第8話 明けない夜明け
ツォルフェライン国がクエ国を支配して二ヶ月近くなる。
相変わらず、私の居場所は天幕だったが、最近は言葉も上手くなったし、腕も動くようになって指も折り曲げることを思い出した。
問題は足で、中々一人で立つということができない。
両脇に侍女の手を借りて動かすが、最初の頃は動くのさえできなくて、支えの部分は侍女たちの力がないといけなかった。
枯れ枝が力をつけて、やっとのこと幹が太くなってきたところだろう。
食事も粥から煮て柔らかくした野菜など、色々と増えてきた。
今日も両脇に侍女の支えを借りて、私は歩く練習をしている。
「だんだんと歩くことができてきましたね」
おべっかではなく、本当のことだと私は思っていた。
だが、他人の力を借りないとけないのが悩みどころで、私はいつもどうしようと寝る前に考え、今日は来てくれるかと待つ。
毎日とはいかないが、アメフィが光りを軽く絞ってくれる日は、必ず来てくれた。
多分、話が通っている。まあ、そうだよね、と思いつつ、私は大好きな茶色の瞳を待つ。
ブレイズガルヴ王子も、だんだんと私の変化に気づいてくれた。
甘いものも見せて、これはなんだと教えてくれる。この頃は外国の菓子が多くて、見たこともない形や「味」を楽しませてもらっている。
「歩く練習は上々で嬉しいよ。いつかきみと歩いてみたい。リーベル。少し色々と荒れているんだ。村々の所在は分かったんだけどね。どれだけの被害が出ているかが、まだ把握できていない。あとは臣下たち処遇だ」
私は真剣に聞いていた。このあと私の話が出るだろう。
「臣下たちは村々から軍を派遣して人を連れ去っていたと、あとは奴隷だね。違法に買い付けをしていたみたいで、被害は隣国まで及んでいる可能性がある」
抱きかかえるてもらいながら、私は瞳を見ていた。
沈痛な面持ちと言うよりは毅然とした感じがする。
「今は各村から代表者や遺族を呼んでいる最中で、明日には着くだろう。それで……巨人の話はセリュバンから聞いているかい」
「はい」
「犠牲になった人々の弔いもある。それを含めて遺族等が来る予定だよ」
ブレイズガルヴ王子は笑って話を終わらせたが、私のことを言わなかった。
「はあ、きみを抱きしめていると第一王太子ということを忘れそうだ」
肉付きのよくなった手で頬を撫でると、その手を取ってブレイズガルヴ王子は唇を寄せる。
この頃のふれあいは最初の頃より「まるで」恋人のようで私は嬉しかった。
十歳のままの私の知識は、夢を見る少女そのもので、こうやって素敵な王子様が「好き」だと言ってくれる現実。
もう少しで表情を変えることができるだろう。
アメフィたちが顔が揉んで「笑みですよ! 笑み! 殿方がイチコロですよ!」と言っている。
自分の魅力はイマイチ分からないけど、アメフィたちが言うのだから、そうなのだ。
でも、私はブレイズガルヴ王子に笑みを見せる気はない。
使い処は別にあるのだ。
「もうそろそろかな。はぁ」
またブレイズガルヴ王子がため息をつく。最近は、このため息も多い。
戦争の片付けは大変なのだろう。
私は頬を撫でて「また」と口にした。
「そうだね、睡眠も大切だ。じゃあ、リーベル、いい夜を」
抱きしめる形から寝台に横たえて、ブレイズガルヴ王子が困ったように視線を彷徨わせた。
口にしたのは「いいのかな」と言って、決意をしたように私の額に口づけをし、真っ赤になっている。笑うのは、あとだ。
「うれ、しい」
言葉を重ねるように言うと彼は微笑んで、もう一度、唇を寄せると「おやすみ」と言って、部屋の明かりを消した。
そういえば、泥のような声が聞こえなくなっている。酷い惨状を見たからか、お父様たちがどうなったかを知ったのか、巨人の話や兵士、残されたものたちの話を聞いたからか。
前向きになったなんて都合のいい言葉だが、私は目を瞑る。
王族がなんたるかを、よく考えるようになっていた。
そしてある言葉を練習する。練習するだけ練習して、その時が来たら、ちゃんと言えるようになりたい。
ブレイズガルヴ王子はどんな顔をするかな。
うと、と眠りが身体を誘う。そのまま目を閉じて明日を待っていた。
* * *
朝、大きな音で目が覚める。大きな音といっても聞いたことがある。
荷馬車の音だ。馬の嘶きも聞こえるし、馬車から人が降りてくる音、それぞれ何か言葉を口にしている。
これが昨日言われたことか、と納得して、ゆっくり身体を起こす。
本当にゆっくりだ。まず右に身体を傾けて、左の手で寝台を押して右の肘を曲げる。右腕の力全部を使い、身体を起こす。もちろん、左手にも力を入れて斜めに起き上がった。
はぁはぁと息が漏れる。身体を半回転して、地に足をつけた。
これで立てればいいが、まだ立つことができない。
「おはようございます、リーベル様」
起き上がりにアメフィたちは驚くこともなくなった。最初の頃は驚いていたけど、今はもう、朝の行事のようなもの。
他の侍女が脇を持ち上げて、椅子まで歩行訓練をしてくれる。
一歩に土の感触を感じ押し上げる。膝も腿の根も使い、ゆっくり歩いて、いつもの椅子に座る。ふうと息をつくのは全員だ。
食事が始まった頃に天幕の外から「よろしいですか」という男性の声がしてアメフィが天幕から私を隠すように出ると、なにか喋っているようで、少し経って戻ってくる。
「今日、いらしている方々をリーベル様はご存知ですか?」
ブレイズガルヴ王子に聞いたかの確認だろう。
「うん」
「どこからかリーベル様が生きている、という情報が漏れたらしく、探している方がいる、と」
