第9話 悪くない

「うわぁ! 王子様が走ってる〜!」


普段は僕とアイザックとクライドの三人だけで行われている訓練。

そこに、護衛騎士を伴ったジェイミーが見学として参加することになった。


ジェイミーが僕に会いたがっているとアイザックに事情を伝えると、このような場を設けてくれたのだ。


「王子様がんばって〜!」

「あともうちょっとでゴールだよ!」

「すごい! すごい! 王子様は速いなぁ!」


いつもはクライドの雑な声援が時折聞こえるだけなのに、今日はジェイミーの純粋な声援が訓練場に響いている。


(……悪くない)


これまで幼い子供と触れ合う機会がなかったが、僕に懐いているジェイミーのことは素直に可愛いと思えた。


「お水、お水! 僕が王子様に持っていくから!」

「ジェイミー、王子様は休憩中だからゆっくり休ませてやれ」

「え〜っ!?」

「代わりに俺が剣の稽古をつけてやるから」

「ほんと!?」


アイザックに声を掛けられたジェイミーは、嬉しそうに練習用の木剣を取りにいく。 


そんな二人の会話を目の当たりにした僕は、思ったことをそのまま口にする。


「お前、普段はそんな口調なんだな」


アイザックが口調を崩しているところを見たのは初めてだった。


「あ……ジェイミーの前だと素が出てしまって……。父にも口が悪いとよく注意されています」

「つまり、僕の前だと猫をかぶっているということか」

「まあ、そういうことになりますかね」

「…………」


アイザックの返答に、なんとなく面白くない気分になってしまう。

すると、アイザックが僕の耳元にそっと口を寄せる。


「こっちの口調のほうがいいのか?」

「なっ!?」


突然の囁き声に、僕は慌てて飛び退いた。


「ははっ、殿下は耳が弱点なんですね」

「ち、違う! 僕に弱点なんてないからな!」


ケラケラと笑うアイザックに、揶揄からかわれていたのだと気づく。

それなのに、囁かれた左耳がやたら熱くなってしまっていて……。


「叔父上〜!」


こちらに駆け寄ってくるジェイミーに気づいて、僕は慌ててアイザックに背を向けた。


「殿下、話の続きは夜にしましょう」


アイザックはそう言ったあと、ジェイミーに向かって歩き出す。

僕は身体に残る熱を冷ますように、用意された水をがぶ飲みするのだった。



「こんばんは、殿下。今日はマカロンを用意しましたよ」


ノックの音に部屋の扉を開けると、笑みを浮かべたアイザックが立っている。


少し前までは、夕食時にクライドと入れ替わるように僕の部屋を訪れていたアイザック。

最近は、夕食を終え、あとは眠るだけの状態になった頃に訪ねてくるのが日課になりつつあった。


スキンケアグッズの商品化に協力する条件として、毎日こうしてアイザックと二人きりの時間を過ごしている。

給餌のような行為と距離が近過ぎることを除けば、毎日お菓子を食べられるのだからと、僕は開き直るようになっていた。


「そういえば、殿下宛ての手紙を預かってきました」

「手紙………?」


一体誰からだろうと思いながら受け取ると、封筒には僕の従兄ダリルの名前が書かれている。


(ダリル兄様っ!)


部屋にアイザックがいるにも関わらず、僕は急いで手紙を開封した。

そこには、留学先から無事に帰国したこと、その時になって僕が辺境の地へ送られたと知ったこと、僕に会えない寂しさや僕の身を案じる言葉の数々が懐かしいダリルの美しい文字によって綴られている。


(やっぱり、ダリル兄様は僕のことを心配してくれたんだ……)


手紙に書かれていた『その場に私がいれば助けてあげられたのに』という一文に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「ダリル・レディング侯爵子息……たしか、殿下の従兄殿でしたよね?」

