第6話 亡霊の声

玲奈は、中村から聞かされた真実を受け止めきれずにいた。オフィスを出た彼女は、まるで現実の重みに押しつぶされそうになりながら、無意識のうちに足を動かしていた。足元に広がる東京の街は、彼女を包み込むようにネオンの光を放っているが、その光さえも今は遠く、彼女の心には届かない。中村の言葉が耳の奥にこびりつき、頭の中を占拠していた。


「彼らは国家のために死んだ。そして、私たちはその死を無駄にしないために、さらなる犠牲を払わなければならない。」


中村の言葉は冷たく、何の感情も感じさせないものだった。彼が語ったのは、別班が国の安全を守るために必要だとされる「犠牲」についてだった。失踪したエージェントたちの死は、彼らのミッションの一環であり、国の利益のために隠蔽されたということだった。しかし、その言葉には、かつて玲奈が信じていた正義や誠実さのかけらも感じられなかった。


彼らの死が無意味ではなかったと中村は言ったが、その背後には国家を操る闇が隠されていた。玲奈は、自分がその闇の一部となりつつあることに気づき、震える手で自分の胸を押さえた。彼女の中で渦巻く疑念と怒りは次第に膨れ上がり、何かをしなければならないという焦燥感だけが彼女を突き動かしていた。


その夜、玲奈は一睡もできなかった。彼女は何度も中村の言葉を反芻し、別班の本当の姿について考えた。しかし、答えは出なかった。ただ、彼女の心の中で広がるのは、別班という組織がかつて信じていたものとは全く異なるものであるという確信だけだった。彼女は再び、ブラックローズから託されたUSBメモリを手に取り、その中に答えがあることを信じて、解析を続けた。


翌朝、玲奈はオフィスに戻り、決意を新たにした。彼女は中村から聞かされた真実を受け入れたくはなかったが、それが現実である以上、自分にできることを見つけるしかなかった。彼女は、失踪したエージェントたちの最後の任務について調べ続けた。そして、その中で一つの奇妙な通信記録に行き着いた。


その通信記録は、玲奈が中村のデスクからコピーしたデータの中に含まれていたものだった。内容は、暗号化されており、普通の方法では解読できないようになっていた。しかし、玲奈はその暗号に見覚えがあった。それは、かつて別班の訓練で教えられた古い通信プロトコルだった。玲奈はそのプロトコルを用いて、通信記録を解読し始めた。


画面に映し出された文字列は、玲奈の知識を駆使してようやく意味を成し始めた。その瞬間、玲奈は言葉を失った。そこに記されていたのは、かつての別班のエージェントであり、彼女が最も尊敬していた人物——山崎徹の名前だった。


「山崎徹……生きているの?」


玲奈は思わず声を出していた。山崎徹——彼は別班の中で伝説的な存在であり、数々の困難な任務を成功させたことで知られていた。しかし、彼は数年前の任務中に命を落としたとされていた。その彼が、今も生きている可能性がある——玲奈の心は一瞬で乱された。


玲奈は急いで残りの通信記録を確認し、山崎が最後に残した座標を突き止めた。それは、東京の郊外にある廃工場だった。彼女はすぐにその場所へ向かうことを決意し、車に飛び乗った。もし山崎が生きているのなら、彼こそが玲奈に答えをもたらしてくれるかもしれない。彼の口から語られる真実こそが、玲奈が求めていたものかもしれない。


廃工場に到着した玲奈は、荒れ果てた敷地を見渡しながら慎重に足を進めた。工場はかつての栄光を失い、今では時間の流れに取り残されたように朽ち果てていた。窓ガラスは砕け、風に乗って舞い込む埃が静かに床を覆っている。玲奈はその静寂の中、山崎が残したであろう手がかりを探し始めた。


工場の奥に進むと、玲奈は一つの部屋の前で足を止めた。ドアは半ば開かれており、かすかに冷たい風が吹き抜けていた。玲奈は拳銃を構え、慎重にその部屋に足を踏み入れた。


薄暗い部屋の中には、僅かな明かりが差し込んでおり、そこに一人の男が座っていた。背中を向けたその姿は、どこか懐かしいものであり、玲奈は息を呑んだ。彼は動かないまま、ただ静かにそこに座り続けている。


「山崎徹……?」


玲奈がその名を口にした瞬間、男はゆっくりと振り返った。彼の顔は深い皺に刻まれていたが、確かに彼は山崎徹だった。玲奈の胸に込み上げる感情は、言葉にできないほど強烈だった。彼が生きていること、それだけで玲奈の中にあった全ての疑念が消え去るかのように思えた。


「玲奈……お前がここに来るとは思わなかった。」


山崎の声は、かつての力強さを失っていたが、その中には依然として玲奈が尊敬していた鋭さが残っていた。彼はゆっくりと立ち上がり、玲奈に近づいた。その目には、何かを悟ったような光が宿っていた。


「あなたが本当に生きていたなんて……どうして……」


玲奈は涙を堪えながら問いかけた。山崎は彼女の肩に手を置き、静かに言葉を紡いだ。


「玲奈、私は別班を裏切ったわけではない。ただ、別班があまりにも深い闇に飲み込まれたことに気づいてしまったんだ。だから、私は姿を消した。そして今も、こうして影として生き続けている。」


その言葉は、玲奈の心に重く響いた。彼が抱えていた闇の深さ、その覚悟が痛いほどに伝わってきた。彼が語る真実は、玲奈がこれまで信じてきたものとは全く異なるものだった。


「お前にだけは、この真実を知って欲しい。そして、お前ならこの闇を打ち破ることができるかもしれない。」


山崎はそう言って、玲奈に一枚の紙を手渡した。それは彼が長年かけて集めた、別班の裏の顔を暴くための証拠だった。玲奈はその証拠を手にし、これから自分が果たすべき使命を改めて自覚した。


「山崎さん、私は何をすればいいんですか?」


玲奈の問いに、山崎は微笑んだ。その微笑みはかつての彼の姿を彷彿とさせ、玲奈の心に勇気を与えた。


「お前なら、わかるはずだ。私たちは影だ。だが、その影が光を照らすこともできる。お前の手で、その光を取り戻してくれ。」


山崎の言葉に、玲奈は静かに頷いた。彼女はその使命を胸に刻み、これからの戦いに臨む決意を固めた。だが、その戦いがどれほどの犠牲を伴うのか、彼女はまだ知る由もなかった。


玲奈は、山崎の手から受け取った証拠を胸に抱きしめ、廃工場を後にした。その背中には、かつての彼女とは違う強さと覚悟が宿っていた。彼女はこの闇を打ち破り、真実を明らかにするために、さらなる戦いに身を投じることになるだろう。

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