第16話 二人

夜になり、そろそろアイザックが僕の部屋を訪れる時間が近づく。

部屋に一人きりになると昼間のノアの言葉が甦り、悶々とした気持ちになってしまう。


(僕とアイザックの関係……。騎士団長と見習い団員が正式な関係になるのか? いや、僕は王族なんだから辺境伯子息と第三王子……)


そこまで考えて、いや違うだろと軽く頭を振る。


ノアが指摘したのは爵位や立場ではなく、僕とアイザックの距離感についてだ。


(友人……が、一番しっくりくるのか?)


アイザックの言葉遣いが素になった辺りから、親しい関係になったのは確かだ。

そして、オーレリアに対する過去の振る舞いを打ち明けると、その距離がさらに近づいた。


今では手ずから菓子を与えられることも、僕の隣にぴったりとくっつくように座ることも、その手が時折優しく僕に触れることにもすっかり慣れてしまっている。


(いや、慣らされてしまった気もするな……)


しかし、ノアからそれは恋人同士がすることだと断言されてしまった。


(でも、アイザックからは何も言われていないし……)


いくら近すぎる距離感を指摘されても、恋人になるような言葉がアイザックの口から出ることはなかったのだ。


その時、扉をノックする音が響き、ドキリと心臓が跳ねる。

冷静さを取り戻すよう軽く深呼吸をしてから扉を開けると、そこにはいつものように笑顔を浮かべるアイザックが立っていた。そして、当たり前のように僕の部屋に入ってくる。


「このバームクーヘンは人気らしいぞ」

「そ、そうか……楽しみだ」  


手に持った紙袋を持ち上げるアイザックに返事をしながら、僕は自身のお腹を手でさする。


「ん? どうした?」

「いや、実は昼間に食べ過ぎてしまって……」


アイザックが来ることを考えて夕食をほとんど食べなかったのだが、この時間になっても満腹感が消えないままだった。


「そういや今日は街へ出かけたんだったな」

「…………」


どうして何も言っていないのに休日の僕の行動を把握しているんだ……。

また馬車の貸し出し記録でも見たんだろうと思いながら、僕は口を開く。


「ああ。ノアと二人でカフェに行って、そこでデザートを……」

「はあ?」


すると、僕の言葉を遮って、アイザックが驚きの声を上げた。


「二人? クライド殿は?」

「クライドは買い物がしたいと言うから別行動で……」


ノアからお礼がしたいと言われてカフェに連れていってもらったこと、そこでデザートを注文し過ぎてしまったことなどを話していく。


「実はカフェに入ったのは生まれて初めてだったんだ!」

「へぇ……」


しかし、僕が楽しそうに話をするのとは対照的に、アイザックの眉間にはシワが寄り、見るからに不機嫌そうな態度になる。


「ど、どうしたんだ……?」

「別に……」


なぜ、カフェに行った話でアイザックが不機嫌になるのか……。


(何か不快になるような話題だったか? あ、僕がデザートを食べ過ぎたせいでバームクーヘンを食べられないから? だったら今からでも食べたほうが……)


ぐるぐると頭の中に様々な理由が浮かび、焦る気持ちが生まれる。

しかし、不機嫌になってしまったアイザックにどう対応すればいいのかが僕には全くわからない。


部屋には重苦しい空気と沈黙が続く。


「はぁ………」


その時、アイザックの大きな溜息が響き、僕はビクリと肩を揺らす。


「悪い。今日はもう部屋に戻る」

「え?」


そんなことを言われたのは初めてだった。

いつもは僕がさっさと部屋へ戻れと言っても笑って受け流し、消灯時間ギリギリまで居座っているのに……。


くるりと僕に背を向けたアイザックに、何か言わなければと焦った僕の口から、思った以上に大きな声が出る。


「あ、アイザック! これを受け取ってくれ!」


そう言いながら、慌てて手にした紙袋をアイザックに差し出した。


それはアイザックに渡そうとサイドテーブルの上に置いていたクッキーの入った紙袋。

部屋を出ていこうとするアイザックを引き留めたくて、咄嗟とっさに出た行動がこれだった。


「何……これ?」

「あの、今日行ったカフェで売っていたんだ。甘いのが苦手でも食べられるって書いてあって、それで……」


アイザックの抑揚のない冷たい声にじわりと涙が浮かび、必死になって言葉を続ける。


すると、僕の手からひょいと紙袋を受け取るアイザック。

そして、中をごそごそと確認している。


「なあ、これって誰が買ったの?」

「ぼ、僕が……」

「誰かに買うように言われた?」

「いや、自分で……オーレリアへの謝罪に付き合ってくれた礼をしたいと……」

「ふーん……」


そう言うと、アイザックの口元がニヤリと笑みの形を作る。


「別の男とカフェに行ったのに俺のこと考えてたんだ?」

「え?」


アイザックの纏う空気がガラリと変わった。


「なあ、カフェで食べさせてもらったりした?」

「まさか……! あんなことをするのはお前くらいで……」

「だよなぁ。あんなことをするのは俺とだけにしような?」


そこには、先程の不機嫌さなんてなかったかのように、不敵な笑みを浮かべるアイザックが……。


「せっかくだから食べさせてもらおっかな」


そう言って、今度は僕の横をすり抜けてベッドへ向かう。


(な、何なんだ……?)


