第22話 王都
(まさか、こんなにも早く戻ることになるとは……)
未だに信じられない気持ちのまま、馬車の窓から外を眺める。
そこに見えるのは懐かしい王都の街並みだ。
ことの発端は、販売したスキンケアアイテムが売れに売れ、それに伴って開発者が僕であると王都中に広がってしまったこと。
そして時を同じくした頃、僕の元婚約者であったオーレリアがこのスキンケアアイテムを愛用しているという噂が出回る。
まあ、どちらも事実なのだが……。
問題は、この噂によって『オーレリアがサミュエルを
つまり、僕の婚約破棄事件が水に流され、追放された先で新たに事業を立ち上げた王子として好意的に受け止められ始めたのだ。
もちろん、評判が悪いよりかは良いほうが嬉しいし、僕のせいでスキンケアアイテムが売れないよりかは売れたほうがいいと思う。
(だけど、追放されて一年も経たないうちに王都に呼び戻されるとは思いもしなかったな……)
僕の異母兄である第一王子アルフレッドの立太子を祝うための夜会、その招待状が僕宛に届いのだ。
もちろん、僕の追放が撤回されたわけではなく、今回は慶事を理由にした『特例』であるらしい。
アルフレッドの立太子の儀は、一年以上前から決まっていたことだった。
昼間に開催される式典には国外から多くの王族が列席し、盛大な祝いの場となる。
その後に王城で開催される夜会は、主に式典に参列できなかった国内の貴族たちが出席するものだ。
「どうした? 緊張しているのか?」
馬車に揺られながら心配そうに僕を見つめるのは、黒のタキシードに身を包んだアイザック。
彼は、オールディス辺境伯家当主代理として式典に参列し、この夜会には僕のエスコート役として出席することになっていた。
「少しだけ……」
そう答えると、向かいに座っていたアイザックが身を乗り出し、僕の手をぎゅっと握る。
「安心しろ。俺が側に付いてる」
「アイザック……」
その言葉だけで不安な気持ちが落ち着いてくるのだから、恋とは本当に不思議なものだ。
僕が夜会に招待されたのは、おそらく将来的に僕の追放を撤回する……そのための布石の一つなのだと考えている。
王位継承権が剥奪された僕に利用価値はない。
しかし、この身に流れる王家の血をふらふらさせておくわけにもいかないのだろう。
僕の評判が回復したこのタイミングで夜会に出席させ、貴族たちの出方を伺い、今後の方針を決める。
そんなところだと思っている。
(もしくは……)
思い浮かぶのは母上のこと。
僕の追放が決定した時、半狂乱になって泣き叫んでいた姿を今でも覚えている。
だけど、僕はもう王都に戻るつもりはなかった。
夜会への招待を受けようと決めたのは、アイザックとの婚約を父に認めてもらうためだ。
アイザックはオールディス辺境伯家の後継者だが、ジェイミーが成人するまでの中継ぎである。
そのため、子を成すことで誤解が生まれないよう、婚約者すら作らなかった。
しかし、僕が相手であれば、当然ながら子供が生まれることはない。
王家だって、言葉は悪いが僕がどこの誰ともわからない相手を身籠らせるようなトラブルは避けたいはずだ。
両家にとって、この婚約はそれほど悪い話ではないと思っている。
「言い忘れてたけど、クライド殿が先に王城で待機中だ」
「そうなのか?」
「ああ。知り合いに会う予定があるらしい。帰りは待機部屋に寄ってくれと言っていたな」
実は、アイザックが昼間の式典に参列した際、クライドを従者として連れて行ったのだ。
それから見かけていないと思ったら、どうやらそのまま王城に残っていたらしい。
「アイザックに伝言を頼むだなんて、相変わらず図々しい奴だ」
そんな会話をしているうちに、とうとう馬車が王城へ到着する。
アイザックの手をもう一度握り、僕は気合を入れ直したのだった。
◇
王城のホールには華やかな装いの貴族たちが集まり、王族の入場を待ちわびている。
もちろん僕は招待された側なので、アイザックとともに目立たぬ場所に陣取り、皆とともに開会の挨拶を待つ。
僕はこれまで夜会に参加したことはない。
なぜなら、夜会に参加できるのは成人になってからで、学園を卒業してすぐに王都を追放された僕は参加する機会がなかったから。
それでも、第三王子として社交の経験はそれなりにある……はずだった。
(あの頃の僕は、周りの視線を一人占めすることに
今では、そのような欲もどこかに消え去ってしまったように思う。
そんな僕の隣には、いつもより野生的な色気が増したアイザックがホールにいる女性たちの視線を一人占めしていた。
(たしかに、僕もカッコいいと思ったけど……)
黒髪を後ろに撫でつけたアイザックの正装姿に思わず見惚れてしまったのは確かだ。
だが、どうやらそれは僕だけではなかったらしい。
アイザックは黒のタキシードに金糸の刺繍が入った青のベストに青の蝶ネクタイ、そして青色のポケットチーフが胸ポケットから見えている
そして、僕は黒のタキシードに紫のタイピンと紫のポケットチーフ……つまり、互いの髪と瞳の色を身に纏って並んでいるのだ。
それなのに、アイザックには女性たちの熱い視線が集まり、僕には男女ともに好奇の眼差しが……。
(アイザックは僕の恋人なのにっ!)