「ここに警備はつかないの?」
食器を持っていた一人が聞くとアメフィは首を振った。
「あからさますぎるからって。陛下の天幕は分かりやすいし、他の地位がある方の天幕は分かるように旗印をかがげているでしょう? 医務室も旗をかがげているし、ここは倉庫として使っているけど、もし侵入するなら、ここからじゃない?」
ああ、と二人は理解して顔を見合わせた。
「じゃ、寝室の方に行きましょうよ」
思いついた、というように皿を持った侍女が言う。
「怠けてるみたいじゃない」
「そうじゃない、そうじゃないの。私、ずっと考えてたことあるのよ!」
私も視線を送って、なにかと思うが、彼女は私に向かって、
「リーベル様の洋服を、ずっと作りたかったの!」
彼女は、ずっと病人服だったのが「気に入らなかった」らしく、王女なら王女らしい服を私に着せたかったらしい。だが、城内に入ることはできないし、もし見つけても十歳の時の服では、と思っていた、と。
「服と言ったって、どうやって作るのよ。私たちの手持ちは何もないよ?」
「あるじゃないっ」
と、彼女は自分の服を引っ張った。
「これならまだあったよね」と言う彼女は、目が爛々と光りながら二人に同意を求める。
私も、使用人服で? と思った、作ると言った彼女は、
「まず前掛けは取っちゃうでしょ。この襟首までは、そのまま使用人ぽいから切って、背と前は胸より上、その裁断あとはフリルをつけてー、手の部分もフリルつけてー、腰はコルセットないから腰辺りに、残りの布をフリルっぽい感じにつけるの」
残りの二人は「うーん」唸っていたが彼女の手取り足取りで、なんとなくはわかったらしい。
「どうせ、ひまでしょ! つくろうよー!」
勢いに押されたのかアメフィたち二人は、彼女を見ながら顔を合わせて、最後はいいよ、と口にした。
どうせ隠れていなければならないのなら、少しでも手慰みがあった方がいいだろう。
「いい、ね」
私は背中を押した。
これで決定となった一日ドレスを作ろうの回は始まる、と同時に、
「失礼、よろしいでしょうか」
有頂天になりかけていた三人は、身体をびくっと動かして食事を隠し、私に布を掛けて荷の陰に連れて行く。しかし、私は聞き覚えのある声で「セリュ、バンさ」と口にした。
それに気づいたアメフィが、ゆっくりと天幕を捲ると、その通り、セリュバンさんがいるはずだ。
「ど、どういったごようでしょうか?」
なんの意図か分からず、どもるアメフィは後ろを、正しくは私を見てるだろう。
了解のないままセリュバンさんは入ってきたと思うと、私は布を取って「どうし、ました」と聞いた。
相変わらずセリュバンさんは、ひょうひょうとしていたが手に持っていたものをかかげると、
「いいもの、持ってきましたよ」と言う。
そのセリュバンさんの「いいもの」というのは、木の杖? らしきものだった。
しかし脇になる部分には横に丸い棒があり、その両端から斜め下に木の棒が伸びている。さらに終点には二本の、これまた丸い棒が垂直に、地面についている。
よく見れば斜め木の間にも木の棒が横にあって、まじまじと見ているとアメフィが「あ」と声を出して「杖ですか」と言った。
「その通りです。どっかのだれかさんから歩行の練習をしていると聞きまして」
セリュバンさんは、こちらまでくると「食事中に失礼」と言って、私の身体を起こすと、
「これを右脇に入れて。立つことはできますね」
その通り、私は立っていた。木の杖のおかげで垂直に立てている。セリュバンさんは、その次にと言い、
「まずは杖を前に、次に杖に体重をかけたまま左足を、そして右足を」
簡単な使い方で、私は「歩けた」、驚いているとセリュバンさんはにっこり笑って、
「何事も解決できないことはないんですよ。ちゃんと考え、至れば、こういうことだって、できちゃうんです」
人差し指を立てながら、セリュバンさんはくすりと笑い「これでお役に立てるならなんでも」と言って「では」と天幕から出ていった。嵐のような人だ。
「すごいですよ! リーベル様!」
「わたしたち、洋服作ってますから、アメフィはリーベル様の補助して歩く練習してなよ! どうせアメフィは裁縫苦手でしょ。妹さんの人形も直せないとか言ってたし」
「うっ、それ言われると傷つく」
あはは、とみんなで笑い。残りの食事を食べ終えると、予告通りに私は杖を使った歩行訓練と残りの侍女たちは、私の洋服を作ることになった。
歩ける時間があるかないかと、実はひやひやして、最後にはアメフィに手伝ってもらうことになると思っていたから、この杖には感謝しかない。
これで好きなところに歩いて行ける。
もしかしたらブレイズガルヴ王子のところまで歩けるかもしれない。
私は夢中で練習していたが、遠くで泣き叫ぶ声を聞くことはなかった。
* * *
その天幕は遠くから見ても赤と金でまとめられた豪奢なもの。
中では「リーベル王女」の処遇について話し合いをしていた。
すでにクエ国の大臣や貴族たちの処遇は「死」と決まっており、最大の難点である「リーベル王女」については二つの意見に分かれ、簡単に言えば「死」か「生」か。
この半分は、会議でも半分に割れていた。
そしてアルフガルド国王は「死」に票を入れ、第一王太子ブレイズガルヴは「生」に票をいれていた。
またそれぞれの勢力が、それに順従しており、話は平行線の一途である。
椅子に座りながらも背を正す、父を見、ブレイズガルヴは唇を噛んでいた。
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