77 【完】決算

「あ、そうだ木坂きさか、聞いたか? 渡辺わたなべ、2週間くらい入院になりそうだってさ」

「へーえ?」

 雅之まさゆきの報告にも、あまり感銘は受けなかった。けがをしたことは気の毒ではあるが、あまり渡辺に好意的にはなれない。登校してきて、自分のいない後夜祭がどれだけ盛り上がったかを知ったら、さぞ悔しがるだろう。だが麗人れいとにどうにかできるものではない。それとも、登校してくる頃には、もう後夜祭のことなどどうでもよくなっているだろうか。まあ後夜祭よりも、雪乃ゆきのに関するペナルティを心配した方がいいだろうが。


 そうしているうち、クラスステージ総監督の津島つしま亮子りょうこや、黒川くろかわを含めた大道具係の男子数人、教室企画「シャングリラ」の内装を手がけた森林もりばやし、体育委員などもやって来て、来た者からそれぞれ作業を始める。大道具係は、片付けきれなかった大道具や背景のばらし作業だ。くぎ抜きや電動ドライバーが勢いよく稼働している。レンタルショップに返却する道具をまとめた生徒数人が「これで全部か」と最終チェックをしている。ショップからトラックで引き取りに来てくれるサービスもあるが、自力で店に運ぶと三百円の割引があるのだ。一方で、自力では店まで運べないものもあるので、担当者はリストと見比べながら「だからこれは違うじゃん」などとわめいている。さわがしくなった教室に、加藤かとうもいつの間にか戻って来ていて、麻衣まいと一緒に「シャングリラ」の売り上げの計算をしている。それにしても黒川の格好は、学祭中の「仮装」から、ホッケーマスクを外しただけ、にしか見えない。


 麗人と黒川は聞きそびれていたが、文化祭のクラスステージ大賞2年生の部は、1組の「アルパカ村」だったらしい。4組の演劇はいろいろと詰めこみすぎのきらいがあったので、まあ仕方ないかと、クラスの大半が納得していた。総監督をつとめた津島亮子さえ、き物がおちたとでもいうのか、「ちょっとやりすぎたかな」とあっさり結果を受け入れていた。そして教室企画大賞2年生の部は、2組の「ぬいぐるみ喫茶」だった。ええっという声も多かったが、多くのクラスがハロウィンを意識して怪奇方面に走る中、ぬいぐるみがもたらす癒しのベクトルが好評だったらしい。ホストキャバクラは……まあ、イロモノ扱いだったのだろう。どちらも残念な結果だったが、存分に楽しんだ4組の面々は、さして落胆もせず、みんないい笑顔で写真を撮っていたらしい。

 体育祭のアイアンレースについて、特に黒川に失格の宣告はなかった。野島のじまは異議をとなえなかったようだ。もしかしたら、審判に申し出たら黒川に仕返しをされるとでも思ったのかもしれない。たとえ失格になっても、黒川にはどうでもいいことだったので、野島にはつくづく気の毒な結果であった。


 それでも――麗人は、満足していた。学祭を楽しめたことに。体育祭を壊さずにすんだことに。たとえ自分がろくに参加できなかったとしても。いろいろな事件をひっくるめて、これが今年の学祭だったのだ。二度と来ない、今年だけの学祭……。


「で、どうだったの、売り上げ」

 2日目店長のにこにこした先から、1日目店長の麻衣と、2年4組財務管理の加藤が、同時にきっとにらみつけてきた。

「赤字!」

「ええっ、なんで? お客さんもけっこう入ってて……」

 困惑する麗人の頬に、麻衣が、明細表でぴたぴたと触れた。加藤もあきれ顔だ。

「木坂くん、シャンパンタワー、サービスしすぎ」

「2日間で7回はやりすぎでしょ」

「これ省いて計算すれば、健全な黒字だったのにねえ」

「だいたい、客の注文じゃなくて、店のサービスでやったのが響いたのよね」

「……がーん…………お客さんみんな喜んでくれたから、つい、さぁ……」


 がっくりしながらも麗人は、目の端にとらえてしまった。これまで麗人に対して当たりのキツイばかりだった加藤の、目元と唇の一部がほころんでいるのを。

「……いやいや、オレもまだまだ女の子修業が足りないねえ」

「その前に、経済とか会計について修行なさったら?」

「……………………ハイ」

 麻衣にやりこめられ、麗人は一言もなくこうべを垂れた。雅之が、くっくっと笑っている。加藤は、表情の選択に困りながらも笑わずにはいられない、という表情だった。

 黒川が向こうで、知らん顔をしながらも、けッ、とつぶやく。


 タキシードをまとったマジシャンの卵は、もう何の変哲もなくなった天井を見上げた。……今日は、文化祭に招待できなかった女の子たちに、埋め合わせの連絡をたくさんしなくてはならない。黒川と一馬と江平と、定食屋で開く「慰労会」の日程調整も必要だ。黒川が、焼肉定食のある店でないといやだと言い張ったためである。……そういえば、黒川に文化祭のステージにつき合ってもらった報酬は、焼き肉屋を要求されていた。お楽しみがたくさんだ。今のうちにしっかり労働しておくか。麗人はひとつのびをして、教室の隅のロッカーからホウキを取り出した。



 開け放たれたガラス窓から、晩秋の朝の清涼な風が流れ込む。大騒ぎの後の、静かというより気の抜けた独特な空気が、校舎を漂っている。明日になればここはまた、大勢の生徒たちの喧騒に満たされるのだろう。だが、祭りを終えた明洋めいよう高校は、さしあたり今日のところは、しばしの平穏の中、迫りくる11月からやや冷たい空気を吹きつけられながら、まどろみの中から出てくることはなさそうだった。




(了)

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学祭では静粛に! 三奈木真沙緒 @mtblue

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