第44話 世界が変わった日

「マジで! いいのかよ」


 誰もいなくなった教室で男子生徒三人が歓喜の声を上げる。


 その声に女子生徒は「もちろん、好きにしちゃって」と凶悪な笑みを浮かべながら、柚葉を見る。


 一年前。彼女はいじめられていた。


 女子生徒二人が男子生徒が柚葉を犯せるように押さえつけていく。


 その気になった男子生徒は、柚葉ゆずはの制服に手を伸ばし、服を脱がそうとしていく。


「いやーーーーー!」


「諦めろよ。誰も来ないよ」


 暴れる柚葉ゆずはを無理やり押さえつけ、制服のボタンをひとつずつ外していく。


 徐々に下着が見えてきて、男子生徒たちは興奮を抑えられず、「早くしろよ!」と脱がせている男を急かしていく。


「ちょっと待てよ」


 思った以上に手こずっているらしく、なかなか脱がせられない。


「焦ったいわね。変わりなさい」


 脱がすのに慣れている女子生徒が、男子生徒に代わっていく。


 もうだめだ……こんな最悪な形で初めてを失う。


 もっとロマンチックなものを想像していたのに……


 絶望と虚無感に支配された柚葉ゆずはは、もう抵抗の意志を見せることすらできないでいた。


「できたわよ」


 その言葉で準備は整った。


 男子生徒としてはもうヤル気まんまんだった。だが……


「何してるんですか?」


 聞き慣れた大人っぽい声が聞こえてきて、生徒たちは焦りの表情を見せ、反対側の出入り口から急いで出ていった。


 解放された柚葉ゆずはが下着姿で座り込んでいる。それを女教師が見つけ、「どうしたんですか」と、驚きを宿した声色で話しかけてくる。


 彼女の言葉を無視。それどころか睥睨へいげいし、その場を逃げるように去った。


 制服を直しながら廊下を走る。


 校舎を出て、街中に出た。外は土砂降りだった。そこで彼女は思った。


 いつからだろう。こんなにいじめられるようになったのは。


 いつからだろう。自分は必要とされなくなったのは。


 多分、あの日からだ。高校入学したあの日。全てが変わった運命の日。


 当時はとても緊張していた。


 自己紹介があったので、勇気を振り絞り震える声でなんとか行った。


 だが、その時に『あてぃし』と言ってしまい、笑われた。


 癖だったのだ。


 昔から呂律が回らず、言葉使いもおかしかった。


 普段使う言葉は矯正できたが、一人称だけは変な癖がついてしまい、使い続けていたら治せなくなっていた。


 そんな彼女だったが、最初は笑われるだけで済んでいた。


 いじめを始める子たちも何事もなく話をしてくれた。


「ねぇ、なんで髪の毛白いの?」


「えっ、えっっとね……あてぃし、生まれつき病気で色素が薄いんだ。それが原因」


「へー、そうなんだ。でも、黒染めできるよね? なんでしないの?」


 この時の言葉が火種だったのかもしれない。


 高校生だ。ませている子もいて、染めたいと思っている子もいる。


 そういった生徒には反感を買い、いじめの標的にされてしまったのかもしれない。


 最初は軽いものだった。


 足を引っかけられて転ばされたり、お弁当をぐちゃぐちゃにされたり。とても心は傷ついたが、我慢できるものであった。


 一応、学校側に相談したが、案の定取り扱ってくれなかった。


 我慢するしかないと思った彼女だったが、トイレで水をかけられたり、暴行じみたものなど、日に日にエスカレートしていった。


 そして、あのレイプ未遂に至る。


「なんであてぃしが……」


 今まで押さえていた感情はこらえられなくなった。


 涙が流れ、雨と混濁こんだくする。どこからが雨でどこからが涙かわからなくなったが、彼女の感情が苦しみを覚えている。


「ただいまー」


 家の中に木霊こだまする柚葉ゆずはの声。


 母は自分に無関心で、父は単身赴任。家でも彼女の居場所はなかった。


 食事をひとりで済ませて自室へ籠る。


 誰ひとり味方がいないことに、彼女は胸の痛みを感じていた。


 苦しい。死んでしまいたい。


 この日を境に、彼女は不登校になった。


*****


 ある日、家を出て放浪していた。


 街は活気に溢れ、カップルや親子などが楽しそうにしていた。


 その姿を見て、柚葉ゆずはは全てを奪ってしまい衝動に駆られた。だが、そんな勇気はなく、結局は心の中だけで思うだけで終わる。


 ホームセンターに向かう。


 買うものは既に決まっていた。


 丈夫そうな縄だけを購入して家に戻る。


 急いで自室に戻っていくが、いつも通り母は自分を心配してくれることはなかった。


「はー、これで……」


 全てが終わる。


 悲しみも、苦しみも。全部を終わらせてくれる。


 決意し、椅子を踏み台代わりに使い、縄を天井に引っ掛ける。そして……引っかけた縄に自分の首をかけた。


 全体重がかかり、首に圧迫感が押し寄せる。


 苦しい! 苦しい! 苦しい!


