第3話 消えた影
玲奈がペトロフを葬ってから数日が経過した。任務は成功し、彼女は次の指令を待つ日々を送っていたが、心の奥底では常に不穏な気配が彼女を捉えていた。ペトロフの最期の言葉、「影の中に真実がある」が、まるで呪いのように玲奈の思考にまとわりついて離れない。彼が何を意味していたのか、それを考えれば考えるほど、玲奈の胸には得体の知れない不安が膨らんでいく。
その日、玲奈は別班の活動拠点に呼び出された。無機質なコンクリートの壁に囲まれた地下の部屋。人工照明の冷たい光が彼女の顔に影を落とす。部屋の中央には、玲奈を指揮する上司、中村陽介が待っていた。彼の表情はいつも通り冷静で、感情を表に出さないが、どこかいつも以上に硬いものが感じられた。
「田島、少し話がある。」
中村の低く抑えた声に、玲奈はわずかに眉をひそめた。彼は通常、玲奈に個人的な話を持ちかけることはなかった。それが彼の信条であり、任務に私情を挟まないのが「別班」のルールだったからだ。だが、今日は違う。中村が何かを隠しているように思えた。
「何か問題が?」
玲奈は無表情のまま問いかけた。中村は一瞬、言葉を選ぶように視線を彷徨わせたが、やがて重々しく口を開いた。
「君が知っているかどうかはわからないが、最近、別班のエージェントが数名、失踪している。いずれも極秘任務に従事していた者たちだ。」
玲奈はその言葉を聞いて、胸の奥が冷たくなるのを感じた。失踪——それはただの偶然ではない。別班のエージェントが任務中に姿を消すなど、通常ではあり得ないことだった。彼らは国家に対して絶対の忠誠を誓い、任務のために命を賭ける覚悟を持っている。しかし、消えた者たちは、まるでこの世から存在ごと抹消されたかのように、跡形もなく消えてしまったのだ。
「彼らの行方は?」
玲奈の声は冷静だったが、心の中では激しい動揺が押し寄せていた。中村は、深い溜息をつき、玲奈に資料を差し出した。
「これが彼らの最期の任務記録だ。全てはこのデータに残されているが、問題は、彼らの記録がすべて消されていることだ。彼らの存在そのものが、我々のデータベースから完全に削除されている。」
玲奈は資料を手に取り、目を通した。そこに残されているのは、わずかな手がかりに過ぎなかった。失踪したエージェントたちの名前、彼らが最後に関わった任務の概要——そしてその全てが途切れていた。まるで彼らが初めから存在しなかったかのように。
「誰がこんなことを?」
玲奈は思わず口をついて出た。その問いに対し、中村は目を閉じ、首を横に振った。
「我々の中に、何者かがいる。彼らを消したのは内部の者だ。だが、まだその正体は掴めていない。」
内部の者。玲奈はその言葉に背筋が凍るのを感じた。仲間だと信じていた者たちが、裏切り者だったのか。それとも、何かもっと深い陰謀があるのか。玲奈の頭の中で様々な疑念が渦巻く。
「君に調査を任せたい。失踪したエージェントたちの行方を追ってほしい。そして、内部に潜む裏切り者の正体を突き止めるんだ。」
中村の声には、普段以上の重みがあった。玲奈はその視線を受け止め、無言で頷いた。彼女にはもう選択肢はなかった。これまで通り、任務を遂行するだけだ。ただし、今回は違う——自らの仲間を探し出し、その真実を解き明かすという、これまでとは全く異なる戦いが始まる。
玲奈はその日から、失踪したエージェントたちの行方を追い始めた。だが、調べれば調べるほど、彼らの痕跡は消され、真実は闇の中に深く隠されていることが分かってきた。情報は錯綜し、誰も信じられなくなり始める。玲奈の中で膨れ上がる疑念——ペトロフの言葉が、再び彼女の頭をよぎる。
「影の中に真実がある。」
もしかすると、消えたエージェントたちは、その真実に触れてしまったのかもしれない。玲奈は一人、次の手がかりを探し、闇の中を彷徨い続ける。しかし、彼女が手にするものは、次々と裏切られる信頼と、仲間たちの無言の叫びだけだった。
やがて、玲奈は気付く。自分もまた、その「影」の中に飲み込まれつつあるのだと——。
彼女が信じていたものは本当に正しかったのか? 今、玲奈はその答えを探し、さらに深い闇へと足を踏み入れる。
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