第10話 逃げる

 天幕を出てから、遠くの方でアメフィが私を呼び声がする。

 そちらに目を向ければ焦った彼女が走っていた。

 何も言わずに、こちらに来たのだから、まあ。

 思いつつアメフィの方に向かう前に左肩を掴み、くるりと回転され、右肩には彼の右手が、がっちりと掴まれていた。

 後ろにはセリュバンさんが控え、こちらをじっと見ている。


「どういうつもりなんだ、リーベル!」

「そのまま」


 理由は言った通りだ。それ以上のことはない。

 私は笑って、


「死罪、でいい」


 と、言えばブレイズガルヴ王子は愕然し、私の肩を強く掴み上げる。


「十五のきみは死刑を望むのか? きみは言っていた罪や罰は空想だ。たらればだ。今さら何を言っても「できないこと」だ。そこに責任はあるのか?」

「王族だから」


 彼は頭を振って、唇を噛む。

 何も認めたくない。そんな空気だ。しかし間違っているとは言わない。

 心の所在の問題だ。


「王族、だから、こそ、責任、とる」


 この狂乱の時代に生きた人々に捧げるのはいつだって「いけない人」

 どんなに愛していても民衆が死刑を望むのであれば、そうでならなくてはならない。


「わかってる、でしょ?」


 私はブレイズガルヴ王子に語りかけた。彼だって王族の一人。

 何かを間違えれば責任を取らなければならない。例え、それが原因の渦中の人物ではないとしても、その人の子や孫は、相手が「許す」まで罪を償わなければならない。

 それが勘違いだとしても、思い込みだとしても、身体を動かす感情はいつだって、生きる為になるはずだ。

 今ある激情も年月を重ねなければ眠りにつく。今を生き、未来を生きるのであれば柔らかく語られる「責任をとって王族の方は死罪になった」は物語りになる。

 私は瞳を閉じてからブレイズガルヴ王子を見た。

 彼は私を見ていた。茶の瞳が揺れている。私の瞳も見てくれているだろうか。


「死んでほしくない」

「あなた、わがまま」

「分かってる、分かってる! だとしても!」


 今度は俯いて、息を荒らげる。分かっている。分かっているのに、心が追いつかない。ああ、この人は私の死刑に反対してくれている。

 それは死んでほしくない、と言っているんだよね。

 嬉しいなあ、私をこんなにも必要としてくれているなんて。


「きみの十五年は死ぬ為にあった訳じゃない」


 私は何も答えなかった。

 アメフィと兵士が来るのが同時で、私はアメフィに、兵士はブレイズガルヴ王子を連れて行く。セリュバンさんも何か言いたげだったが、連れて行かれる彼に同行してある天幕に入っていった。


「びっくりしました! リーベル様、何をなさっていたんですか!」


 ここまで来るなんて、とアメフィは言った。

 私は自分の死を告げず「戻る」と言って自分の天幕へ歩いて行く。もうアメフィは何がなんだか分からないようすで「何があったんですか」「何をしたんですか」と道中に聞き出そうとしていたが「王に会ってきた」とだけ伝えると、


「えっ、アルフガルド王に会ってきたんですか!?」

「うん」

「何を、言ったんですか」


 アメフィは鋭い。この遣り取りの中で本当のことを予想してる。

 私は笑って「私の、処遇」と伝えた。

 それだけでアメフィは目を見開いて「助命を伝えたのですよね?」と言う。

 また私は笑った。


「そういえば、表情……笑ってらっしゃるということは大丈夫だったんですよね?」


 何か言ってください、リーベル様、と隣から切実な声が聞こえる。

 だから、私は首を振った。

 アメフィは固まり「どうしてですか」と絞り出すような声で言う。


「どうしてですか!」


 今度は道中にも聞こえるほどに叫んだ。

 周りにいた兵士たちや使用人たちがなんだなんだと、こちらを見る。


「リーベル様は悪くないじゃないですか! 一番悪いのは父親でしょ! 違いますか!? ずっとリーベル様を閉じ込めて。リーベル様は知らないと思いますけど、保護してから、ずっと、最近までうなされていたんですよ! ずっとずっと! 泣いていたんです! 娘をうなされるまで泣かす父親なんて家族じゃない!」


