現代社会の中心にある「情報の危うさ」を真正面から描いた作品。
現実と虚構の境界を揺さぶるような展開がつづき、読んでいるうちに自分自身もその渦中にいるような感覚を味わえます。
なかでも、玲子に「情報を支配すること」を叩き込むオリビアの存在感は圧倒的で、彼女の言葉ひとつひとつが読者への鋭い警鐘となっています。
社会批評としての重みを持ちながら、物語はミステリー仕立てで進むので、堅苦しさはなく、時にはクスッとする場面もあり最後まで飽きさせません。
読み終えた後には強い余韻が残り、「情報社会をどう生きるか」という問いが自然と胸に浮かびます。
挑戦的な内容でありながら、多くの人にぜひ読んでもらいたい良作です。
実体があるようでない、常に形を変え、真実か虚構なのかすら不透明な『情報』に焦点を当てた作品。
読んでいる画面に蛍光ペンでライン引きたくなるくらい、実用的な洞察に満ちていました。
この作品の恐ろしさは、描かれている手法が現実的すぎることです。
SNSの注釈機能を悪用した情報操作、攻撃的な人々を扇動する心理テクニック、メディアリテラシーの欠如を突く戦略。
どれも「確かにこんなことが起きているかもしれない」と思わせるリアリティがありました……いや、実際に起きてます。
主人公の冷徹な分析力と、それを淡々と実行し、非人間的な視点が、逆に人間の心理の脆さを浮き彫りにしています。
真実と虚構を巧妙に混ぜ合わせて情報を操作していく過程は、現実の社会問題を織り交ぜながら、どこまでが事実で、どこからが創作なのか分からなくなる感覚があり、自分も、現在進行形で操作されている側かもしれないという恐怖が拭えません。
14歳の少女玲子が"叔母"のオリビアに引き取られ、情報社会の本質を学ぶ過程を描いた物語である。
この物語を読むにあたり、オリビアが玲子に繰り返し教え込んだ
「賢者」
「愚者」
「扇動される者」
この分類、また、垂れ流されている情報をどのように扱うか、与えられた情報を鵜呑みにせず、自分で調べられる限り調べることの大切を私たちも大切にしなくてはならないと強く思わされる。これは日常のどのような場面であったとしても、だ。
オリビアはインフルエンサーの手法や、信者を作る方法を通じて、人々がどう情報に操られ、人生を変えていくのかを考察する。最終的にオリビアは玲子に「本物の悪魔」を見せる。
この部分まで拝読した。玲子の選択が気になるところである。
感想としては、非常に鋭い社会批評を感じた。
オリビアの教育は冷徹で、情報がいかに操作され、利用されているかを警告している。
インフルエンサーやメディアの影響力を知りながら、玲子がどのように成長するのか、続きを読み続けていきたい。
最後に、多くの人の心を揺さぶるのではないかと思う一文を引用したい。
倫理上の強者で居る事に酔い、そしてその立場で居る事に固執する者は、頭を働かせることなく倫理観のみを前提とした答えを出す。
震えた。
本作は主人公玲子と、玲子の叔母を名乗るオリビアとの会話を中心にストーリーが進む。
「情報を扱う技術」を玲子に教えるオリビア。
その教育のテーマは「情報の悪魔」だった。
そもそも情報の悪魔とはいったい何なのか、存在するならその目的はいったい?
読者はそんな風に始めは思うかもしれないが、どんどん読み進めていくとやがて悪魔が……(以下は本編をぜひ)
本作のテーマは、一見難解であるがオリビアの言葉がわかりやすく、よくまとめられていて非常におもしろく読める。
また、オリビアのコスプレやシャンメリーでチキンパーティなどがいい具合に抜け感があり、玲子も生徒として極めて優秀であり、言葉という情報にどんどん惹きこまれていくのを感じた。
オススメです!!
そこに見えてくるのは、人間が築きあげる現実の異常さとゆるみの多さ、亡羊さ……
切り口が辛いようで、おかしな甘味もおぼえます。
過酷なようでも、なんでもござれのこの世には、当然のごとく情や情け、愉楽の余地もあるのです。
とにもかくにも……書きあらわすのが、非常にむずかしい内容だと思いました。
どこにでもいそうな女子が変化していくようすを見ていると、その子を引き取った女性の正体が気になってきます。
主人公ちゃんのそういった素質をみぬいて現れたのか?
ただいま、このふたりの関係、行く末がかなり気になっております。
私ごときがレビューをしていいのか悩むほど、かなり読者を選ぶ、なかなかの問題作。
作者様の前作を読まれて同じような作品を期待すると、ちょっとついて行けないかもしれない。
アダム・スミスを出すまでもなく「分業」により世の中は進歩してきた。
車を作る人もいるし、家を作る人もいるし、政治を専門にする人もいる。
専門家はより正しいものを導こうとする取組によって、右へ左へ振れながらも、正しいところへ導いてくれると考える。
だが、実際はそうでもない。
やはり「悪魔」はいる。
自分の私利私欲や独占欲や間違った正義感。
皆、自分が求める方向にバズりたいのだ。
もはや、それが普通。
そんな中、調べろというが、それはエリート又は多数派のおごりの部分もある。
例えば、限界知能と言われる方は調べても適切な判断ができるだろうか。
既に洗脳されて”タコつぼ”に入った方が正しい結果を良い方だと認識できるだろうか。
(人は神により創られたもの、地球は平面でできていると信じる人もいる。いや、私たちが間違っているのかも…)
宇宙のエーテル説、熱素説など、かつて信じられていたが誤りだったこともある。
全て一から調べなければならないと主張するなら、「分業」による”進歩”をあきらめろというのだろうか。
現代風に言うなら、これほど『コスパ』が悪いこともない。
「レッテル張り」というのも、ある種の思考のコスパの行き着く先だ。
淘汰の先に現状があるとするなら、それらは、きっと求められたもののはずなのだ。
この複雑な社会に対して、すべてを調べ、考えるのは無理。
だが、自分が熱狂し始めたら、冷静に調べ、考えてみることも必要な気がする。
そんなことを、このレッスンは考えさせてくれる。
今は「多様性の時代」といわれる。
強制されない反面、認めなければならない。
これは肌に触れながら考えを進めていかなければ、理想論だけでは難しい。
オリビアのレッスンの目指すものがどこにあるかは分からない。
だけど、「あなたは目先の主張に踊らされるな」と言うだけだけでなく、「この現状をより良いものにするためには、どうすればいいのだろうか」との考えに至り、歩き出す人を一人でも多く生んでもらいたいと思うまでだ。
きっと、オリビアのレッスンには、それだけの価値がある。