愛とモフモフのクマ嵐

湾多珠巳

Love and moff-moff, a story of the Bears' peaceful raid



 彼女の人生はご難続きだった。就職先が小さな不正で暴力団の食い物になって倒産。以後、なぜかマル暴絡みで勤め先にことごくケチがつきまくり、今やほとんどホームレス。

 まだ三十にもなってないのに、私の人生っていったい何なんだろう――。

 真っ暗な気持ちで町外れを歩いていた阿隅野あくまのミサヨ(28)は、不意に顔を上げた。閑静な裏町で行き逢った、教会のような建物。門扉のプレートを見た。「獣の真ん中で愛を叫んだ世界教会」。……何か間違ってる気がする。でも、食べ物ぐらい恵んでくれるかも。

「告解室はこちら」と張り紙があり、狭い場所に行き着くと、壁の向こうから朗らかな男の声が聞こえた。

「恐れることはありません。神はすべてをお赦しになります。さあ、あなたの悩みを言葉にしてごらんなさい」

 そこでミサヨはここぞとばかりに憤懣をぶちまけた。時間にして一時間近く。忍耐強く聞いていた牧師だか神父だかは、ひたすら相槌を打ち、そして尋ねた。

「で、今現在のあなたの望みは?」

「分かってるでしょ! 食べて、寝るところよ! 神の愛とかどうでもいい! なんなら人間やめてもいい! せめて、ケモノ並の幸せをちょうだいよ!」

「素晴らしい! その願い、聞き届けましょう!」

 突然告解室にもやがかかり、ミサヨは気を失った――。


 目が覚めると、すでに夕方も遅い教会近くの公園のベンチだった。

 なんだか体がおかしい。妙に毛深くなったような……と、這うように池のたもとに行き、水面を覗いて、ミサヨは絶叫した。

「クマっ!?」

 間違いなかった。正真正銘、体長三メートル近いクマに化けている。

 ようやく思い出した。この市には変な都市伝説があるのだ。宗教を騙るマッドサイエンティストの巣があって、餌食になった者は……。

「くそっ、ねじこんだる!」

 一度は教会に向かったミサヨだったが、じきにその顔へ邪悪な笑みが浮かぶ。そう、この体なら、ヤクザにも負けないっ!

 憎んであまりある暴力団ども。そうか、あの教会、世直しのために正義の改造獣人戦隊を作ってるのね、と勝手におめでたく解釈して、ミサヨは座布団のような掌を、胸の前でバシバシ打ち付けた。

 この地の最大手はヒグマ組だ。意気揚々とまっすぐ町外れの事務所に向かう。門番のチンピラと目が合った。まだあどけない瞳が、驚きでまん丸になった。

「クマだぁ……」

 そのままじっと向き合う形になるが、あんまり怖がってる様子がない。あれ? と様子を見てると、他の組員もわらわらと集まってきて、でもなんだかおかしい。みんなキラキラした目で……幼児みたいな顔で、こっちを見てる。

 恐る恐る、何人かが近づいてきた。敵意というよりは好奇心が全開だ。

「ふかふかだあ」

「もふもふだあぁ」

「ほんもののクマさんだあ」

「うわぁい」

 これは何の効果? さてはこの体になにか仕掛けでも? でも、この状況は悪くはない。油断したところをまとめてヤッてしまえば……と身構えるのだけれど、野郎どもは無防備にミサヨの体にすり寄ってきて、ほとんど顔を埋めんばかり。これはさすがに調子が狂う。こいつらにはアウトローとしての矜恃はないのか!?

「いい」

「ああ、いい」

「もう地上げなんてどうでもいい」

「うん、今日のみかじめ、行かなくていーよな」

「もふもふ」

「うおい、ふかふかのもふもふぅぅぅーっ!」

 ミサヨは何だか猛烈にバカバカしくなってきた。ヤクザが改心するのはいい。でも、こいつらの悪事で人生棒に振った私の立場は? こんな吹けば飛ぶようなやーさん魂のせいで、私は……私は……

「あ、クマさぁぁぁぁん!」

 猛烈な衝動にかられて、ミサヨは駆け出した。まっすぐ下町を突っ切って、とあるアパートに。すっかり絶縁状態になっているけど、高校時代の親友のセイカが一時期ヤクザの情婦になって、結局捨てられて、転落人生を絶賛驀進中のはずだった。

 扉を前脚で押し破ると、果たしてセイカは今まさに首を吊ろうとしていたところだった。

「ク、クマっ!?」

 ミサヨが突進すると、恐怖でセイカは失神した。ちょうどいいんで、そのまま親友を背中に載せ、教会へ戻る。牧師姿の、多分マッドサイエンティストと思しき男は、目を見開いてミサヨを迎え入れた。

