第18話 傷跡

クリーム色を背景に、薄桃色の花のモチーフがえがかれた天井が目に映る。


(…………?)


ぼんやりとした頭で見覚えのない天井をしばらく見つめたあと、僕はベッドに寝かされていることに気がついた。

そして、周りを確認しようと首を左にかたむける。


「殿下っ!」


ガタンッという音とともに、勢いよく椅子から立ち上がったクライドが僕の側に駆け寄る。

しかし、クライドの名を呼ぼうと口を開いた途端に僕は激しく咳込んでしまった。

喉がカラカラでうまく声が出せない。


「すぐに水をお持ちします」


喉元を手で押さえる僕を残し、クライドは部屋を出ていってしまう。

上半身を起こしてゆっくり辺りを見渡すと、そこは宿舎にある僕の部屋よりもずいぶん広く、目に付く家具はどれも豪奢であった。


(どこだ……?)


少し不安な気持ちでいると、水差しとグラスを持ったクライドが部屋に戻り、続いて医師らしき白衣の男が現れる。


クライドに渡されたグラスの水を飲んだあと、僕はそのまま医師の診察を受けることになった。

そして、僕の記憶に異常がないかを確認するため、医師との問答を繰り返していくうちに現状を把握していく。


どうやら僕は丸一日眠っていたようで、身体に負った傷は治癒師の魔法ですでに塞がっており、念のため二〜三日を安静に過ごせば普段通りの生活に戻れるとのことだった。


「殿下、ご無事でよかった……」


医師が部屋から退出した途端、クライドはホッと安堵の息を吐く。


「ジェイミーは……?」

「ご安心ください。ジェイミー様もご無事ですよ」


その言葉に、今度は僕が安堵の息を吐くことになった。


そして、僕が意識を失っていた間のことを、クライドが順を追って説明してくれる。


まず、僕がジェイミーを抱えて逃げている間に、クライドたちが一体目の翼竜ワイバーンを討伐。

すぐに僕たちの後を追ったが間に合わず、幼体の翼竜ワイバーンに攻撃を受けた僕は意識を失ってしまう。


「あの翼竜ワイバーン、やはり幼体だったのか」

「幼体だったからこそ、その程度の怪我で済んだようです」


狩りに慣れていない幼体は、獲物にじゃれついて遊ぶことのほうが多いという。

だから致命傷を与えるような攻撃ではなく、僕の背中を小突いたりと、無駄な動きが多かったのだ。

獲物側である僕はたまったものではないが、おかげで命が助かったのだからよしとする。


その後、翼竜ワイバーンの幼体はすぐにクライドが倒したそうだ。


「さすがだな……」

「いえいえ、護衛騎士の皆様がともに戦ってくださったお陰ですよ」


謙遜しているクライドだが、おそらくほぼ一人で翼竜ワイバーンを二体とも倒したのではないだろうか。

それくらいの実力がクライドにはあるはずだからだ。


それからは、泣きじゃくるジェイミーを宥め、急いで僕を城砦に運び込んだというわけだった。


魔獣の暴走スタンピードはどうなった?」

「すでにほとんどの魔獣は討伐され、現在は後処理に追われているようです」


突如現れる『魔素溜まり』から膨大な数の魔獣たちが生まれることで魔獣の暴走スタンピードが発生する。

だが、初期の段階で『魔素溜まり』を破壊してしまえば、それほど被害を被るものではない。


今回の魔獣の暴走スタンピードも、迅速な対応によって無事に処理できたようだ。 


そうして、クライドからの説明を一通り聞き終えた僕は、ついに本題を口にする。


「なあ、姿見鏡を用意してくれないか?」


途端に空気が変わり、クライドが小さく息を呑む。


「殿下………」

「大丈夫だ。覚悟はできている」


幼体がじゃれついたのだとしても、背中を引き裂かれるような激痛を僕はもちろん覚えている。

そして、左腕を動かすたびに背中の皮膚が引きることの意味も……。


クライドが用意してくれた姿見鏡の前に立ち、シャツを脱ぎ捨てる。

そして、あらわになった上半身を右側に捻った。


鏡に映るのは、シミ一つない真っ白な背中に浮かぶ幾筋もの赤黒い傷跡。


「醜いな……」


僕の口からポツリと言葉が零れ落ちる。


鋭い爪で深く抉られたせいか傷跡は腫れて肉が盛り上がり、僕の肌の美しさがそのグロテスクさを余計に際立たせていた。


治癒魔法で傷を塞ぐことはできても、傷そのものを無かったことにできるわけではない。

おそらく、背中の傷跡は一生残るだろう。


「服を着れば隠せる場所だ……。何も問題はない」


自身に言い聞かせるように言葉を続ける。


そう、ここでは全身を隈なくチェックされることも、傷跡を理由に長時間罵声を浴びせられることもないのだから……。


何か言いたげなクライドをそのままにし、僕は再びシャツを羽織る。


それからしばらくすると、アイザックの父であるデズモンドが見舞いに訪れた。

その後ろには、紅茶色の長い髪に水色の瞳を持つ女性が控えている。

彼女の名前はレイラ・オールディス。ジェイミーの母親であった。


「殿下、体を張ってジェイミーを助けてくださったこと、心から感謝いたします」


そう言って、デズモンドとレイラは揃って僕に頭を下げる。


「しかし、そのせいで殿下の御身を傷付けることになってしまい、なんと謝罪すればいいのか……」

現在いまの僕は見習い騎士だ」

「ですが……」


