願いをかなえた悪魔

木山喬鳥

 



 

  

 悪魔に会った。


 例え話じゃなくて、おとぎ話の方のヤツだ。

 看守の姿形なりをした平凡な顔の男だが、悪魔だと自己紹介する前に扉をすり抜けて監房へ入ってきたから、恐らくウソじゃないんだろうな。

 悪魔は丁寧に挨拶をした後、私に会いに来た理由を告げた。


「小生は、魂と引き換えに願いを叶える悪魔なんですけどね。最近、間抜けな人間と契約してしまいましてねぇ。その契約者がアナタを殺せという願いを言ったもので、こうして伺った次第なんですよ」

「────私を? この私を、か?」


 腹を抱えるっていうのは、こういう事だったと思い出した。

 いや笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだ。


「死刑囚の私を? 放っておいても、やがて処刑されるのに? その誰かは自分の魂と引き換えに私の死を願ったって言うのか?」

「ええ。その通りです。滑稽ですよね。契約者はきっとアナタの近況を知らなかったんでしょう。なにせ、その人は中国の僻地で寝たきりになっていましたからね」


 中国か……なるほどな。言われてみればあの国にも長く暮らしていたな。


「アンタが契約したってのは、誰なんだ?」

「もちろん教えられませんよ」


 単純にマヌケが誰かを知りたかっただけなんだが、残念だ。自力じゃ自分を殺そうとしているヤツを思いつけそうにない。私は生まれつきの悪党だ。該当者を絞り込むのは、ムリだろう。それに最近は物忘れが酷くなる一方だしな。