「え、も、もう戻ってきたんですか? いやあの、悪気はなかったんです! ちょっとケモノ気分を味わっていただいてですね、改めて人に戻ってから、神の恩寵を噛みしめて――」

「言い訳はいいから! さっさとこの子もクマにするのよ!」

「え? え? 人間に戻んなくていいんですか?」

 どうやら、悩める市民をケモノに改造しては人間に戻し、を繰り返して、証拠を隠滅しつつ、趣味の人体改造を究めていたらしい。ろくでもない教会だが、この際それはどうでもいい。

「後のことは考えなくていいからっ。私とおんなじ形にして。いい? おんなじようによっ。姉妹グマぐらいに」

「そりゃできますけど、あの、本人の意思は――」

「自殺の最中だったのよ、この子。事後承諾で大丈夫」

 いやそんなご無体な、とか言いながら、楽しそうに改造を施すマッドサイエンティストであった。自分と同じ体になったセイカを、ミサヨは強引に引き連れて、今度は町の二番手・ツキノワ組の事務所へ向かう。

 状況はヒグマ組と全く同じことになった。

「うーん、やっぱりこうなるよねー」

「やっぱりって、あんた、人の体わざわざクマに変えて、そーゆー実験したかったわけ!?」

 最少限の説明を聞いただけでほぼ事情を呑み込んでしまうあたり、さすがに学生時代の親友であった。

「うん、そう。確認できたら諦めもつくかなと」

「相っ変わらずめーわくな女よね、あんたって!」

「いいじゃないの。あのまま首吊ってる方がよかった?」

「いや、そうは言わないけどさあ」

 後で牧師を問いただすと、ミサヨたちの体からはちょっとヤバイ分泌成分が常時滲み出ており、毛並みの色つややふんわり感の視覚効果も合わせて、免疫のない人間に対して強力な魅了効果を発揮するような仕掛けがあるのだとか。要するに、安心感とか幸福感をもたらす麻薬みたいなものだ。効き目は半永続的で、弱い依存性もあり、もうヤクザたちはミサヨとセイカを手放せなくなるだろう、とのこと。

「つまり、あんたは免疫があるってこと?」

 牧師を詰問すると、ちょっと悲しそうに、

「改造に携わってるうちに、あれやこれやの成分が体に入ったみたいなんですよ。私もモフモフを堪能したかったんですが」

「その免疫剤、売り出したらそれなりに売れるんじゃないの?」

「どういう行程で免疫ができたのかは不明なんです。一年ぐらいこの仕事やってたらできるんでしょうけどね」

 これはこれで悪趣味の報いというべきだろう。


 すっかり無害な町内会と化した暴力団事務所で、人間の丸くなった組員達はみな正業に付き、ミサヨたちを崇め、貢いだ。裏社会とのつながりをゆるく続けてはいても、面倒事にはおおむね法の範囲で対処するようになり、世間からの評価はむしろ上がった。

 ミサヨも、もう物理パワーでマル暴を殲滅しようとは思わなくなった。とにかく、町の平和は確保したのだ。これならクマに転生(?)した甲斐があるというもの、と、日々満ち足りた生活を満喫していた。

 が、一応は極道の世界を知っているセイカが言った。

「いや、次は警察が問題になるよ」

「え、なんで?」

「パワーバランスってそういうものだから。今まで町をシメてた集団が二つも腑抜けになったら、やっぱ色々とさあ」

「えー、どうしよう?」

「いい考えがある。あたしの妹分で、今はすっかり落ちぶれてる子がいるんだけど」

 裏歓楽街の、そのまた裏のボロ屋で、その娘、サンカはほとんど餓死寸前の暮らしぶりだった。話を聞くと、「じゃあ私もクマになります」と真顔で言った。

「え、いいの?」

「この先、人間の女のままでいてもいいことなんてないですよ。歳だって取るし」

 その足でサンカは教会に行き、それから一週間もかからず、その市警本部の実権はクマ娘たちが掌握した。

 しばらくは穏やかな日々が続いた。ミサヨもセイカもサンカも、それぞれの巣では毎日上を下にも置かない待遇を受け、安逸な獣ライフを送っていた。

 が、平和は常に短い。

「なんか、栗擦ぐりすり組がちょっかいかけてきてるって話。ほら、二つ向こうの市の」

「県警が妙な疑念を持ってるみたいです。どうやら、県庁の方でも気にしてるみたいで」 

 小さな田舎町が単身で平和を維持するには、時代が進みすぎていたようだ。ミサヨ達は何日間か逡巡し、決心した。速攻で周囲の町々の実情を調べ、一ヶ月かけて近隣の十市町村をクマ化したのだ。サンカのように、クマとなって人生(クマ生?)のやり直しを志す人間はいくらでも見つかった。それ自体は嘆かわしいことだが、クマ化した町はてきめんに雰囲気が明るくなったことだし、クマ達もみな幸せそうで、結果オーライである。

