02-4.
……黒い霧……。
茜の体を覆うように黒い霧が動いたのをリカは見逃さなかった。
……効果があればいいけど。
茜は厄介な奴らに魅入られている。
それらの声に耳を貸し、怯えてしまった。奴らは人の心の隙を狙い、その生命を貪る。
……社長から狙いを変えたのかな?
それとも別個体だろうか。
社長は数えきれないほどの恨みを買っているだろう。恨みの塊であり、人間を害することだけしか考えない黒い霧は生き物の命を奪う。奪った命を糧に憎しみと恨みを成長させ、暴走をするのだ。
リカも実際に目をしたのは初めてだった。
だからこそ、対処方法が正しい確信はなかった。それでも、見捨てることだけはできなかった。
「後から文句を言わないでくださいね……」
リカは塩の袋を茜に押し付け、自分用に確保した塩を摘み、茜の頭にふりかけた。
……暴言を吐かれるかな。
茜はリカを嫌っている。
リカは茜にとって邪魔だった。
……二橋さん。
茜はリカのことを最初から嫌っていたわけではない。リカが新入社員の頃は、リカのことをかわいがっていた。男前な堂々とした性格と怖気づかない物言いをする茜に対し、リカは憧れを抱いていた。
あの頃の茜の姿はない。目の前にいるのはリカに嫌がらせをした相手だ。
「……最悪」
茜は頭を大げさに振った。
髪には塩が絡みついている。それを払おうとはしない。
「助けてくれてどうもありがとう」
茜はため息を吐いた。
助けの手を差し出してくれると思ってもいなかったのだろう。日頃の行いを考えれば、茜は見捨てられてもおかしくはない。
「どういたしまして。一人でも協力者がほしかっただけですので」
リカは淡々と答える。
茜を気の毒に思い助けの手を差し出したわけではない。そう伝えるような言葉を聞いても、茜は暴言を口にしなかった。
「ああ、そう」
茜は立ち上がる。
憑き物が落ちたかのように、茜は塩の袋を持つ。
「私はアンタの先輩だからね。今回は私がなんとかしてあげるわ」
その表情は自分の評価を上げることだけに執着していた茜ではなく、リカが入社した頃に憧れていた後輩思いの頼れる先輩そのものだった。
……二橋さん。
リカは茜を許せない。
茜が友香に嘘を囁き、リカを追い詰めるように策略していたのは、消えようもない事実だ。
それでも、目の前で立ち上がったのはリカが慕っていた頃の先輩だった。
「後輩を見捨てる先輩なんてありえないわよ。田村さんもそう思うでしょ?」
茜は動けなくなっていた友香を煽るように声をかけた。
他人を煽るのはわざとだ。
そうすれば、効率よく動ける時があると茜は経験していた。ただし、行き過ぎた行為は他人の心に消えない傷を残し、苦しめ続けることになることを茜は気づいていなかった。
「私たちを見捨てるなら、リーダーの資格はないでしょ。それとも、リーダーを返上しますか? 私、変わってあげてもいいですよ」
茜は出世欲を隠さない。
しかし、相手を蹴落とすやり方ではなく、上司に噛みつくやり方だった。媚びを売ることに必死になっていた茜と同一人物とは思えない変わりようだった。
「……そんなこと、しません」
「だったら、さっさと準備をしてくださいよ。リーダーが逃げ腰と後輩の士気が落ちるんですけど」
「わかっているわよ! さっきまで泣いていたくせに、急になんなの!?」
友香は怒っていた。
逃げようとするのは諦めたのだろう。乱暴に塩の袋を掴み、茜を睨みつけた。
敵意が隠しきれていない。
負の感情が募り、いつ、爆発をしてもおかしくはない。それでも、状況が悪いことはわかっているのだろう。
「妙に肩が軽くなった気分よ。これも、鈴木のおかげ?」
茜は友香を相手にしなかった。
意味のない喧嘩をしている時間はなかった。
煽るような言葉を選んでいたのは、一人だけ逃げようとする友香の逃げ道を塞ぐ為だったのだろう。
「偶然ではないですか」
「そうかもね。まあ、いいわよ。それよりも、バカみたいなことをしてくれているアレの対処を優先しなきゃいけないし」
茜は言い切った。
度胸だけは誰よりもある。茜は友香のように逃げようとはしない。
「私のことを頼りにしていいのよ。……いまさら、なにを言っているんだって思うでしょうけどね」
茜は自虐的に笑った。
都合がいい言葉を口にしている自覚はあったようだ。
……二橋さんだ。私が憧れた先輩だ。
許すことはできない。
それでも、リカは泣きそうになりそうになったのを堪えた。
「知ってます」
リカはうまく笑えなかった。
泣きそうな顔になっていただろう。
「二橋さんは、いつだって、頼りにしてきた先輩ですから」
リカの言葉を聞き、茜は目を逸らした。
今までしてきたことを悔やむ時間はない。
茜は今までの振る舞いを挽回するかのように、食事処を睨みつけながら、一歩ずつ前に向かって足を進める。
「バカね」
茜は苦笑する。
取り返しのつかないことをしてしまった。それならば、それを帳消しにするほどの行いをしなければならない。
「……アンタがそういうやつだって、忘れていた私もバカだったわ」
茜は自分の行いを恥じていた。
それでも、リカは茜を許さないだろう。
これは茜の自己満足に過ぎなかった。
「ついてきなさい! 私が先頭を切るわ」
茜は大きな声を出す。
それは自分自身に気合を入れる為だ。
「土下座を求めてくる奴らもいないんだから、なにも怖くないわ!」
茜は自分自身に言い聞かせるように声を上げる。
声は震えていた。立ち塞がっている怪奇現象の恐怖は茜が誰よりも知っている。それでも、日々、対応している好き勝手振る舞い、様々なハラスメントを繰り出してくる客よりもまともな相手に思えた。
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