02-2.
……たしかに。やばいのはこれからだわ。
ありえない嘘を吐くなと怒られるだろう。
そのような時間を割いている暇はないと言われてもおかしくはない。
……あれを点検しなきゃいけないのよね。
異常事態が起きている。
少なくとも、茜の気が狂うような出来事が待ちかねているはずだ。それに対応するのが女性四人では心もとない。
しかし、誰かが助けに来てくれるほどに優しい職場ではなかった。
『フロント、多田です。全階の電話がおかしい報告を受けたところです。原因調査中のため、電話は使用せず、インカムでやりとりをお願いします』
太一は淡々とした声で告げる。
……全階?
十二単衣の館は十階の建物だ。十階は露天風呂となっており、客室はない。そもそも、今の時間は露天風呂の清掃中であり、わざわざ、電話をかける必要性がない。
各フロアに点検で回っている授業員たちの報告によるものだろうが、太一の声は疲れ果てていた。
『ちなみに確認をしますが。ヘルプの必要性はありますか? 昼食のお客様は全員会計を済ませ、帰られましたが』
「帰られたのですか? 本当に?」
『帰られました。全員、酷く怒っていらっしゃいましたよ。それより、今、なにが起きているのですか?』
太一の疲れ果てた原因はクレーム対応によるものだろう。
会計処理は前半ミーティングに参加していた接客担当の主任、武藤義実が行っていたのだろう。
「電光掲示板の番号が全部押されています。とんでもない罵詈雑言が食事処から聞こえてきます。二橋さんは腰を抜かして役に立ちません」
友香は事実を口にする。
こればかりは目にしなければ理解できるようなものではない。
怪奇現象と呼ぶべき光景が広がっている。
「あと、冷房を付けていないのに、凍えるほどに寒いです」
友香はインカムを触りながら、淡々と告げる。
冷房は稼働していない。それなのに氷点下のような寒さだった。
「異常な空間になっています。誰か助けに来られませんか?
友香は事実だけを告げながら、助けを求めた。
それに女性だけで立ち向かえというのは無理がある。
なにより、四人中二人は戦力になるとは思えない。
今も茜は泣きながら喚いている。
同情して庇ってくれるような相手がいないのは、茜もわかっているはずだ。それでも、泣き喚かなければ耐えられないような光景を茜は目にしてしまったのだろう。
……多田主任は信じてくれるかな?
インカムの返事が聞こえない。
しかし、全階で電話が鳴り続けるという怪奇現象は太一も目にしたはずだ。今頃、事務室の電話も鳴り響いていることだろう。
それ以外の怪奇現象を信じないという頭の硬い判断を下さないと信じるしかなかった。
……武藤主任はバカにするだろうけど。
数ヶ月前、グループ旅館の研修から戻ってきた義実は他人を見下す癖がある。自分ならできると根拠と実力のない理想論に振り回され、無駄に疲労を重ねるだけだ。
もしも、ヘルプで来てくれるのが義美ならば断わった方が良いだろう。
自分の都合のいい言い訳をしながら、なんらかのハラスメントをして逃げていくのが目に見えている。誰も義美の人間性を信じていなかった。
『塩はありますか?』
太一の問いかけに対し、友香もリカも首を傾げる。
……塩が効果あるの?
魔除けの塩というものがあるのは知っている。
しかし、実際に効果があるのか見たことはなかった。
「田村さん。塩、使いかけの一袋だけありました」
リカはカトラリーの入っている棚を開け、半分以上が残っている塩を袋ごと掴み、友香に報告をした。
「調理場さんからお借りしている塩なら、ありますけど。なにか使うのですか?」
友香はそれをインカムで太一に伝える。
使用方法まで友香は気づいていなかった。
『怪奇現象に遭遇したら、容赦なく投げつけてください。塩はたくさんありますか? 念の為、出来る限り、たくさんの量をエレベーターに乗せます。受け取ってから、食事処の怪奇現象に対応してください』
太一は的確に指示を出す。
ゴソゴソと音がするのは、フロントではなく、調理場であるだけの塩を集めているからだろう。
……慣れてる?
なぜ、的確な指示が出せたのか。
なぜ、太一は怪奇現象を疑わないのか。
「わかりました。受け取ります」
エレベーターは二階で止まった。
太一の指示通り、塩が八袋乗せられていた。エレベーターの四角には塩盛りがされており、そのおかげでエレベーターは正常に動いたのだろう。
「一人、二袋持ってください」
「わかりました。田村さん。先に逃げ場を確保するためにパントリーに塩盛りを作りませんか? 出入り口の確保とエレベーターに逃げ込めるようにしたほうがいいと思うんですが」
「たしかに。そうですね。……塩盛りって、作れます?」
友香に問われ、リカは難しそうな顔をする。
……作ったことはないけど。
それらしいものは見た。
エレベーターに乗っていたものを見様見真似で作ったところで、効果が出るのか、わからない。
「効果はわかりません。でも、ないよりはいいかもしれないです。それっぽく、作ってみます」
リカは言いながら、食器棚を漁る。
予備の小皿と気の良い調理師が用意してあった開封済みの塩の袋を取り出し、塩を小皿に出していく。
「……器用ですね」
友香はリカの作業を眺めながら、つぶやいた。
友香は後悔していた。理不尽な八つ当たりとこんがらがった私情の末、リカに嫌がらせをしていたと自覚があったからだ。
リカが苦痛の声を上げれば嫌がらせを止めるつもりだった。しかし、リカは心に深い傷を負うまで耐えてしまった。
友香はリカを退職に追い込むつもりはなかった。
ただ、気づいた時には引き返せなくなっていた。それだけのことだった。
「数年前に流行した動画配信で覚えたんです。すぐに配信停止になりましたし、アカウントも消えちゃいましたけど」
「それって、廃村の心霊動画の?」
「はい。一時的に流行したアレです」
リカは慣れた手つきで小皿の上に盛った塩を三角にしていく。湿気ていたのだろう。塩は崩れることなく、綺麗な形を保つ。
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