出てきている」
「それが、問題だと言うんですね」
「間違いないわ。『死後の世界』について、世の中の多くの人たちがおかしな願望を持つようになった。そうする中で魂が変質して、死後はまともに成仏できない霊が出ているの」
本当に、病んでいる。
「今まで成仏させてきた霊たちも、やはり死の直前に願ったみたい。『異世界に転生したい』って。そのせいで天国には行けなくなり、おかしな形で転生したり、世に留まったりしてしまうのよ」
「そういうもの、なんですか」
「あなたには、祖父母はいる? 歳の離れた年齢層の人に、『イセカイモノのラノベを買ってきて』と頼んだとする。ちゃんと、あなたの欲しいものは手に入るかしら」
「無理でしょうね」
「神様だって一緒なの。死の間際に『異世界に転生したい』なんて願いが届けられたら、どうしていいかわからなくなる。だから必死に解釈して、『異界』と思われる禁足地なんかに妖怪として転生させてしまう事態が続いているのよ」
「本当に、厄介な問題なんですね」
まったく、と貴子は首を振る。
「なんで、あんなものが世に溢れているんでしょう。『有害図書』として、一律で発禁にできればいいのに」
だが、経済を動かしてもいる。
「とりあえず行くわよ、清野くん。まずは目の前の仕事を片付けましょう」
おかげで霊能者の仕事が増えている。幽霊が留まっている物件などは数えきれないくらい発生しているし、天狗や河童などの妖怪変化の目撃例まで相次いでいる。
いつまで、こんな事態が続くんだろう。
特に、異世界転生の『スローライフもの』がお気に入り。死んで異世界に転生して、のんびり自然の中で生きられたらいいと常々考えていた。
そんな彼は市民プールで足をつらせて死亡し、死を覚悟した。
どうせ死ぬなら、異世界に転生したい。
彼の願いは叶わなかった。そして彼は、河童になった。
彼は異世界転生もので、『大賢者』が活躍する作品を主に執筆していた。強大な魔法の力で無双し、どんな難敵もあっさりと倒す。そんな小説が大好きだった。
一日にピザを十五枚は食べないと気が済まなかった彼は、ある時に胸の苦しみを感じた。消えゆく意識の中で、彼は異世界で大賢者になりたいと願った。
彼の願いは叶わなかった。そして彼は、天狗になった。
農作業中のトラクターに轢かれた彼は、異世界でハーレムを作りたいと願った。
彼の願いは叶わなかった。そして彼は、のっぺらぼうになった。
お雑煮の餅で喉を詰まらせた彼は、死後に巨人に変身できる力が欲しいと願った。
彼の願いは叶った。そして彼は、ダイダラボッチになった。
彼は死後、未来がわかる能力が手に入り、クダンに転生した。
マリア・ケンブリッジはVチューバーに憧れていた。異世界に転生してVチューバーとなり、自分の日常を事細かに配信してみたいと思っていた。
そんな彼女も成仏できず、メリーさんとなった。
そうだった、と
かつて、自分はたしかに人間だった。異世界もののライトノベルが大好きで、自分が死んだらこういう世界に転生できないかと願っていた。
特に好きだったのは、一見戦闘向きでないような能力を持ちつつも、頭脳でそれを活用し、どんどんのし上がっていくジャンルの話だった。心を読むとか、基本はサポート系の能力で無双なんかできたら面白い。そういう小説を書いてみたこともあった。
覚えている。あの日、コンビニの帰りにトラックに轢かれた。
その瞬間に思ったものだった。『これ、異世界に転生できるんじゃないか?』と。
だが、気づいた時には妖怪になっていた。
サトルの化け物という、心を読む妖怪に。
これはこれで満足だった。自分には力があったから。
でも、やはり理解できない。
『奴』は結局、何者だったのか。
どうして、自分は命を奪われたのか。
「おかしいわね」
万丈目貴子は、暗い廊下で目を細めた。
一番奥まで足を進め、周囲の気配に意識を集中させる。