 ぽろぽろとアメフィは泣いていた。


「そうだね」


 小さく、私は応えた。

 それが答えだと知ったアメフィは手で顔を覆って泣く。

 おかしいよ、おかしいよ、と泣きながら蹲ってしまった。


「ひゃっと、王子さまが、きて、リーベルさまは、つらかった、ぶん……幸せにならないと、いけないんです。がまんして、ずっとして」


 アメフィは優しい。あの塔の上で、私が民のことを一番に考えていたと思ってる。

 そんなことはないんだよ、自分のことばかりだったよ。

 言ったら、どんな顔をするだろう。優しい彼女のことだから強がりとか言うかな。


「リーベル……? おまえがリーベル王女なのか」


 前から聞こえた声に、私はそのまま目線を上げた。

 初老ぐらいだろうか、男は短い白髪の髭にベストにシャツ、ズボンを履いて、大きく目を見開いている。

 はくはくと口を動かしながら、なんと言っていいのか分からない。そんな様相で、走ってきた人のように肩が上下に動く。


「おまえが! おまえがリーベルなのか!」


 男は、私に掴みかかる。びりっとドレスのどこかが裂けてしまう音がした。

 小さい少女に大人が掴み上げているという構図を見れば、誰でも動いてしまうようで、ツォルフェラインの軍人が「落ち着いて」と声をかけながら男性を私から離す。


「よくも息子たちを殺したな! みんな、みんな殺したな!」


 これが現実だ。

 アメフィは蹲るのをやめて、私を背中に隠すと暴れる男性を見る。


「おまえのせいで、みんな死んだ! 殺しやがって! おまえは見たのか! 顔も分からないんだぞ! どうして、あんなに……なんで死ななきゃならないんだ!」


 二人の軍人に押さえつけられながら男性は叫ぶ。

「なんで」「どうして」理不尽が私の中で渦巻く。昔は自分の為に使っていたけど、今は違う。

「なんで死ななきゃいけなかったのか」「どうして死なないといけなかったのか」

 この二つが、私の罰だ。

「殺した」

 これが私の命だ。

 思っていた時、パァンと男性の頬を打つ初老の女性がいる。彼女は男性を見ながら泣いていた。目は腫れ上がり、これでもかと泣いてきたのだろう。

 口を一文字に結び、男性を殴った手のひらを握り締める。


「アンタ! 分かってんだろ! リーベル王女は監禁されてたって! 十歳の子どもに何ができたんだ!? 父親を止めるなんて足元で駄々こねるしかないだろ!」


 両人ともハァハァと息を切らしながら、泣いていた。

 感情と理性が、国民の心を引き裂いている。


「でも、でもよぉ、なんで死なねえといけなかったんだよ……わりぃことなんて、一つもしてねえんだ。生きて食べて仕事して、ガキ共の世話して、それを壊しやがったんだぞ」

「分かってるさ、でも、幼い子に、お前が悪いっても、わたししゃは納得できない。

だって同じだろ。生きて食べて国のこと学んで、そうしたら父親に壊された。そこの違いなんて身分の差くらいさ」


 その「身分の差」が人を傷つける。

 男性の方が正しいと私は思う。

 そして女性も、言っていることは正しいことなのかもしれない。

 せめぎ合う二つが、ざりざりと擦れて、両方を殺そうとしている。

 だから、私が「決着」をつけるのだ。


「初め、まして。リーベルです」

「え、リーベル様!?」


 女性は驚いたように地に伏してから、そろそろと顔を上げる。

 私を見たことはないだろうし、こんな姿になっているなんて思っていなかっただろう。


「こんな、姿、ごめん、なさい」

「いえ、いえ! こんな、こんなにお痩せになって」


 十五の娘が、と女性は口にした。

 この人も誰かを思えるいい人なんだなあ、と私は思う。

 だからこそ、言おう。


「私の、死刑は、まだ、先です」


 沈黙が私たちを襲う。兵士は聞いてなかっただろうし、もちろん、一般市民である彼ら彼女らが知ることはない話だ。

 アルフガルド王には悪いが、ここの仲裁に使わせてもらうことにする。

 このまま話が広がれば、誰もが安心するだろう。

 リーベルを探している、という人たちも、少しは溜飲が下がるかもしれない。


「そんな、リーベル王女……死刑?」

「はい、決まって、います」


 女性も、その奥に座っていた男性も目を見開いていた。

 公式に発表されてないことだし、人ひとりの命の処遇を聞くのは初めてだろう。


「……死ぬのか」


 男性が呟く。

 それに、こくりと頷いて笑って見せた。

