第21話 居場所

その後、邸宅内で夕食を共にし、ダリルは用意された客室へ、僕は宿舎の自室へ戻ることになる。

ダリルは明後日までこの地に留まるつもりらしく、せっかくだから明日は領内を見て回るつもりだと言っていた。


自室に戻ってすぐ風呂に入った僕は、時計に目を遣り時刻を確認する。

その時、扉をノックする音が聞こえた。


「まさか来るとは思わなかった……」

「まだ消灯まで時間があるからな」


呆れる僕の言葉を笑い飛ばすアイザック。

そうは言っても、消灯まであと三十分もないのだが……。


「今日は二人きりになる時間がなかっただろ?」

「そ、そうだな……」


つい先程まで夕食を共にしていたのだし、こんな遅い時間に来ることはないだろうと思っていた相手が突然やって来た。

これまでの僕なら面倒だと思っていたはず……。


しかし実際には、ニヤけてしまいそうになる顔を咳払いで誤魔化し、少しだけなら……と、部屋の中へ招き入れている。


「さっきのことだけどさ……」


時間がないからか、部屋に入ってすぐにアイザックが話を切り出した。


「俺は、あんたがダリル様に説得されて王都に帰りたくなるんじゃないかって思ってたんだよ」

「…………」


たしかに、ここへ来たばかりの頃だったなら、僕はダリルの提案に乗っていたかもしれない。


「だから、はっきりと断ったのが意外だったし……嬉しかった」


そう言って、照れたように笑うアイザック。

そんな彼の表情をじっと見つめながら、僕は一つの決意を固める。


「それは、アイザックの側にずっといたいって、そう思ったから……」


僕は素直な気持ちをそのまま口にする。

すると、アイザックは目を大きく見開き、ごくりと唾を飲み込んだ。


「それって……?」

「返事が遅くなってしまったが、僕もアイザックの恋人になりたいと思っている」


おそるおそる問いかけるアイザックに、僕はきっぱりと想いを告げる。


アイザックに対する自分の感情には薄々気がついていた。

ただ、そのことが自分の中で明確になったのは、ダリルとのやり取りの中で……。


──僕の居場所はアイザックの隣なんだ。


だから、この場所で彼に相応しい自分になれるよう努力したいと思った。

そう言葉を続けると、目の前のアイザックがガバッと僕に抱きついてくる。


「サミュエル! サミュエル!」


そして、僕の名を呼びながら、ぎゅうぎゅうと強く抱きしめられた。


突然のことに驚きながらも、アイザックの気持ちに応えるよう、僕も彼の背中にそっと手を回す。


(ふふっ、知らなかったな……抱き合うことがこんなにも心地よいものだなんて)


安心感とともに、じわじわと愛しさが込み上げてきた。


彼の逞しい腕の中、胸に頬を寄せながら幸せに浸っていると、そっと身体が離される。

どうしたのかとアイザックの顔を見上げた瞬間、今度は僕の唇に柔らかなものが押し付けられた。


「んぅっ!?」


そして僕の唇を覆うように、まるで噛み付くように何度も激しく重ねられ、のがれようとするも、腰に手を回し後頭部を押さえられてしまっては動けない。


(こんなの……知らないっ!)


髪の合間に差し込まれた力強い指の感触と、唇が食べられてしまうのではと思うほどの荒々しさに、僕の息も絶え絶えになってしまう。


「んんーー! んっ!!」


抗議の声ならぬ声を上げながら、必死にアイザックの胸を叩いた。

そこでようやくアイザックの唇が離れ、僕は思いきり息を吸い込む。


「な、何をするんだ!?」


そしてアイザックから距離を取り、自身の唇を手で覆う。


「何って、晴れて恋人になったんだからキスを……」

「破廉恥な! 婚姻どころか婚約もまだなのに!」


婚約を結び、神の前で婚姻の誓いを交わし、そこで初めて唇を重ねるものだと教わった。それなのに……。


「あー……そういや、前にもそんなこと言ってたな」

「守るべき順番というものがあるだろう!」

「でも、それって……俺との結婚も考えてくれてるってこと?」

「当たり前だ! まさか、お前は生半可な気持ちで僕にキスをしたのか!?」


すると、今度はアイザックが自身の顔を片手で覆う。


「どうした?」

「いや、サミュエルがそこまで考えてくれてたなんて……」


指の隙間から覗くアイザックの頬が赤らんでいるように見える。

そしてゆっくり僕に近づくと、再び優しく抱きしめられた。


「わかった。キスは我慢する。それ以上も……絶対、サミュエルのことを大切にするから」

「わかればいい……」


その言葉でようやく僕の身体も緊張から解き放たれる。


「……その代わり、結婚したら覚悟しろよ」


しかし、小さく漏らしたアイザックの呟きは、消灯を報せるベルの音によってかき消されてしまうのだった。



二日後、王都へ帰るダリルを見送りに、僕はオールディス辺境伯邸へと向かった。


「ダリル兄様、お元気で……」

「サミュエルも頑張ってね」


馬車の前で別れの挨拶を交わす僕に、そっとダリルが近寄る。

そして、僕の耳元に口を寄せたダリルは、小さな声で囁いた。


「また、すぐに会えるよ」

「え?」


しかし、そのまま何も言わずにダリルは馬車へ乗り込んでしまう。


そんなこともすっかり忘れて一ヶ月が経った頃、妙な話が持ち上がった。

それは、売り出し中のスキンケアアイテムの開発者が僕であると、貴族を中心に王都中に噂が広まっているらしいとのこと。


僕が自身の容姿を磨くために並々ならぬこだわりを持っていたことは、平民はともかく貴族の間では有名な話だった。


そんな僕を広告塔にしてスキンケアアイテムを販売するという案もあったそうだが、やはり王都を追放されたというマイナスイメージを恐れ、その話はなくなったはずなのに……。


「一体どこから広がったんだ?」


僕の疑問に答えたのはクライドだった。


「レディング侯爵子息様では?」

「えっ? でも、ダリル兄様は僕が開発者だって知らないはずじゃ……」

「よく手紙のやり取りをされていたではありませんか。そこに殿下が余計なことを書かれたのではと思ったのですが……」

「あ………」


ダリルが辺境伯領を訪れる以前……たしか試作品が完成した頃、世間話の一つとしてノアの研究を手伝っていると手紙に書いたような気がする。

それに、王都にいた頃から、スキンケアアイテムの自作が僕の趣味であったこともダリルは知っていた。


「ダリル兄様はなぜそんなことを……?」


噂の出処でどころがダリルだと完全に決まったわけではないが、もし予想通りだったとして、そのようなことをした理由がわからなかった。


しかし、僕が開発者であることの物珍しさからか、それとも商品そのものの魅力によるものなのか、僕とノアが開発したスキンケアアイテムは飛ぶように売れ続けたのであった。

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