王位継承権を剥奪され見習い騎士扱いとなったが、この身に流れる王家の血が必要になれば、王都に呼び戻されることだってあり得るのだ。


そんな僕の身体に大怪我を負わせたとなれば、オールディス辺境伯家の責任が問われる可能性がある。

そのことをデズモンドは理解しているのだろう。


「それに、は僕の判断だ。そうだなクライド?」

「はい」


ベッドの側に控えていたクライドが返事をする。


あの時、僕の身を守るのではなく、翼竜ワイバーンの撃退をクライドに命じたのは間違いなく僕だ。

そして、ジェイミーを抱えて逃げることを決めたのも僕。

つまり、このような怪我を負ったのは僕自身の責任であるとデズモンドに明言する。


ついでに僕の怪我については箝口令を敷くよう求めた。

これはクライドからの助言で、最初からにしておいたほうが余計な詮索を避けられるだろうと……。


「殿下の寛大なご配慮に感謝いたします」


そう言って、デズモンドは再び頭を下げる。


「ジェイミーが無事ならそれでいい」

「本当に……殿下がいらっしゃらなければ、あの子は……」


僕の言葉にレイラは声を震わせ、その目尻に浮かぶ涙をハンカチでぬぐう。

夫を亡くし、一人息子まで失うところだった……その恐怖はどれ程のものだろう。


(母上だったなら……。僕が危険な目に遭ったと知ったらどんな反応をするのだろうか……)


ふとそんな考えが頭に浮かび、背中の傷跡がチクリと痛んだ気がした。



デズモンドとレイラが退室すると、疲れが一気に身体を襲った。

しばらく休みたいとクライドに伝え、部屋に一人きりになる。


ベッドの中で天井をぼんやり眺めていると、控えめなノックの音が聞こえ、誰かが部屋の中へ入ってきた。

僕は起き上がると、その人物に声をかける。


「アイザック……?」

「なんだ起きていたのか」


ベッドに近づいたアイザックの髪は乱れ、汗と鉄の匂いが入り混じる。


騎士団長であるアイザックは討伐の最前線にいたはずだ。

その姿を見るに、城砦に帰還してすぐに僕のもとを訪れたのだろう。

ただそれだけのことで、僕の胸は締め付けられる。


魔獣の暴走スタンピードの後処理は……?」

「あらかた片付いた。それより怪我の具合はどうだ?」

「治癒師の処置は済んでいて、もう痛みもない」

「それならよかった。あんたが怪我をしたって聞いて、ほんとに肝が冷えたんだぞ」


そう言って、アイザックは大きく息を吐く。


「それにジェイミーを助けてくれたこと……俺からも礼を言わせてくれ」

「いや、僕は抱えて逃げただけで……」


クライドたちが翼竜ワイバーンを葬っていなければ、ジェイミーの身も危うかった。


「それでも、身を挺して庇ってくれたんだろ? そのせいで大怪我までして……」


そして、アイザックは僕の左肩に手を伸ばす。


「触るなっ!」


思わず大きな声を出し、アイザックの手を払い除けてしまう。


(あ………)


アイザックは驚いた表情かおで目を見開いた。


「サミュエル……?」

「ダメだ……ダメなんだ。こんな傷があったら僕は……」


ぶるぶると身体は震え、胸の奥からは熱い何かがせり上がってくる。


「ぼ、僕の背中に傷が……。こんな醜い僕にはもう……価値がない」


なぜだろう、涙が溢れた。


デズモンドたちの前で語った言葉は本心だ。

この手でジェイミーを守れたことを誇りに思っている。


──それなのに、どうしてこんなにも……。


これまで必死に積み上げ、拠り所にしていたものが一気に崩れ去ったような絶望感。

それに耐えきれず、僕は自身の腕で震える身体を抱きしめながら嗚咽を漏らす。


「サミュエル……」


柔らかな声とともに、アイザックが僕をそっと抱きしめる。

それでも身体の震えは止まらない。


「この傷跡を見ればお前だって……! こんな醜くなった身体なんていらない……もう、いらないんだよ!」

「…………」


泣き喚く僕の頭をそっと撫でたアイザックは、何を思ったか僕のシャツのボタンに手をかける。


「なっ!?」


突然のことに驚き、止める間もなくシャツが脱がされ、僕の肌がアイザックの前に晒される。

傷跡を目にしたアイザックの反応を見るのが怖くて、思わずぎゅっと目を閉じて俯いた。


すると、僕の肩口から背中にかけて柔らかいものが何度も触れ、チュッと音を立てては離れていくのを繰り返す。

それがアイザックの唇だと気づいた瞬間、僕の顔が燃えるように熱くなる。


「あ、アイザック!」


羞恥に耐えられず名前を呼ぶと、俯く僕に覆い被さっていたアイザックの身体が離れていく。

そして、のろのろと顔を上げた僕の瞳を真っ直ぐに見つめ、アイザックは口を開いた。


「こんな傷跡もので、俺にとってのあんたの価値は何も変わらない」

「あ………」


きっぱりと言い切るアイザックの言葉に、僕の瞳からさらに涙が溢れ出す。


「それでもあんたがいらないって言うなら、傷跡も何もかも……全部を俺が貰ってやる」


そう言って、アイザックは僕の身体を強く強く抱きしめた。


(あたたかい……)


そのまま身も心もアイザックにゆだねるように、彼の胸に顔をうずめながら僕はひたすら涙を流し続けたのだった。


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