第16話 ナタールの荘園屋敷《マナーハウス》
セレファイスの女王クラリス陛下が離宮になさっていらっしゃるナタールの
「常世、フランス北部にソンム河というのが流れているだろ。こないだの《第一次世界》大戦で主戦場になったんだが、英連邦だけで十万、仏軍で五万、独軍で十六万の死者・行方不明者がでただろ? クラリス陛下はこのうち、英連邦軍将兵十万を、こっちの世界〝幻夢境〟へ転移させたんだ」
「そんなことが……」
「もともと女王はコンウォールの聖女だ。何らかの代償を踏んで、彼らを救い、セレフィスに移住させたと聞いている」
ムル大尉は女王の応接間には入らず、ロビーに下がりました。
女王クラリス陛下との会話は、これまで訪ねた
ただ接客間の卓を挟んだ椅子で対面しているティアラの貴婦人が立ち上がって、私のところへやってくると、自らの額を私の額に当てて、
「
深淵のなかで篝火が照り出したのは数百メートルにも及ぶ巨大な、
「巨大な蛸のような生き物は旧神たちによって知性を奪われた魔皇アザートス、ムンクの絵の男のような人もどきはやはり知性を奪われた眷属神たち、そして唯一いる人間こそ、かつて幻夢境随一の博識を歌われた、大賢者エイボンの成れの果てです」
「どうしてこんなことに?」
「這い寄る混沌の二つ名をもつナイアルラトホテップは、旧神から唯一知性を剥奪されることを逃れた一柱で、他の旧支配者たち――知性を剥奪された魔皇以下の旧支配者層
――のメッセンジャーを名乗っていますが、実際のところは軍艦や航空機のような兵器として扱っている。……生ける屍と化した魔皇ですが、その通力はいまだに強大で、カダスに住まうとされる数多の神々すら足元にも及ばず、カースト底辺層の神格に過ぎません」
「つまるところナイアルラトホテップこそ、旧支配者たちの陰の盟主で、全能たる旧神に抗う最後の一柱で、彼が再構築した旧支配者世界のカースト内情が、旧神に漏れるのを警戒しているということでしょうか?」
女王陛下はためらい気味に、
「かの旧支配者は私の前に、思わず見とれてしまうような、若い黒衣の貴紳の姿で顕現いたしました。そして私に、できる限り深淵をのぞかぬようにと忠告したのです」
「なぜのぞいてはならないのでしょう?」
「のぞくなと言われればのぞき、語るなと言われれば語りたくなるのが人の
「なんのため?」
「彼にとっての狩りとはゲームであり、愉悦なのだと判断されます」
「お話しが真実だとすると、クラリス陛下の御身に禍が降り注ぐのでは?」
「そうかもしれません。ですがふと、幻夢境に転移してきた聖女たちのなかで、もっとも影響を与えそうな貴女にこそ、私がもつ知識をお教えすべきかと、ふと考えましたの」
お茶会がお開きになったとき、セレフィスの女王が、
「聖女片帆は今回の冒険で通力を弱めている。常世への帰還転移をなさるならば、お連れの方が持っていらっしゃる〝銀の鍵〟の使用が必要でしょう。それから、近道をお使いなさいな」
接客室の四方の壁にはいくつものドアがあり、クラリス陛下がその一つの前にお立ちになり、〝銀の鍵〟所持者の吉田先生に示されます。鍵穴にそれが差し込まれ、吉田先生、寧音さんに続いて私が退室しました。
*
私たち三人が戻った常世の場所は、事もあろうに、
「お二人に私は、警告いたしましたでしょ?」
――ウェッジウッドのティーカップを手にしたその人の笑顔がなんか怖い。
私が肩をすぼませていると、
ただ吉田先生はいつものように飄々として、頭を掻きながら、
「まあまあ、校長先生、不可抗力の事故ついでのレクリエーションといいますか、我々のプライベートなことですし」
「今回だけは特別に見逃しましょう。――次はありませんからね」
こうして私たちは逃げるように校長室から退室したのでした。
*
岐門高等女子中学校古典代用教員として派遣されていた内務省神社局および文部省宗教局の合同特務室捜査官・吉田兼好氏が、駆逐艦「
宇宙の彼方を起源とする神々を
今まで大人しくしていた半魚人どもが、人間の婦女子をさらい繁殖行為をするなど急に活発化したのは、主人であるダゴンをけしかけた者があったからだ。それは唯一知性剥奪を逃れた〝這い寄る混沌〟の二つ名をもつナイアルラトホテップという旧支配者の存在である。
(『大日本帝国海軍極秘文書・第S020901‐2330‐0002号』より)
ナタールの
https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093089065199404
聖女事変 五色泉《ごしき・いずみ》 @IZUMI777
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