第19話 変化

「こんなに泣いたのは久しぶりだ」


鼻をすすりながら呟くと、ククッと小さく笑う声が僕の頭上から降ってきた。

ようやく涙も止まり、徐々に冷静さを取り戻した僕は、アイザックの腕の中に閉じ込められたまま言葉を続ける。


「明日は目が腫れてしまう……」

「ははっ、どんな顔になってるか楽しみだな」


醜い傷跡すら受け入れたアイザックにとって、僕の目が腫れたくらいどうってことはないのだろう。

絶望にまみれていた心がゆっくりとほぐれ、温かなもので満たされていく心地がした。


(あ………)


その時になって、僕は上半身裸のままアイザックに抱きついていることに気がつき、慌ててシャツを羽織ってボタンを留める。

そして、アイザックの腕の中から抜け出すと、彼の右隣へと移動した。


「別にそのままでもよかったのに」

「むやみやたらに肌を晒すものじゃない!」


しかし、アイザックは「もっとじっくり見たかった」などと、ぶつぶつ文句を言い続けている。

話題を変える必要性を感じた僕は、とりあえず今回の魔獣の暴走スタンピードについて質問をした。


やはり『魔素溜まり』が発生してそれほど時間が経っていなかったらしく、ほとんどの魔獣は森の中で討伐することができたそうだ。

僕たちが襲われた翼竜ワイバーンのように森を抜け出した魔獣たちの討伐も完了し、ようやく帰還することができたのだという。


「そういえば……あんたの従者は一体何者なんだ?」


翼竜ワイバーンは騎士団員が数人がかりで討伐に挑むレベルの魔獣。

それをクライドがたった一人で二体とも倒してしまったことが騎士団内でも話題になっているらしい。


「あー……。僕の従者になる前は王立魔術師団に所属する予定だったんだ」

「所属する予定?」


意味がわからないといった様子のアイザック。

クライドが僕の従者になった経緯は少々複雑だと前置きをしてから、僕は説明を始める。


「もともと、クライドはバイロン兄上の側近候補で……」


バイロンは、この国の第二王子である僕の異母兄。

生まれつき体格に恵まれ、剣の腕も優れており、常に自信に満ち溢れた男だ。

そんなバイロンが学生時代に側近候補として目をつけたのがクライドだった。


当時、バイロンと同じく王立学園に通っていたクライドは、飛び抜けた魔法の才能が認められ、卒業後は王立魔術師団への所属がほぼ決定していたらしい。

バイロンの側近候補にも選ばれ、エリートコースをまっしぐらのはずだったのだが……。


「どうやらクライドがバイロン兄上の不興を買ったらしくてな」


良く言えば熱血漢、悪く言えば傲慢な性格のバイロン。

対するクライドはあのように掴みどころがなく、怠け者で面倒くさがりな性格だ。

おそらく、相性が悪かったのだろう。


怒り狂ったバイロンは、クライドを自身の側近候補から外しただけでなく、王立魔術師団にも手を回した。

そして、クライドが王立魔術師団に所属する話は立ち消え、その代わりに第三王子の従者として推薦されてしまったのだ。


クライドの生家は男爵家で、魔法の才能はあれど後ろ盾のない状況ではバイロンの推薦を断ることは叶わなかった……。


あの時のことはよく覚えている。

僕のことを嫌っていたはずのバイロンが、「俺からのだ」と言って連れてきたのがクライドだった。

プレゼントという言葉をそのままの意味で受け取った僕は、これをきっかけにバイロンとの仲が改善するかもしれないと淡い期待を抱き、クライドを大切に大切に扱った。


「それで甘やかした結果がアレだ」


あるじの僕に不敬ギリギリの態度を取る従者の出来上がりである。


「それはまた……何とも勿体無い話だな。どんな性格であれ、うちの騎士団なら確実に取るぞ?」


アイザックが眉をひそめている。


魔獣と戦うオールディス騎士団は、おそらく実力重視なのだろう。

残念ながら、王立魔術師団を含むエリートコースと呼ばれる師団は、実力以外も重視する風潮があるということだ。


ちなみに、僕の従者になったこと自体がバイロンによるクライドへの嫌がらせだったと知り、クライドに従者を辞めたいかと聞いたことがあったのだが……。


『僕には殿下のおりぐらいが丁度いいんです』


そう言って、いまだにクライドは僕の側にいる。

僕に忠誠を誓っているとかそんな殊勝なものではなく、ただ単に楽だからという理由で……。


「事情はわかった。うちの正団員になるつもりはないかクライド殿に聞いてみるか……」


後半の独り言のような呟きに、僕は思わず反応する。


「どうして僕が見習いなのに、クライドはいきなり正団員なんだ!」

「そんなの実力から見ても当たり前のことだろ?」

