01-3.

 そのうち、リカが受け持っているのは二件であり、友香と夏鈴が三件ずつである。

 それらの進行状況を確認し、リカは覚悟を決めた。


「田村さん。私のところはデザートを提供すれば終わります。その後、お二人分、なんとかしてみせます」


 リカの言葉を聞き、友香の顔色が悪くなった。


 社長の怒りの矛先はリカに向けられるだろう。リカが心身の不調の為、退職をすることになった経緯は友香も知っている。


「六件回すなんて無理に決まってるでしょ!!」


「無理です。ですが、ミーティングをしている時間くらいはなんとかします。だから、できる限り、早く戻ってきてくださいね」


「そんな! 後からなにを言われるかわかったものじゃないって、わかって言ってるの!?」


 友香は反対だった。


 社長の現場の状況を顧みない理想主義を知っているからこそ、ミーティングに参加しなかったことを理由に気が狂いそうになるくらいに嫌味ったらしく怒られるのは目に見えている。


 リカもわかっているはずだ。


 それなのにもかかわらず、今以上に社長の機嫌を損ねない為だけの生贄になろうとしているのだ。


「わかっています」


 リカは即答した。


 言い合いをしている時間すらも惜しい。


「でも、私は三日後には退職する身です。社長からなにを言われても、耐えられますよ」


 リカの言葉は嘘ばかりだ。


 三日後から有給の消化に入る。


 その間、荷造りをして寮を出なければいけない。しかし、その後の仕事の予定は入っていない為、三日後に退職をするという言い方をしたのだろう。


「田村さん。私を犠牲にすることに戸惑うなんて、貴女らしくないですよ」


「そんなことを言わないで! 鈴木さんは私のかわいがっている後輩なんだから!」


「そういう嘘は、もう、いらないです。それよりも、覚悟を決めてください」


 リカは友香の本音を知らない。


 その言葉に絆されるような心の余裕もなかった。


 しかし、かわいがっている後輩に対してするような行為ではない。


 それが信用しているからこそ、甘えてしまっていただけだと言い訳をされても、壊れかけたの心身の不調は治ってはくれない。


「誰かは残らないと無理です。社長には八卓、お客様がいらっしゃると伝えてください。お客様を放置するわけにはいきませんから」


 リカは覚悟を決めた。


 退職日の迫っているリカならば、社長の罵詈雑言を受ける日数も限られている。


 動悸が激しくなり、逃げ出したい衝動を押し殺しながら、最善策を提案する。心も体も拒否をしている。


 過呼吸になりそうなのを必死に堪える。


 呼吸の仕方を忘れそうになってしまう。


 それほどに恐ろしい選択をするしかなかった。


「……わかったわ」


 友香も覚悟を決めた。


 震える手でインカムを押す。


「社長。田村です。よろしいでしょうか?」


 友香の雄姿を見守る時間はない。


 ……時間を稼いでもらわないと。


 リカは冷蔵庫を開け、デザートを人数分取り出してお盆に乗せる。


『はい。なんですか』


 社長の冷たい声がイヤホン越しに聞こえる。それだけで冷や汗がでてしまうが、リカは平常を装ってデザートを運ぶ。


「失礼いたします。三種のデザートをお持ちいたしました」


 声をかけて、座敷の障子を開ける。


 中には寛いでいる夫婦と元気に走り回っている三歳の女の子がいた。デザートと聞いた女の子の目が輝き、わくわくした感情を隠せないまま、席に座る。


「以上ですべてのお料理となります」


 リカは机の上に席の番号が書かれている伝票を起き、ゆっくりと視線を床に落とす。


『食事処の現状報告をいたします』


 友香の強張った声がインカム越しに聞こえる。その声を聞くだけで、頭が拒絶をしているかのような激しい頭痛に襲われる。


「ごゆっくりお過ごしくださいませ」


 リカは平常を装う。


 速やかに席から退出をする。


 お客様には楽しい思い出だけを残していたかった。


 ……薬、飲まないと。


 思考回路の邪魔をする黒板を爪で引っ掻いたような耳鳴りは、リカの正常を装おうとする表情を崩そうと足搔いているようだった。


 インカムの音がうまく聞こえない。


 友香が現状報告をしているという事実は理解できるのに、そのやり取りが頭の中に入ってこない。しかし、ぼんやりとしている暇はなかった。


「ご歓談中、失礼いたします。デザートをお持ちいたしました」


 リカは続けて担当をしている客に声をかける。


 半個室の客は淡々と会話をしており、視線をリカに向けた。


「こちら、三種のデザートでございます。以上ですべてのお料理となります。ごゆっくりお過ごしくださいませ」


 リカは笑顔で言葉を口にする。


「お姉さん。一つ、聞いていい?」


「はい。いかがなさいましたか?」


「私たち、昨日から連泊しているんだけど。お姉さん、昨日の昼も夜もいて、朝食にもいたよね?」


 浴衣を着た女性はリカに対して同情するような視線を向けながら、淡々と目撃した話をする。


「それって、ブラック企業なんじゃないの?」


 女性の何気ない言葉に対し、リカは言葉に詰まってしまった。


 女性の指摘は事実だ。


 昨日は十一時出勤の中番であり、今日は七時出勤の早番だ。その為、女性が食事をする時に毎回リカの姿を目撃していたのは、おかしなことではない。


 それだけではブラック企業ではないかもしれない。


 しかし、働いているからこそ知っている実態を考えると、ブラック企業であるのも事実であった。


 ……接客業、失敗だ。


 お客様に気を遣わせてしまった。


 ここはお客様の為の楽園であり、非日常を提供するおもてなしの旅館だ。それなのにもかかわらず、女性はリカを心配していた。


 ……最悪の失態だ。


 取り返しのつかないことをしてしまった。


 それはリカの価値を簡単に否定する。生きている価値がないのだと囁いてくる声に応える余裕もなく、リカは囁かれた言葉をそのままに受け入れてしまう。


 それでも、なにかを返さなければいけない。


 不安要素を与えられた旅行は、女性の楽しい旅行を台無しにしかねない。

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