「アナタのもとへ伺いました理由は、殺害対象であるアナタの状況ではなくてですね。契約の内容が悪魔のルールに反していることなのです」


 そもそも契約する悪魔というのは────と、男が話し始めたときにピンときた。


「ああ。たしか人間を自分の手では殺せないんだったな?」

「なんと! 何故にアナタは悪魔のルールをご存知なのですかッ!」

「……悪魔なら、前にも会った事があるんだ」


 悪党と悪魔は職種が近いからな。まれに会うこともあるさ。

 私も昔はよく周りのヤツから悪魔と呼ばれたもんだよ。


「それで? アンタは、私をどうするつもりだ?」

「どうもしやしませんよ」


 私に手出しするつもりは、無いのか。意外だな。


「こうして傍にいればアナタは数日後に死にますから」


 悪魔の傍に長くいるだけで人間は死ぬのだと、悪魔の毒気だか魔力だかに人間は長く耐えられないと、男は続けた。

 これは知らなかった。


「居るだけだとルール違反には、ならないのです。ええ。小生は何もしません。アナタが勝手に死ぬだけですから」

「ずいぶん手を抜いた仕事をするんだな」

「まぁそうですねぇ。では……そう。小生と、お話でもしましょうか? 言葉を交わす相手が自分を殺しに来た悪魔でも構わなければ、ですけどねぇ」

「だとしても楽な仕事だ。私とお喋りするだけ、とはな」

「なんと! アナタは悪魔と。自分を死なせようとする悪魔と、雑談するつもり……なのですか?」



 こうして。私と悪魔とが差し向かいでお喋りする日々が始まったんだ。

 悪魔は、二日と間を空けずに私を訪ねる。顔を見せる度に姿を変えて来た。今日は道化師の格好だ。

 悪魔との会話は途切れることなく続く。

 コイツは、口がうまい。いつの間にか話に引き込まれていた。


 もちろん、言うまでもなく悪魔の姿は私にしか見えない。

 第三者から見れば、私は独りで宙に向かって話すヤバいヤツだろう。

 だけど死刑囚が見えない相手に話しかけているなんて事は、珍しくもないらしい。ここの看守も見て見ぬ振りだ。

 私自身、この悪魔が自分の妄想でないとは言い切れない。

 今だって半信半疑だ。だけど、とりあえずの暇潰ひまつぶしにはなるんだ。


「それでアナタは、どんな犯罪をしでかして、死刑などという判決を受けたのです?」

「殺人……だとさ。もちろん私は、やってないし、認めてもいない。冤罪だ」

「ええ、そうでしょうとも。殺人なんて人間のすることじゃありませんからね」


 笑顔で肩をすくめている。悪魔も冗談を言うんだな。


「そうさ。私は詐欺師でな。殺しは専門外だよ」


 親指を首にあてて横に引くゼスチャーをしてみせる。


「詐欺師なんだが、詐欺で捕まった事はない。殺人をでっち上げられるまでは、犯罪歴自体がなかった」

「それはそれは。アナタは凄腕だったのですねぇ」

「騙すのは、得意な部類だったよ。自分自身だって騙せていたくらいだ」


 コイツ……私の話を全然信じてない顔だな。どうでもいい事だがな。


「それは怖い。小生も気をつけないといけませんね……あれ? ではアナタは、どうして殺人で捕まったんですか」

「簡単な話だ。私よりも凄腕の詐欺師に騙されたのさ」

「なるほど……あぁ、すみません。先に言っておきますが……」

「願いの対象になった人間は悪魔と契約できないルールがあるんだろ?」


 当然だろう。そこは制限をつけないと、不利益を誰かに押し付け合うババ抜きじみた契約の堂々巡どうどうめぐりに陥るだろうからな。


「話が早くて助かります」

「仕返しも脱獄も意味がない。私はもう直に何もわからなくなる。ここの病気なんだ」


 私が自分の頭を指差すと、男は笑顔で肩をすくめる。他人の悲しい身の上話を聞く態度が、流石に悪魔だ。



 数日と、言っていたが、もう一週間ほど取り留めない話を繰り返している。

 雑談に興じるなんて、いつ以来だろうか。

 ともかく話していれば、気が紛れるな。助かる。


「地獄は良いですよ。退屈しない。なにせ周りには、悪党しかいないんですからね。スリル満点ですよ」

「違いない。良い話を聞いた。あり────」

「ちょッ、ちょっとお待ちくださいッ。まさかアナタ、お礼とか感謝とか言うつもりじゃないでしょうねッ?」


 そうだった。つい言葉に出しそうになった。忘れるってのは困ったもんだ。


「悪かったな。アンタみたいな契約する悪魔は、会話の中でお礼を言われたり感謝されたりしたら、その分だけ百年くらいは地獄へ帰れなくなるんだよな」

「ええ、頼みますよホントに。今度そんな忌々いまいましい事をしそうになったらお喋りは取り止めですからね。姿を消して無言でアナタの近くにいることにしますよ」

「それは……気持ち悪いな。勘弁してくれ。もうしないよ。気をつける」

「小生の様な者にとっては、地上にいるだけで辛いんですから。地上は寒くてかないませんよ」


 悪魔も現場仕事は大変なんだな。


「地獄は、そんなに暖かいのか?」

「常夏ですよ! 硫黄だって溶けているのですから。聖書にだって書いてあるらしいじゃないですか?」


 硫黄の融点と沸点から考えたら、気温は楽に百度を越えて、四百度くらいまでありえるな。私には暑過ぎる。


「ちょっと。そのパタパタ手を振るゼスチャー止めてもらえます? 少しの風でも寒いんです。全く身振りの多い人ですね」

「悪かったよ。自分もいつか行く場所がそんなに暑いと考えたらつい、な」

「でも、天国にくらべたらずっと涼しいらしいですよ。当然小生は天国なんて行ったことがありませんが、そういう話を書いたSF作家がいるんですからね」


 ────つまり地獄は天国よりずっとクールなわけですよ。

 そう屈託無く笑っている。変な悪魔だ。

 私は嘘や狂気や暴力の気配に敏感だ。そういう世界にいたからな。

 目の前のコイツには、そういった暗い気配がない。契約する悪魔がこんな朗らかでいいのかね。



 しばらくして────

 悪魔が死に神の格好をして来た。

 フードを被り、御丁寧に大きな鎌まで手に持っている。

 ────わかりやすい。予想よりも長かったが、とうとう今日が私の命日らしい。


「今日でお喋りは、終わりなのか?」


 まだしも頭が働くうちに終わりが来て良かったよ。死刑の執行が後二ヶ月のうちになかったなら、自分で自分の始末をするつもりだったしな。


「ええ。あと数分、というところですね」


 自分を殺そうとする相手がいて良かった。

 私を誰にも相手にされず朽ちて行く、取るに足らない存在ではなく、魂と引き換えにしても殺して欲しがる存在────そう思うヤツがいて良かった。


「最期に、何を話しますか」


 殺しにきたのがこの悪魔で、人間と話したがる悪魔で良かった。


「じゃあ。私が天国に行けるように、お祈りでもあげてくれ」


 何で親指を立てているんだよ。お祈りなんてできないだろうに。


「けっきょく、最期までくだらないお喋りばかりで、静かに過ごせなかったが……」


 話せて良かった。

 まさか誰かが私の今際の際に、いてくれるとはね。


「それが、私に相応しい終わり方かもな」


 騙す気もなく。利害も図らずに、ただ話すのは何年ぶりだったろう?

 でもなんでコイツ、ずっと悲しそうな顔をしているんだ? 契約が完了したんだ。満足だろうに。

 まさか…… 


「どうした悪魔……私は、何か良くない言葉なんて言ってないだろう?」

「ええ。アナタは、感謝の類の言葉なんて言っていませんよ」

「そうか……それなら良かった……」


 悪者にも悪者なりの慰めがあって良かった。

 自分にまだそんな感傷が残っていたと知ることが出来たのも、良かった────最期までつきあってくれてありがとう。心の中でそう呟いた────途端に身体中の力が抜けた。

 頭が、ガクリと下がる。いよいよ終わりらしい。


「……なぁに……地獄でまた、すぐに……会えるさ」

「どうでしょう? 小生、すぐには帰れなさそうですよ……」


 もうなにも聞こえないし、見えない────ただ暖かい……手、か? ────アイツが握っているのか。まさか、な。


「ほらアナタ、握った手をもう一方の手で握る中国での感謝を表す仕種をしている。ダメだと言ったのに。自分の気持ちを隠せないとは、本当に凄腕の詐欺師だったのか疑わしく思えますよ……いや、せめてもの意趣返しに、意図してやったのでしょうか?」


 悪魔の手も……暖かいんだな………


「なんでアナタ死ぬのに、笑ってるんですかね。次に会ったら、教えてくださいよ?」

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