 自分で決断したことなのに、せいにしがみつくかのように足掻い、足掻いて、足掻いていく。


 失われていくものに手を伸ばし、必死に掴むかのように……


 だが、次第に酸素が失われていき、抵抗する体力すらも無くなっていく。


 周りの音が一切聞こえず、寒さと孤独感だけが支配していった。


 怖い。怖い。怖い。


 誰もいない虚無の空間だけが広がり、本当にひとりぼっちになってしまうのではないかと思った。


 誰か……


 声にならない思いは、頭の中だけで反芻はんすうされていく。


 全てを感じなくなり、糸が事切れるまで数秒を切った時……


 彼女の世界は色を取り戻した。


 荒い呼吸を整えながら、今の状況に彼女は涙した。


 運よく縄が切れ、命を奪われることはなかった。


 怖かった。いじめられている時と同じくらい……


 死というのは簡単には選べない。そうこの時に実感した。


 自殺未遂。嬉しいような悲しいような……


 その後、彼女はベッドに寝転び、ぼーっとしていた。


 無意識にスマホを取っていた。つまらない日常をいろどってくれる唯一の代物だったから。


 いつもの調子で動画を見始める。


 お気に入りの配信者などいなかったが、暇つぶしにはちょうどいいと思った。


 動画をスクロールしていきながら、気に入ったものに目を通す。


「これ……」


 ひとつの動画が目に止まった。


 ライブ配信だったのだが、リスナーと一緒に盛り上がっているのが楽しそうだった。


 今の彼女にとって、幸せを見せられるのは酷だった。


 この配信者も色眼鏡で見て、酷評をしてやろうと思っていた。ある言葉が耳に入ってくるまでは。


『私ね、自分のエゴで部活動が廃部になっちゃった。でも、それは言葉にしなかったからすれ違っちゃっただけってのはわかってるんだよね。だから、今度は言葉にしてちゃんと届けていきたい。だって……言葉にしないと伝わらないことだってあるから』


 配信者──宇崎美月うざきみづきの言葉に柚葉ゆずはは衝撃を受けた。


 こんなに楽しそうにしている人でも、苦しい過去はある。


 自分のことしか見れていなかったが、もし、変われるのなら……


「あてぃしでも、変われますか? 生きたいと思える人生を送れるようになりますか?」


『初めてのコメントありがとうね。大丈夫、なれるよ! だって、このコメントを打ってくれてるってことは、まだ生きたいって思ってる証拠でしょ?」


 彼女の言葉に涙が溢れ出てきていた。


 勇気をもらったことよりも、初めて自分を認めてくれたように感じたから。


「あてぃし……」


 全てを吐露とろした。リスナーも優しい人だらけで、柚葉ゆずはの理解者になってくれた。


 誰からも理解されなかった彼女にとって、この時間は心の救いになった。


 次の日から彼女は学校に登校した。


 あの時、現場にいてくれた先生にレイプ未遂のことを話す。


 勇気のいる行動だったが、あの乱れた制服や男子生徒の声が聞こえたことから、彼女は柚葉ゆずはの言葉を信じてくれた。


 生徒たちに然るべき対処を……事が事なので、学校側も迅速に動いてくれた。


 しかし、その前にいじめっ子だが動いた。レイプ未遂で逆恨みをしてきて、いじめっ子グループは、束になって柚葉ゆずはに迫ってきた。


 また、誰もいない教室でいじめをする。結局、彼らは弱い人間なのだ。


 柚葉ゆずははそう思い、抵抗していった。だが、相手の方が数の上で有利だったため、彼女の抵抗はほとんど無駄になる。


 痛い! でも……手を出したという事は、あの事件を認めるようなものだった。


 五人でひとりを痛めつける姿はとても凄惨せいさんな光景だ。誰もいなかったからいいもの、側から見たら目を当てられもしない。


「何やってるんですか!」


 そんな時、相談をしていた女教師が教室へとやってきた。


「おい、まずいぞ!」


 なぜバレたのか不思議に思いながら、ひとりの男子生徒が合図を出し、五人は教室を出ていく。


「大丈夫ですか?」


「へへっ! あてぃし、戦いましたよ」


「私たちに任せておけばよかったのに……」


「アイツらから仕掛けてきたんだから、仕方ないですよ」


「そうですね。よく戦いました」


 女教師は抱きしめてくれて、頭を撫でてくれた。とても温かく、柚葉ゆずはは久しぶりに人の温もりを感じた。


 この事件は学校内でもかなり問題となり、いじめっ子は退学処分。


 この日を機に柚葉ゆずはへのいじめはなくなった。


「これも美月みづきさんのおかげです。ありがとうございました!」


『そんなことないよ。ホワイトちゃんが戦ったから。私は少し助言しただけ』


 謙遜する美月みづきを見て、柚葉ゆずはかなわないと思った。一生この人に付いていこうとも思った。


「そういえばあてぃし、生徒会長になりました」


『おめでとう!』


 何を言っても彼女は肯定してくれる。この優しさが柚葉ゆずはにとって、何よりも心の安らぎになるのだ。


『そういえばね……』


 翔兎しょうとという人が一緒に音楽をやってくれることを話す美月みづき


 それを聞いて、柚葉ゆずはも嬉しい気持ちになったが……同時に……


*****


 懐かしい気持ちを抱きながら、ギターを持ってステージに立とうとする柚葉ゆずは


 まさか、あの時警戒していた翔兎しょうとの代理を務めるとは思ってもみなかった。


「お待たせしました!」


「似合ってる!」


「そ、そうですか……」


 ギター姿が様になっている柚葉ゆずはを見て、美月みづきは素直に褒める。


 柚葉ゆずはは照れながらも嬉しい気持ちを宿していた。


「じゃあ、行こうか!」


 時間になり、軽音楽部(仮)はステージへと姿を見せた。だが……


「前座なんだから、盛り上げろよ!」


「ちょっとは期待してやるから、楽しませてみろ!」


「廃部した部活動の悪あがきー」


 誰も彼女たちを歓迎するものはいなかった。

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