 なんとも言えない顔をした男性は、笑うでもなく喜ぶでもなく、地面を見ながら、何かを考えているようで、もう一度、私を見て「死んじまうのか」と言う。


「国の、責任、は、私の、責任、です」


 男性は立ち上がり、城の方へと、確か遺体が安置されたところに行ったのだろう。これで私の「死刑」は公になる。

 アルフガルド王に「でも」を使わせない。ブレイズガルヴ王子にも「でも」を使わせない。私の死刑は確実なものにしたい。

 女性は肩を落として、私を見ていた。私は笑い。

「ありがとう」と伝えて背を向ける。

 天幕の中に戻り、少し経ってから「当たり前だ!」「死刑だ!」という歓喜の声が聞こえた。

 アメフィは、

「その為の笑顔を練習してほしかった訳じゃありません」

 と、固い声のまま、私の元を去って行く。

 代わりに他の侍女が来て「なにかありました」と口にしたけど、私は首を振って、死刑のことは伏せることにした。


   *   *   *


「馬でも用意しましょうか?」


 二頭くらいとセリュバンは言った。

 目の前の男は、明らかに不機嫌で「久しぶりに見る」机に脚を乗せるという行為をしていた。

 茶の髪は一回掻き混ぜたのか方々に髪が散り、瞳はぎらつく。


「貴方のそれを見るなんて、この歳になってあるとは思いませんでした」


 何かを思案している彼を尻目にセリュバンは出入り口の様子を窺っている。ここで馬を用意しましょうか? なんて聞かれたら元も子もない。


「ブレイズ」


 他人の前では、決して呼ばない友人の愛称を飛ばしても彼は険しい顔をするだけでそれ以上のことはない。


「馬、用意しましょうか?」


 何度か提案するが、そのたびにブレイズガルヴの拳が額を押す。


「まあ、貴方が女性に何度も会うなんておかしい話なんですよ。しかも好きな菓子をわけながら食べた? それを聞いた時、先に結婚するのはブレイズかと思いました」


 まさか敵国の姫君だとは思いませんでしたけど、と付け加えてセリュバンは笑う。


「これをシフリカも聞いたら、あの人は大爆笑しそうですね。考えはまとまりそうですか」

「……だったら、俺の足をどけてみろよ」

「ぼく以外、人払いしたら、それですもんね。いやですよ、蹴られるの」


 セリュバンは出入り口近くの椅子に腰をかけるとブレイズガルヴを見ないまま、懇々と話す。


「いいんですよ、本当に馬を用意しても。昔はやんちゃしてたくせに、大人しい」


 中々の気持ち悪さなんですよね、と言わなくていいことをセリュバンは言う。

 ブレイズガルヴの頭の中に、だんだんとリーベルと逃げるという心が大きくなっていく。きっと追っては長い間、自分たちを追ってくるだろう。しかし追ってくる分、リーベルと一緒にいられるなら幸せなのではないか。

 約束した、お茶会を開けるのではないか。

 でも「死」をリーベルは笑って言った。

 こんなにも心をかき乱されることがあっただろうか。

 唇を噛む。昨日から噛みすぎて、血が出てる。


「幸せは人それぞれだけれど誰かを守る時、何かを貫かないといけない時、間違いと知りながらも突き進むには強さが必要だよ。ブレイズガルヴはできる?」


 思い出がブレイズガルヴの中に流れてくる。この言葉を教えてくれた人は、もう、この世にはいない。

 強さ、それは彼女の心さえ変える強さだろう。

 連れ去ってもリーベルは死ぬ。自分から死ぬ。戻って死を選ぶ。

 そのナイフを取り上げることはできない。彼女が願っているのだから。

 どうしたら、どうしたら、何回も考えては「逃げたい」という言葉が出てくる。

『第一王太子で次期国王後継者』

 昔は嫌いな言葉だったが、己がなんたるかを知った時、立場は変えられないが、変えられない故に多くの守りたいものが多く守れる。

 そう考えていたのに、今、守りたいのは菓子一つ。

 あとで食べるのを躊躇し始めたが当初はリーベルが食べられなかった菓子の半分をもったいないと思って食べていた。

 でも、もう手元に彼女と分け合った菓子はない。

 守りたかった甘い菓子かのじょがいない。

 

 拳をつくって額を殴る。

 

「ブレイズ、誰か来ます」


 それを聞いてブレイズガルヴは机から足を下ろして、伝令兵なことに気づく。


「どうした? 何か火急な知らせか」

「はい、リーベル王女の死刑執行を明日の昼に行うとのことです」


 ブレイズガルヴは熱かった身体が一気に冷える感覚を久しぶりに味わった。

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