僕の話を聞いて機嫌が悪くなったのに、クッキーを渡すと途端に上機嫌になってしまった。

あまりに激しい感情の落差に全く付いていけない。


「早く来いよ」

「ああ………」


頭は混乱していたが、ベッドに座るアイザックの隣に言われるがまま腰掛ける。


「はい、サミュエルが食べさせて」

「は?」

「いつも俺が食べさせてやってんだから、たまにはいいだろ?」


そもそも、食べさせてほしいと僕から頼んだことはなかったはずなのだが……。

それでも、先程のように不機嫌になられるよりかはいいと思い、押し付けられたクッキーの包み紙を開く。


「じゃあ、口を開けて……」


僕はクッキーを一つ摘み、その大きく開かれた口の中へ放り込む。

すると、そんな僕の手首をアイザックの手ががっしりと掴んだ。


「え?」


そのままクッキーを咀嚼し、しっかり飲み込んだのが喉仏の動きでわかる。

そして、再び口を大きく開けたアイザックは、手首を掴んだまま僕の指を二本ぱくりと咥えた。


「うわっ! 何を……」


アイザックの分厚い舌が僕の指をねっとりと舐め上げ、その生温い感触にゾクゾクと背筋が震える。

そんな僕を上目遣いで見つめるアイザックの瞳は熱を孕んでいるようで……。


「あ、アイザック……?」


戸惑いながら名前を呼ぶと、何かを堪えるような表情をしたアイザックが、ようやく僕の指を口から引き抜いた。


「なんてことをするんだ!?」

「サミュエルが俺の指を舐めたことだってあるだろ?」


慌てて距離を取って抗議をする僕に、アイザックはしれっと答える。


「あれはお前が勝手に僕の口に指を突っ込むから! そもそも僕に触ったり指を舐めたり……何なんだ!?」


半ばパニックになりながらも、これまで疑問に思っていたことをぶち撒けた。


「なんでだと思う?」

「えっ………」


逆に聞き返され、僕は言葉に詰まってしまう。


すると、腰を浮かせたアイザックが、離れた分の距離を詰めてきた。

すでにベッドの端まで移動していた僕に逃げ場はない。


「なあ、どうして俺がこんなことをするんだと思う?」

「それは……友人だから?」

「ははっ! 友達にこんなことはしないだろ」


そう言って、アイザックの紫の瞳が射抜くように僕を見つめる。


「あんたが好きだからだよ」

「………っ!」


あまりにも真っ直ぐなその言葉と視線に、僕は目を見開いたまま固まった。


「言っとくけど、オトモダチとして好きなわけじゃないからな。あんたと恋人になりたいって意味だ」

「こ、恋人……?」

「そう。サミュエルと恋人になりたい」


ごくりと喉を鳴らすと、アイザックの右手が僕の頭に伸びてくる。


「どうして……?」

「ん?」

「僕が……美しいからか?」

「まあ外見も好みのタイプだけどな。コロコロと変わる表情とか、空回りしながらも一生懸命なところとか、あんたが何をしてても可愛いなって思うんだよ」


優しく僕の頭を撫でながら、アイザックは目を細めて僕に笑いかけた。


(あ………!)


そんなアイザックの表情に見覚えがあった。

あれは卒業パーティーで、シリルに婚約を申し込まれた時にオーレリアが見せた、いとしい人を見つめる眼差しと同じで……。


(アイザックが僕を……?)


途端に心臓がバクバクと早鐘を打ち始める。


「なあ、返事は?」

「返事……」

「サミュエルは俺のことをどう思ってる?」


ぐいぐいと畳み掛けるアイザックに、僕はだった頭で懸命に考える。


「わ、わからない……」


だが、口から出たのはなんとも頼りない言葉だった。


しかし、アイザックはクスッと小さく笑うと、僕の頭を撫でていた手をするりと左耳へ移動し、そのまま指の腹で僕の耳をゆっくりさすり始めた。


「じゃあ、俺に触られるのはどう? 嫌じゃない?」

「それは……嫌じゃない」


先程のようにギラギラした目で見られるのは少し怖いが、アイザックに優しく触れられるのはきらいではなかった。


「なら、今はそれでいい。返事は待つから……」


アイザックは僕を見つめながら、今度は手の甲で僕の頬を辿るようにするりと撫でる。


「これからは俺のことを考えて」


僕はただ熱に浮かされたまま、無言でこくこくと頷いたのだった。

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