「この家はたしか、怨霊となった女が出るという話だった。白いコートを着た女の霊が出て、この家に住んでいた人間が心をやられ、自分を口裂け女だと思い込んだそうなの」
「見えないんですか?」
「というより、完全に消滅してるの。誰かが除霊しない限り、あの手の霊が消えることなんてないはずなんだけど」
貴子は天井をぼんやりと見上げ、何度も目をしばたかせる。
「ここで一体、何があったというの?」
その他のスポットも、同じ状態になっていた。
禁足地となっていた森の中には、河童や天狗の他、ダイダラボッチまで出るという報告が出ていた。
しかし、この森の中でも不穏な気配は一切感じない。
市街地にはのっぺらぼうが出るという噂もあったが、同じく姿を見かけなかった。メリーさんに繋がるという電話番号にかけたが、『使われておりません』とメッセージが流れた。
「妖怪たちが、全滅してる?」
「平和になったって、ことですか?」
清野がおずおずと問う。
「わからない。でも、油断はできないでしょうね」
肩を落としつつ、貴子は助手に応えた。
この社会の現状は、今も変わらないままだ。
人々が異世界転生に憧れ続ける限り、『怪異』は今日も生まれ続ける。
横柄な性格が災いして、四十年連れ添った妻には熟年離婚を言い渡された。
親しい友人はおらず、町内会長となった後も近所の人々からは煙たがられ、家々を訪ねていくと露骨に窮屈そうな様子を見せられた。
そんな彼にも、心を動かされた瞬間があった。
ある日、テレビを見ていたら全身に電流が走ったようになった。
「はうあ!」と声を出し、王平は食い入るように画面を見据える。
幼い顔立ちの、メイド服を着た少女。青いショートの髪をして、片目だけが前髪で隠れている。その姿を見た瞬間に、今まで経験したことがない程の胸の高鳴りを覚えた。
彼女は、アニメの中の存在だった。
異世界ファンタジーという、巷で流行しているジャンルの作品に出ているらしい。
ちょうど自分も老い先が短い。このまま死んだら、異世界に転生できるようになるのだろうか。そこで『死に戻り主人公』として何度死んでも蘇り、こんな少女に愛されるのか。
「えいっ」
そんな願望を抱いていた矢先、彼は訪問した家の中で、突如命を奪われた。
意味がわからなかった。
冷たい。ここは一体どこなんだ。
光を求め、王平は必死に両手を動かす。どうやら現在は土の中にいるらしい。かき分けていくと空が見え、がばっと体を起こすことが出来た。
(ここは、森の中?)
周囲には木々があり、まだ夕方くらいの時間だとわかる。
全身から妙な匂いがする。手の平に目を落とすと、体中が腐敗していた。
(これは、『死に戻り』ではないのか?)
どうにか体は動く。だが、筋肉が硬直していて動作が緩慢になっている。
とりあえず、外に出て情報を集めよう。今は西暦何年で、ここはどこなのか。
そう思い、足を踏み出した矢先だった。
「あ!」と甲高い声がする。
振り向いてみると、幼い少女が立っていた。
おかっぱ頭に赤いワンピース。右手には先の尖った木の枝を持っている。
ゾワリ、と全身に寒気が走った。
なんなのか、と記憶を探ろうとした。頭はぼんやりとしているが、そんな中でも激しい恐怖の感情が湧き起こってくる。
「わあ、ゾンビさんだ!」
逃げようと足に力を入れた時だった。子供が歓声を上げる。
テテテ、とすぐ目の前へと駆け寄ってきた。
「ま」と声を出そうとした。しかし、うまく言葉を発せられない。
瞬間、走馬灯が見えた。人間として生きていた時の記憶と、その最後の光景。
たしかにあの時も、最後にこの子供を目にしていた。
「えいっ」
気づいた時には、尖った木の枝が迫ってきていた。
(了)
チノリちゃんのタマシイ観察日記。 黒澤カヌレ @kurocannele
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