02-5.

「つまり、あれね! 物理攻撃が効くなら怖いことはないわ!」


 茜は自身の拳に塩を塗り付け、その拳を迷うことなく、座布団の下に潜り込んで逃げようとした黒い靄に振り下ろした。


「        !!」


 聞き取れない悲鳴があがる。


 それは茜が拳を振り下ろした座布団の中が聞こえていた。


 なにかがいる。誰もが同じことを思っていた。


 ……これは、やばいやつなのでは?


 関わってはいけない領域に足を踏み込んでしまった。リカたちを囲い込むかのように、黒い靄たちは座敷から降りてくる。


「にっ、逃げましょう! 囲まれます!」


 リカは反射的に茜と夏鈴の腕を掴み、大慌てでパントリーに退避する。リカに引きづられる形でパントリーに退避した茜と夏鈴は常況を理解していないのか、呆然としていた。数秒遅れてパントリーに逃げ込んだ友香は黒い靄を見たのだろう。顔色が真っ青になっていた。


「お、おいて、いくつもり……?」


 友香はその場で崩れ落ちるように座り込んだ。


「すみません。手が二本しかなかったので」


「わかってるわよ! 三本もあったら――」


 友香は言い淀む。


 あの場に残されたときに友香は見てしまった。


「……あったわ」


 友香は自身を抱きしめるようにしながら、震えていた。


「腕が何本も。腕を掴まれて……」


 友香は見てしまった。


 逃げ遅れた瞬間に見てはいけないものと目があってしまった。それに腕を掴まれ、大慌てで逃げ出したのだ。


 ……最悪。


 リカはため息を零したくなるのを堪え、塩を掴む。


「安全地帯を作った意味がわかってないなら、なんで、言ってくれないんですか!」


 リカは友香を庇わない。


 しかし、この場には後輩もいる。逃げ出すわけにはいかなかった。


「掴まれた場所に塩を塗り込んでください。私は先輩が引き連れてきてくださったお客様の相手をしますので!」


 リカの言葉を友香は理解をしていなかった。

 しかし、相手にしている余裕はリカにはない。


 ……勝てる?


 自分自身に問いかける。


 リカは第六感が優れていた。しかし、心のバランスを崩してから、靄のようなものがはっきりと見えるようになった。それは幻覚ではなく、覗いてはいけない隣り合った世界の生き物なのだと思い知ったのは、数年前に流行した動画を見直したからだ。


 人ではないものは存在している。


 パントリーを覗き込む人形になろうと足掻いている黒い靄を睨みつける。


 ……やるしかない。


 塩を掴む。


 投げつける以外の方法は思いつかなった。


「先輩。一緒にやります!」


「だめです。関わらないほうがいい相手です」


「でも……。後ろから塩を投げて援護するのも、だめですか? わたし、先輩が心配なんです」


 夏鈴の言葉はリカに対する好意的な声だ。


 それを拒絶することはできなかった。


「……わかりました」


 リカは覚悟を決めた。


 その時だった。リカの腕を茜が引っ張った。


「あんたは止めときなさい」


 茜は塩の袋を開け、リカを奥に隠すかのように引っ張った。


 なされるがままになっているのは、想定外のことに頭が追いついていないからだ。


「私がやるわ。あんたはもうじき退職するんだから、無理しなくていいのよ」


 茜は振り切れたのだろうか。


 それとも、今までの言動を後悔しているのか。


「……後方支援はします。先輩、お願いします」


 リカは塩を掴む。


 それに対し、茜は頭から豪快に塩を被り、体中に塩を塗り付けていく。


 この後の仕事のことを考えるのを止めたようだ。今、するべきことは目の前にいる黒いなにかを撃退することだ。


「よし。きた。やるわよ!」


 茜は勢いのまま、黒いなにかに向かって飛び掛かる。


 それを援護するようにリカと夏鈴は一斉に塩を投げつける。


「いけええええええっ――」


 茜は掛け声をあげた。


 茜の姿を見たのはそれが最後だった。



 茜の声が途絶えた直後、ぐちゃぐちゃと嫌な音がした。なにかを食べているような音だ。リカと夏鈴は塩を投げながら近づこうとしたが、黒いなにかはガタンガタンとなにかを蹴飛ばすような音を立てながら立ち去っていく。



「……二橋さん?」


 リカは恐る恐る食事処を覗いた。


 そこにはおびただしい量の血痕と破壊されつくした襖や障子が落ちていた。座布団はすべて破られており中身が散乱している。とても使い物になるとは思えない有様だった。


 そこに黒い影はいない。


 茜の姿もどこにもなかった。


「二橋さん!」


 リカは何度も茜を呼ぶ。


 しかし、その声は空しく響くだけだった。


「せ、先輩、これって、もしかして、二橋さんの……?」


 夏鈴は震えながら声をあげる。


 リカの後ろを付いてきた夏鈴の手には壊れたインカムがあった。


「……二橋さんのもので間違いないですね」


 リカは夏鈴からインカムを受け取り、名前を確かめる。


 血で汚れているものの、かろうじて二橋の名前が読み取れた。


「一度、パントリーに戻りましょう。田村さんに報告します」


「……意味、あるんでしょうか」


「わかりません。ですが、責任者はあの人なので」


 リカは混乱していた。


 しかし、その姿を後輩に見せるわけにはいかなかった。

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