第15話 クラリス女王

 セレファイスの同名王都の港湾に臨んだ日本町の旅籠二階の窓を開けると、五百トンを超える色とりどりのガレオン船が停泊し、運河には五十トン級のキャラベル船のほか、おびただしい数のゴンドラが往来しています。


 岐門高等女子中学校で英語を教えている私・千石片帆せんごく・かたほと、受け持ちクラスの生徒・物部寧音もののべ・ねねさんは二人部屋に、吉田兼好先生は隣部屋に宿泊しています。

 吉田先生が、「お嬢様方、朝飯に行かない?」と私たちのお部屋に入って来られると、浴衣姿の私が欄干にもたれ団扇で扇っているのを見て、サングラスをずり上げ、「おお、まるで黒田清輝の『湖畔』の絵みたいだ」とおっしゃいます。


「おはよう存じます、吉田先生。朝食後の予定ですがまず、町の神殿・大神官様にご挨拶をして、それから、黒い奴隷船についての情報収集をしたいのですが、異論ございませんか?」

「臣・吉田がおひい先生のなさいように、逆らう道理もございません」

「それは重畳ですわ」


 朝餉は囲炉裏部屋で、焼いたあじの開きと沢庵漬け、小松菜のお味噌汁を戴きました。それから和風の旅籠を出た私たちは、日本人町市門からセレファイスの本町に出て、円柱通りを通り、トルコ石の神殿を訪ねます。


     *


 東北には秋田美人と呼ばれるタイプの女性がいらっしゃいます。ぱっちりとした双眸で色白の肌――洋風の顔立ちに近い、と呼ばれる顔立ち。――寧音さんは典型的な北方系の美少女で、道行く同性すらも振り返っては溜息をついていらっしゃいました。


おひい先生、トルコ石の神殿にはどんな神様が祀られているの?」

「ナス=ホルタースという獅子に乗った一柱で、――かつて月の神とされ、今は勇猛と復讐を司る男神おのこがみだと聞いています」


 神殿では蘭の花冠を被る八十人の神官様たちが、奉仕なさっていらっしゃいます。そのお一人に、金貨一枚のお布施を手渡すと、蘭の花冠を被った大神官様がおわす広間に、通されました。


 主席におわすお年を召された小柄な大神官様が、

「聖女・片帆殿よ、よく来られた。儂に訊きたいこととは?」

「この世界・幻夢境についてのことわりをお訊ねしたいのです。《大いなるもの》・八百万やおおろずの神々がおわすカダスを御存じでしょうか?」

「カダスに住まう八百万の神々は気まぐれなうえに、今は旧支配者とも呼ばれる蕃神ばんしんの保護下にある」

「恐れながら蕃神とはどのような存在なのでしょうか?」


「蕃神には宇宙を創造した主神たち・旧神と、その眷属神・天使である旧支配者の二種が存在する。――旧支配者たちの中には、魔皇アザートスを筆頭に、旧神に匹敵する強大な通力をもった者たちがおり、とって代わろうとした」

「反乱の行方は?」

「旧神が勝利し、魔皇以下旧支配者たちは知性を剥奪され、いくつもの辺境星域地下に封印された。例えば常世《地球》の海底に封印された旧支配者には、半漁人マーマンを奉仕種族とするダゴンという一柱がおる。」

「知性を剥奪されたのに、《大いなるもの》を保護下に置くことなどできるのでしょうか?」

「旧支配者たちは知性を剥奪されてもなお通力は|八百万の神々が束になっても敵わないほどに強大じゃ。――そして知性を剥奪されなかった唯一の旧支配者・ナイアルラトホテップが、各辺境星域に封印されている主君たちを傀儡化、暗躍しておるのじゃ」

 そこにきて聞き役だった吉田先生が、

「ということはそのナイアルラトホテップなる一柱が、旧支配者たちを実質的に操り、八百万の神々を隷属させている構造になっていると……?」


 大神官様が親身になって忠告なさって下さっているのが伝わります。

「――ウルタールの大神官アタルを知っておろう? アタルの師、エイボンはを知ろうと、禁足地ハテグ=クラ山に入って消息を絶った。――師の命で目を閉じ、耳を塞いで逃がされたアタルも実のところ、の片鱗すら見ておらぬ。――《秘密》を知ろうとすれば神々に消されるのじゃ」

 大神官様が親身になって忠告なさって下さっているのが伝わります。

 私たち三人はトルコ石の神殿を辞去し、市井へと戻ります。すると玄関の列柱の一つにもたれかかった、猫神バステト族の軍人さんが私たちを待っていらっしゃいました。


     *


 ブーツを履いた灰色猫・ムル大尉が、

「昨日、ここセレファイスの駐在武官がウルタールの本部に、定時報告に来て、君たちの所在を教えてくれた。――姫先生は、セレファイスの女王クラリスに会いたいのだろう? 案内してやるぜ」

「――猫神族を特徴づける能力スキル大跳躍テレポーテーション。……女王は、そのようなものを使わないと行けないような場所に住んでいらっしゃるというの?」

「女王の公式な在所はバラ色の水晶でできた《七十の歓喜の宮殿》と、天空に浮かぶ《セラニアンの小塔ある雲の城》の二か所ということになっているが、普段はそのどちらにもいないんだ」

 灰色猫の大尉が両の手を私と寧音がとり、さらに吉田先生ととって円陣をつくります。――そうやって私たちが大跳躍をした先は牧草地でした。地平線の彼方に田舎町が小さく見えています。


 ムル大尉は続けて、

「ナタールの町だ。女王は英国・コンウォール州で少女時代を過ごした。だから町並みも彼の地に似せてあるんだとさ」

 高い尖塔のある町で、駒形切妻屋根の町屋が建ち並び、市庁舎、修道院とつづき郊外に至ります。緩やかな丘陵と谷底には登り下りのジグザグとした坂道が続き、やがて着いた先は絶壁となっており、そこに、灰色をしたゴシック風の荘園屋敷マナーハウスが佇んでいました。


 吉田先生が、

「どうもここは、幽世かくりよのようだね」

 私たちが玄関をノックすると、背の高い老執事が扉を開け、

「聖女・片帆様とご一行の方々、奥の女王が貴女方をお待ちしております」


 セレファイスの女王クラリス陛下は見たところ三十歳くらいでしょうか。身長百六十センチ弱といったところで、その肌は艶やかで大理石のように白く、髪は栗色で波うっている。

 刺繍やレースが施された、深いエメラルドグリーンをした、スカート部が広がる、バロック風ドレスに身を包み、頭には宝石を散りばめた白金のティアラを被っていらっしゃいました。


 ――しまった、私たちの恰好は普段着のままなのに、陛下は盛装していらっしゃる。



クラリス女王の挿絵

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093089159183379

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