「むぅ………」


拗ねて唇を尖らせる僕を笑ったあと、アイザックはベッドから立ち上がる。


「元気なサミュエルの顔も見れたし、そろそろ部屋に戻って風呂に入ってくる」


そういえば、アイザックは帰還してすぐに僕の部屋へと訪れたのだった。


「サミュエルも一緒に入るか?」

「は?」

「だって、さっき裸で抱き合っただろ? サミュエルも汚れたんじゃねぇの?」


そう言って、アイザックは意味ありげな笑みを浮かべる。


「は、裸で抱き合っ……いや、裸だったのは僕だけで……違っ、だから……」


なんと答えるべきかわからず、軽くパニックになった僕を見て、アイザックは再びケラケラと笑う。

どうやら揶揄からかわれたらしいことに気づき、軽くアイザックを睨みつけた。


「僕はいかない! お前一人で入ってくればいい!」

「ははっ、それは残念だな」


アイザックはそう言いながら前に屈むと、僕の額に軽くキスを落とす。


「一緒に風呂に入るのはまた今度にしておくよ」


そのまま、じゃあなと言ってアイザックは部屋を出ていった。


(こ、今度……?)


ベッドに一人残された僕は、アイザックにキスをされた額を押さえながら、彼の言葉の意味を悶々と考えることになるのだった。



◇◇◇◇◇



僕が目覚めた翌日、ジェイミーが見舞いに部屋を訪れる。


「僕のせいで……ごめんなさい」


すっかり大人しくなってしまったジェイミー。

翼竜ワイバーンに襲われ、怪我を負った僕の姿を目の当たりにしたのだから、それも仕方のないことだろう。


そんなジェイミーを元気づけるべく、僕は殊更ことさらに明るく振る舞った。

すると、次第にもとの元気なジェイミーへと戻り、「今度は僕が王子様を助けるからね!」と、明るく笑う。

 

やはり、あの時の僕の行動は間違いではなかった。

ジェイミーを守ることができてよかったと、改めてそう思う。


それからさらに数日後、いよいよスキンケアアイテムの発売が決まった。

魔獣の暴走スタンピードのお陰と言ってはなんだが、必要な素材が大量に手に入ったため、オールディス辺境伯領だけでなく王都でも同時に販売を始めることにしたらしい。


スキンケアアイテム以外にもメイク用品を開発する話も出ており、そろそろ僕専用の研究室を用意するとアイザックが言っていた。


少しずつ僕を取り巻く環境が変化していく。

それは僕自身にも言えることで……。


「また従兄殿から手紙が届いてるぞ」


夜になり、アイザックが僕の部屋に入った途端、一通の手紙を渡される。

これまでも何通か届いていたダリルからの手紙。

どうやら今回は急ぎのものらしいと言われ、僕はその場で手紙を開封した。


そこには、瘴気の森で魔獣の暴走スタンピードが発生したことを知り、僕の身を案じるダリルの想いが綴られ、僕に会うためにオールディス辺境伯領へ向かうことに決めたと書かれており……。


「えっ!?」


便箋に目を落としながら驚く僕に、オールディス辺境伯家にもダリルから訪問の意思を伝える手紙が届いているとアイザックから聞かされる。


「ずいぶんと過保護な従兄殿だな」

「…………」


僕は学園時代を思い出す。

僕のことを心配だと言って、学年が違うのにもかかわらず昼休みも放課後もずっと側にいてくれた。

何か心配事はないかといつも気にかけ、僕の学園での様子を事細かに聞いてくれる……ダリルはそんな優しい人なのだ。


そのことをアイザックに伝えると、なぜか難しい顔をしている。


「ダリル兄様がどうかしたのか?」

「ん? いや………」  


聞こえてきた返事は、アイザックにしては珍しく歯切れの悪いものだった。 

それが少々引っ掛かり、探るようにアイザックの顔を見つめると、ばっちりと目が合ってしまう。


(あ………)


途端にアイザックの視線が甘みを帯びたものに変わり、その大きな手が僕の頭を優しく撫でた。

そして、そのまま話題は別のものに移り、アイザックは時折僕の髪や頬に触れながら会話を続ける。


(もっと……)


そんな言葉がつい口から出そうになる。

アイザックは以前と何も変わらないのに、変わってしまったのは僕のほう。


──もっと僕に触れてほしい、あの時みたいに抱きしめてほしい……。


以前の、物足りないと思った時とは比べものにならないくらいの強い衝動。

自分でも持て余してしまうくらいの感情が溢れ出てしまいそうで……。


『これからは俺のことを考えて』


あの時の言葉が脳裏に蘇る。

僕は今、アイザックのことばかり考えている。


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