第2話 ペトロフとの対決

東京の夜は冷たい光に包まれ、都市の喧騒が静まり返るその時間帯、田島玲奈はビルの陰に身を潜めていた。高層ビルの灯りが下界を淡く照らすが、彼女の周囲は深い闇に覆われている。秋の夜風がビルの隙間を吹き抜け、冷えた空気が玲奈の肌に触れるが、彼女の心はそれ以上に冷静で研ぎ澄まされていた。


玲奈は一つ深呼吸をし、身に付けた装備を確かめる。特注のサプレッサー付き拳銃、軽量化された防弾ベスト、そして音もなく動けるように設計されたブーツ。全てが完璧に整えられ、彼女はいつでも行動に移れる状態だった。今日の任務は、国際テロリストであるアレクサンドル・ペトロフを暗殺すること——ただし、誰にも気付かれずに。それが「別班」の鉄則であり、玲奈の任務だった。


「別班」——その名を知る者はほとんどいない。日本政府内でさえ、その存在を疑問視する声がある。しかし、その任務は国家の安全保障にとって極めて重要であり、時には法律さえも超える行動が求められる。玲奈はその中でも精鋭の一人だった。冷静な判断力と卓越した身体能力で、数々の難関任務を成功に導いてきた彼女だったが、今日の任務には何か違和感があった。ペトロフという男がただのテロリストではないことは明らかで、その背後にどんな陰謀が隠されているのか、玲奈にはまだ見えていなかった。


ビルの屋上に設置した監視カメラの映像を確認する。ペトロフは部屋の中で数人の部下を前にして何かを話している。彼の顔には冷酷な笑みが浮かび、その目には計り知れない知恵と悪意が感じられた。玲奈はその表情に一瞬だけ目を細めたが、すぐに冷静を取り戻し、カメラをリセットする。証拠は残さない、それが彼女たち「影」の基本だ。


玲奈は軽やかに屋上からビル内部に侵入した。音を立てず、まるで影が動いているかのように階段を降りる。ターゲットのいる部屋の前で立ち止まり、耳を澄ます。扉の向こうから聞こえる低い声——ペトロフの声だ。玲奈は彼が話す言葉を拾おうとするが、内容までは聞き取れない。しかし、その抑揚から、彼が何か重要な指示をしていることは明らかだった。


ドアのロックを解除するため、玲奈は無音で工具を取り出した。集中力を研ぎ澄まし、一つ一つの動作を慎重に行う。時間はかからなかった。ドアが静かに開き、玲奈は息を殺して部屋に足を踏み入れた。ペトロフはまだ気付いていない。玲奈は一歩一歩確実に距離を詰め、サプレッサー付きの拳銃を構えた。彼の頭部を狙い定め、冷ややかな声で告げる。


「終わりだ、ペトロフ。」


ペトロフが驚愕の表情を浮かべた瞬間、玲奈は引き金を引いた。サプレッサーが発する微かな音と共に、銃弾は確実に彼の命を奪った。ペトロフはゆっくりと、その場に崩れ落ちた。部屋の中は一瞬の静寂に包まれたが、それも長くは続かない。彼の部下たちが何が起きたのかを理解し、反撃しようとしたが、玲奈の迅速かつ的確な射撃により、全てが無駄に終わった。


部屋の中には死体が転がり、血の匂いが漂う。玲奈は一瞬の躊躇もなく、冷たくなったペトロフの身体を見下ろした。彼の顔は死の瞬間に残された恐怖と驚きで歪んでいるが、その口元には微かに笑みが残っているようにも見えた。その笑みが何を意味するのか、玲奈には分からなかった。しかし、彼が最後に呟いた言葉——「影の中に真実がある」——その言葉が玲奈の胸に重く響いた。


玲奈は無線を確認し、任務が完了したことを報告する。しかし、任務が終わったはずの中で、彼女の心に芽生えた違和感は消えなかった。まるで何かがまだ終わっていないかのような、言い知れぬ不安が玲奈の心を捉えていた。彼女はその不安を押し殺し、冷たい夜風が吹き抜ける東京の闇に再び身を隠した。


街は依然として静かで、誰もこのビルの中で繰り広げられた出来事を知ることはない。ただ一人、玲奈を除いて——。


彼女が追うべき本当の「影」とは一体何なのか。玲奈はその答えを見つけるために、再び歩みを進めることになる。

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