彼を見つめる全ての視線を遮りたくなるような、そんな独占欲じみた感情が湧き上がる。
その時、王族の入場を告げる力強い管楽器の音がホールに響き渡る。
僕は慌てて気持ちを切り替えると、入場してきた元家族へ視線を向けた。
そこに母上の姿はなく……。
やはり公の場に出てくるつもりはないらしい。
そして、王太子となったアルフレッドへと視線を移す。
(アルフレッド兄上……)
聡明で冷静沈着な一番上の異母兄。
実は、アルフレッドとはあまり交流らしい交流をした記憶がなかった。
いや、幼い頃はそれなりに可愛がってもらった気もするが、年齢が離れているせいか、接点が少なかったのだ。
それに、バイロンは僕への嫌悪を隠すことなく言葉と態度で示すが、アルフレッドは何も言わずに軽蔑の眼差しを向けるのみ。
僕のことが嫌いではあるのだろうが、何を考えているのかよくわからない人だった。
父とアルフレッドの挨拶が終わると、アルフレッドと婚約者がファーストダンスを踊り、そのあとは何組かの高位貴族が前に出てダンスを踊り始める。
それを合図にホールは歓談の場となった。
次のダンスの誘いをする者、仕事の話を始める者、そして再びアイザックに熱い視線を向ける者……。
その時、一人の男性がアイザックに声をかけた。
どうやらアイザックの父デズモンドの昔馴染みらしく、親しげな会話が始まる。
(さて、どうしようか……)
これまで社交の経験はあれど、それは王族としての僕が経験したもの。
つまり、周りが僕を立て、オーレリアが側でフォローもしてくれていた、お膳立てありきの社交だった。
今の僕の立場で、アイザックたちの会話に参加していいのかすらわからない。
(………よしっ!)
僕は思いきって二人に声をかけることに決める。
「あ、アイザック!……えっと、僕は飲み物を取ってくるから、気にせず楽しんでいてくれ」
「え? サミュエル、ちょっと待っ……」
なぜか逃げ出すための理由が口から飛び出し、そのまま早足でその場を立ち去ってしまった。
これまで周りが見えていなかったからこそ、常に堂々とした態度でいられた。
だが、周りが見えるようになると、どう立ち回ればいいのか、失敗をすればアイザックに迷惑がかかるかもしれない……。
僕の立場が複雑であるからこそ、そんな様々な感情が渦巻き、逃げることを選択してしまったのだ。
(あー……情けない……)
本当に、僕はこれまで何を学んできたのだろう。
鏡ばかり見ていたせいで、社交術など何一つ身についていなかったことを嫌でも実感してしまった。
(帰りたいな………)
もちろん
数多あるバルコニーの一つに逃げ込んだ僕は、大きな溜息を吐く。
「サミュエル?」
後ろから声をかけられ振り向くと、そこには数ヶ月振りのダリルの姿があった。
「ダリル兄様!?」
見知った顔に出会えたせいか、思わず声が
「よかった。探していたんだよ」
「僕のことを?」
すると、僕に近づいたダリルが声を落として続ける。
「実は、叔母様がサミュエルに会いたがっているんだ」
「えっ………」
ダリルの叔母……それはつまり僕の母上のことだった。
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