「ん? ……ああ、そうだ」


ダリルからの手紙に浸っている間、すっかりアイザックの存在を忘れていた僕は慌てて返事をする。


「仲がよろしかったのですか?」

「ダリル兄様は僕のことを褒めて可愛がってくれていたからな。実の兄のように慕っていた」


そう、ダリルは僕の容姿をいつも褒めてくれていたのだ。


年齢も僕の一つ上で、学園では毎日のように昼食や放課後を共に過ごしていた。

しかし、ダリルは学園を卒業すると、すぐに他国へ留学してしまったのだ。

会えなかったこの一年、僕がどれだけ寂しい思いをしたか……。


「へぇ……。昔から殿下はチョロかったんですね」

「チョロ!? 失礼なことを言うな!」

「でも、殿下は素の口調のほうがいいんでしょう?」

「そ、それとこれとは話が別だ!」


すると、ニヤリと笑ったアイザックが僕の向かいに立ち、両手をぎゅっと握ってくる。


「おい、何をする!」

「殿下が選んでください」

「選ぶ?」

「二人きりの時、どちらの口調がいいですか?」

「どっちって……。僕は別にどちらでも……」

「でも、猫を被られるのは嫌なんでしょう?」

「…………」


あの時……僕の前だと猫を被っていると言われ、胸がモヤモヤしたのは確かだ。


「まあ、俺は口が悪いんで、殿下を怖がらせてしまうかもしれませんが……」

「それぐらいで僕が怖がるはずがないだろう!」

「……それじゃあ、決まりだな。後継者に指名されてからは気をつけるようになったけど、やっぱりこっちのほうが楽だわ」

「………っ!」


あっという間に口調を変えてしまったアイザックに、僕は唖然としてしまう。


「それで、サミュエルは褒められるのが好きなんだ?」

「は? な、名前……?」

「親しくなったら名前で呼ぶのが普通だろ?」

「…………」


(僕とアイザックは親しくなったのか? でも、口調を崩す許可を出したのだから……いや、そもそも僕は許可を出したのだろうか……?)


学園でも友人らしい友人が一人も作れなかった僕には、親しくなる基準というものがよくわからない。

結局、そのままズルズルとアイザックのペースに飲まれていく。


「その従兄殿に代わって、俺が褒めてやろうか?」

「別に必要ない!」

「まあ、聞けよ。真面目な話……サミュエルの訓練に対する姿勢は評価している」

「え?」

「毎日、与えられたメニューをサボらずに最後まできっちりやり遂げてるだろ?」

「まあ、それはそうだけど……」


まさか、容姿以外を褒められるとは思わなかった。


「温室育ちの王子様にしては、よくやってると思ってた」

「誰が温室育ちだ!」

「日焼けしたくないって泣いてただろ」

「泣いてない!」


なぜだろう……。砕けた口調になった途端、アイザックとの距離がぐっと縮まった気がする。


(うん。悪くない……)


まるで、アイザックの内側へ入れてもらえたような、そんな不思議な気持ちになった。

だが、これを友情と呼ぶべきなのか迷ってしまう。


「そういえばマカロンを食べるの忘れてたな」

「…………」


話題がお菓子に移ったことで、僕はギクリと身体を強張らせる。


今さら抵抗しても無駄であることは重々承知している。

それでも、抵抗しなければ喜んで受け入れていると思われてしまいそうで……。


「いい加減、自分で食べさせてくれ!」


ベッドに並んで座りながら、給餌はやめろとアイザックに訴える。


「どの味にする? っていうか、何色が何味か聞いたけど忘れたな……。赤はラズベリーだったっけ……?」


やはり、今夜の僕の訴えもスルーされてしまう。


「………だったら、その赤いやつでいい」

「そう? じゃあサミュエル、いつもみたいに口を開けて」


諦めて給餌を受け入れると、甘さを含んだ声で名前を呼ばれ、ドキリと心臓が跳ねた。


(ああ、ほら……)


言われるがまま口を開く僕を、アイザックがじっと見つめている。

その強い視線に、僕のうなじがピリピリと疼く。


(友人をこんな目で見るものなのか……?)


頭に浮かぶ疑問を口にするより先に、マカロンが僕の口の中へ押し込められてしまった。

ゆっくりと咀嚼し、口の中いっぱいに広がる甘酸っぱさを堪能する。


「ははっ、小動物みたいだな」


今度は慈しむような表情になり、僕の左頬に手を添えるアイザック。

その長い指が僕の左耳に触れ、指の腹がすりすりと耳のふちを撫でていく。


しかし、くすぐったさに身をよじると、すぐにその手は離れていってしまった。


(あれ………?)


なんだか物足りない気持ちになり、そんな自分自身に驚いてしまう。


結局、そのあとは触れられることなく、僕にマカロンを食べさせたアイザックは満足気な表情で帰っていった。


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