第31話 思い人
「なんか、夫婦っていいですわね」
アッシュ家族が帰ったあと、不意にそんなことを溢した。
それに対して俺は口を開いてしまった。
「相手を尊重しあえれば、だけどな」
不思議そうにこちらを見つめる。
あたかも経験したことがあるかのように話してしまったからなぁ。
「リュウさん、夫婦だったことがあるんですの?」
真っすぐな眼差しを受け止めきれずに目を逸らしてしまった。
「昔な。今は一人さ……」
「そんなこと言ったら、悲しむんじゃないんですの?」
「あっ。そうだな。今は、ミリアがいるから、幸せなもんだ」
今日はあまり人が入らないなぁ。
外は神様が泣いているようだから仕方ないか。
さっきの夫婦を見て泣いているのかな。
神様は気まぐれだ。
笑顔を見せたかと思えば、泣き出す。
今日は冒険者もあまり遠くまで狩りにはいかないだろう。
少し早いけど、閉めようかな。
「アオイ、暖簾しまってくれるか?」
「閉めるんですの? しまってきますわ」
優雅に引き戸を開けて暖簾を中へと下げてくる。
代わりに『こども食堂 やってるよ』の看板を置く。
アオイがなぜか固まっている。
何かを凝視しているようだ。
「どうした?」
「あの……あれは大丈夫そうですの?」
アオイが指した先にはずぶ濡れの男性が立ち尽くしている。
上下ともラフな格好をしていた。
何か放っておけない。
「ちょっと、声掛けてくる」
雨の中、特殊な魔物の皮で作られた傘をさして男性の元へと駆け寄る。
「大丈夫ですか⁉ どうしました⁉」
「あいつが……。あいつが……」
唇を震わせながら正気じゃない様子だ。何かあったんだ。とりあえず、濡れないところに避難しよう。
「とりあえず、中に入りましょう!」
手を引いて中へと連れて行く。
ずぶ濡れである。
一体何があったのか。
入口で立ち尽くす男性をいったんそのままにして、居住スペースへと行く。
バスタオルくらいの大きな布を取り、再び戻る。
「これで拭いてください!」
「あぁ……あいつがぁぁ」
布を渡すが、正気ではない様子だ。
俺が頭を拭いてあげる。
そして、身体や足も水気を取るように押し付けながら拭いていく。
こんな放心状態になるなんて。
何か重大な出来事があったに違いない。
こんなところに立ち尽くしているなんて。
椅子へと案内して、座らせる。
「お茶をどうぞですわ」
「あいつぅぅぅ。ふぅぅぅ」
「落ち着くんですわ。お茶を飲んで」
男性の口元へとコップを持っていくと自分で取って一口飲んだ。そして、そのまま一気に胃の中へと流し込んでいく。
「ぷっはぁ! はぁ。はぁ。はぁ」
呼吸を荒くして錯乱状態のようだ。
「大丈夫ですか? もう一杯飲みます?」
頷く男性。同じコップに再度お茶を注ぎ込む。
まだ一気に飲み干し、少し落ち着いたようだ。
「なんで、雨の中で立っていたんですか?」
「あいつが……」
「誰が、どうしたんですか?」
ワナワナと震えていて何も言葉になっていない。相当ショックなことがあったのだろう。今日は定食もかなり残っている。
厨房へ行くと、肉を煮込み始める。
甘じょっぱい香りが立ち上がり、店へと広がっていく。
男性は鼻をピクリとさせるとこちらを見つめている。
少し煮込むと、盛り付けて俺自らが運んだ。
どうせ客はこの男性だけだ。
アオイの手を煩わせることもない。
「はい。おまち。トロッタ煮だよ。何があったかわからないけど、これ食べて元気だしな?」
手を震わせながらトロッタ煮に箸を伸ばす。
ほぐして口へと運んでいく。
一口頬張ると頬が緩む。
「えぇぇぇっ! うますぎる!」
無我夢中でトロッタ煮とご飯をかき込んでいく。
あれ? 足りなかったかな。
お代わり欲しそうだ。
いったん厨房へと戻り。
別の茶碗へご飯をもって持ってきた。
「あいよ。お代わり」
「えっ?」
驚いている様子だ。食べると思ったのだが。
「食べないか?」
「食べます! 食べます!」
下げようとするが、食べるという。
茶碗を差し出すと、またガツガツと食べ始めた。
しばらくご飯を食べていなかったのだろうか。
相当お腹がすいていたようだ。
見た目は二十台前半くらいだろうか。
冒険者というわけでもなさそうだし。
何があったのかもわからない。
ただ、この感じは誰かが亡くなったとしか、俺には思えなかった。
大事な人が亡くなってしまったんだろう。
だったら、食事も喉を通らないよな。
それは仕方ない。
こんなに食べるなんて、どれだけご飯が喉を通らなかったのか。
ここに来て、少し暖かい心に触れてくれればいいのだが。
「ふぅぅ。お腹いっぱいだぁ」
満足したように天井を見上げる。すると、目尻から雫が零れ落ちた。
「何があったのかわかりませんが、さぞお辛かったでしょうねぇ」
「えぇ。辛かったです。本当に。身を切り裂かれる思いで……」
「あぁ。身近な人を亡くすとねぇ」
「……?」
なんか不思議そうな顔をしている。
変なことを言っただろうか。
「なんのことです?」
「えっ?」
「あいつが……オレの親友が……オレの彼女を奪ったんです」
あっ。そういうやつ?
「クソッ! なんであいつなんだ!」
「ま、まぁ、落ち着いて。深呼吸しましょう。女性なんてたくさんいますよ?」
そんな無責任な言葉を口に出してしまった。
視線はアオイに集中する。
「なんてお綺麗な。あなたの名前は?」
「私? 私はアオイですわ」
「あぁ。なんて可憐な名前だ。透き通っている湖のように静かで……穏やかだ」
何言ってんだ?
この人、本当に大丈夫かな?
「リューちゃーん。きょうのおひるはなんですか?」
リツが元気よく入ってきた。イワン、サクヤと続く。
「はぁぁっ⁉ なんて可愛らしい人だ! お名前は?」
「ウチ? サクヤですけど?」
「あぁぁ。なんて華やかで美しい、満開の花道のような名前だ」
サクヤの前に膝をついて拝んでいる。
「この人、誰なんですか?」
「いやぁ。知らない人?」
「じゃあ、追い出しますか?」
サクヤはこういう手合い、嫌いだからなぁ。
「ぜひ、お二人ともお近づきになりたい!」
「「無理です(わ)」」
男は両手両膝をついて絶望のポーズをしている。
「なんかフラれた」
こういう人か。まぁ、笑えるけどね。
「小硬貨五枚になりますわ」
「えっ?」
「定食、食べましたわよね? まだここにいるなら、もう五枚払ってくださる?」
「い、いや。帰るよ。あのー。でも、客としてなら来ていいよね?」
「……お金を払ってくれるなら、いいですわ」
「じゃあ、また来ます!」
土砂降りの中をスキップしながら帰っていった。
変わった人だったけど、あのくらい面白い人がサクヤたちには必要かもな。
なんて無責任なことを考えていた。
二人に睨まれていたのは、気のせいだと思いたい。
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