 一度拡張方針を取ると、事態は自動的に進んでいった。ミサヨ達が何もしなくても、新参者達はお互い緩やかな連携を取り、新入りクマがさらに周囲の自治体で新入りクマを見つける形でシマが広がって、三ヶ月目になる頃には、ついに全県がクマ化されていた。

 今や、県すべての暴力団と警察、さらには半グレや公安関係まで、クマの毛皮に埋もれて日々悦びに浸る人間ばかりになっていた。働かなくなったわけではなく、ムダに生活幸福指数が上がったと言うだけなので、社会問題視する者はいなかった。やたら街なかで飼いグマが増えたことを不思議がる市民はいたけれども。

「ってか、あんたみたいなマッド牧師が他にも何人もいるって、どういう県なの、ここは!?」

「うちの教会はれっきとした全国組織ですが、それが何か?」

「まさか、あんたのとこの教義って……いや、いいわ」

「怖がらなくても、別に世界征服の野心とか持ってませんしぃ。個人の趣味を大事にする、いい教会ですよぉ」

「その教会が、なんで理系博士の人体改造魔ばかり集まる組織になってんのよ!?」

「集まったんだからしょうがないじゃないですか。大丈夫、みんな善良なオタクだから、改造さえやらせてもらえたら、誠心誠意みなさんのバックアップに務めますんで」

 あるいはそれは、世界史に残る奇跡のタッグと呼べる出来事だったかも知れない。


 二年後、クマ達は全日本を制覇した。

 別に経済体制が変わるわけでなし、思想や戒律を強要するわけでもない。求められたのが、ただ無害なクマを受け入れる、というだけのことだったので、気がつけば日本中の職場がクマであふれ、人々はクマを愛し、モフモフで癒やされるようになった。GDPが若干下がりそうなことが心配されたが、国別幸福度指数がぶっちぎりで世界一になっていることが判明し、どうやらこのクマたちがただのクマではないらしいことが報じられても、ネガティブに捉える動きは皆無だった。

 しかし、もちろんそこでこの話が終わったりはしない。

 さらに二年後、ミサヨはクマ司令として市ヶ谷にいた。

 マッド牧師と共に統合幕僚監部に入ると、防衛省の特任チームが一斉に立ち上がってミサヨを迎えた。

 よもや軍事の世界にまで足を延ばすことになるとは思っていなかったが、ある意味、当然の成り行きである。日本の幸福を守るためには、周囲の世界にも幸福になってもらわなければならないのだ。そして、その任に当たるクマの代表が内々に求められ、クマ選挙では当然のようにミサヨが〝クマ司令〟へと選ばれたのだった。

 居並んでいる特務将官の面々を見回して、ミサヨは言った。

「では……始めましょう」

 国会での議決はすでに済んでいた。

 すなわち――全世界クマ化計画。

 世界は広く、障害は多い。でも、不思議とミサヨは何もかもなんとかなりそうな気がしていた。というか、ぶっちゃけた話、やるしかないのだ。

 とうとう国防の現場の自衛官にまで、クマ化が始まってしまったからだ。

 やーさんたちがふわふわの毛皮に埋もれて日々過ごすのはいい。が、さすがに空自のスクランブル要員の間でソレはまずい。

「みなさんご承知のように、この国は喫緊の対策を必要としています」

 緊張と、いくばくかの好奇に満ちた表情がミサヨを見上げる。特任対策本部の中は全員クマだった。人間の職員がクマと同席してこれだけのデリケートな任務を遂行するのは不可能だったのだ。

「ですが、みなさんの協力があれば、日本を、世界を平和で包むことが可能だと信じています!」

 座布団をはたくような重々しい拍手が、作戦司令室に満ちた。

 こういう事態になった以上、責任感めいたものを感じないでもない。最初のあの日にやーさんどもを薙ぎ払い、ミサヨ一人おとなしく山にでも逃げていれば、こんなことにはならなかっただろうに、とも思う。

 けど、少なくとも間違ったことはしていない、との自信はあった。

 遠くない将来、世界はすべてクマ化されるだろう。仮想敵国の軍人・軍職員もろともに。

 そして、全人類はモフモフの毛皮で多幸感に満ちた毎日を送るようになるのだ。

 こんな素晴らしい未来図が他にあるだろうか?

「オペレーション『グローバル・ベア』、開始を宣言します」

「第一作戦『ウォッカ・クマスキー』、スタート」

「第二作戦『万里のクマクマ』、スタートっ」

「第三作戦『ペンタゴンベアーズ』、スタート!」

 虹色の幸せを目指して、今、クマの精鋭チームが世界へ羽ばたいていく。

 ミサヨ達の真の戦いは、これからだ。



  <了>


 

 

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愛とモフモフのクマ嵐 湾多珠巳 @wonder_tamami

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