第9話 黒のドレス

 その日、絞った淡い光りの中、ブレイズガルヴ王子は来ることはなかった。


   *   *   *


「どうされたんでしょうね」


 朝から歩行訓練を手伝ってくれているアメフィが不思議そうに言う。

 杖、足、足、杖、足、足、随分と歩けるようになったし、早さもまあまあ。


「仕事、忙しい、言ってた」

「ご遺族の方もいらっしゃてましねえ」


 足元を見ながら歩いたり、前を向いて歩いたり、姿勢を正して歩く。

 昼には一人で動けるようになりたい。

 遺族、か。セリュバンさんに聞いた巨人のうちの二体が、たくさんの人間を使ったものであれば、その数は相当のもの。

 多分、最初の方こそ城がある、この都市の人間を使っていただろう。そうこうしても足りず、他の街に、他の村に、もしかしたら出入りの商人さえ犠牲になっているかもしれない。

 奴隷もいるなら、どれだけの金が動いたか。

 どれだけの人数が命乞いの為に密告し、知らぬ人間が被害を受けたか。

「父」は狂気の中「わかって」いたのだろうか。


「リーベル様?」

「ん、ううん」


 また、杖、足、足と訓練を再開していたところに、


「できたー!」


 と、黒のドレスに、縁にはフリル。前にはボタンがついている。

 侍女は嬉しそうにドレスを持ちながら、くるくると周り、にこにこしていた。

 昨日から作っていたから、二日で出来るのはすごい早さだ。

 外に出るのも回数が減っていたし、できないことはないが、彼女の嬉しそうな顔を見ると私も嬉しい。


「さて、着ましょう。着て修正するべき点を正さねば!」


 私がいる寝室に戻り、病院服を脱いで黒のドレスを着る。

 腰は絞れないから、絞ったように見せる為、スカート部分はふんわりとした出来で顔を上げると、


「綿を入れてみたんですよ」


 そんな高級なものをと口にする前に「いいじゃないですか、いいじゃないですか」と彼女は言って、腰まで着ると、手を入れる。

 元々細いのだ。簡単に入り、肩に布かかった。前をボタンで閉めて彼女は仕事は、ふうと額を汗で拭う動作をした。


「ぴったり!」

「胸の所、何か布を巻いた方がいいんじゃない?」


 アメフィの声に「そうかな」と彼女は言う。

 自分で言うのもあれだけど、私の胸は板だ。膨らみが出るのがいつか分からない。

 それが、ちょっと面白くて笑いそうになる。


「胸の所、脱がしますね」


 大きめの手ぬぐいを四回巻いて、再度着ると胸部分が膨らむから、私が知っているドレスになった。よく「母」が着ていたものに見える。


「おーこれでいいですね!」

「今日、着たままにしましょうよ。きっと喜ばれますよ!」


 皆々が口にして、きゃあきゃあと言ってくれる。

 着たまま。ブレイズガルヴ王子に見せる、ということだろう。

 黒のドレスはフリルで飾られていても「喪服」のように見えた。

 なんだ、私に似合っているじゃないか、そんな気持ちが私の中に芽生え、丁度いいじゃないかと、もう一人の私が言う。


「お水、飲みたい」


 言えばアメフィが取ってきますね、といい。


「二人、掃除、した」


 と問えば「おっと」とした顔で「一着なくなったってバレるかな」と言いながら、

「席を外しますね」と言い、奥の天幕に消えていく。

 私は立った。

 日射しが強い。私が天幕から出たことを誰にも見られなかったらしく、私は、練習通りに歩く。意外にも早く歩けた。

「え」「あれ?」という声が強くなる。


 私の目を夕陽色と言ってくれた人がいる。

 私の髪を夕陽色と撫でてくれた人がいる。


 私は振り返った。城の前には、たくさんの遺体があって、その一つ一つと確認する人たちがいる。丁度、私のそばに馬車が通った。

 乗っている人たちは一同暗い顔をして真実が分かっていても、分かりたくない。

 そんな顔をしていた。

 私は前に向き直ると、歩く。いつアメフィが気づいて追いつかれる可能性がある。その前にしなければならないことが私にはあった。

 ふと思う。私は、今から最大の裏切りをするのではないか、と。

 杖、足、足と歩き出す。

 赤と金の天幕は、すぐそこだった。

 天幕前を警備していた二人が、私を見て「どちらさまでしょうか」と言う。

 杖を持っていれば怪我人に見えるだろう、警備の二人は強く私を責め立てることもなく、純粋に心配の声をしていた。


「王に」


 その一言を言って、私は無理やり天幕の中に入る。

「困ります」やら「お待ちください」と柔らかい声が聞こえ、それでも私は歩を進めてアルフガルド王の前に立った。かの王は顔色も変えずに私を見返す。

 王を囲うようにいた、各諸侯も、各軍人もいるだろう。そして、

 オリヴィエ王子にセリュバンさん。そして、

 ブレイズガルヴ王子がいた。


「リーベル?」

 

 二、三歩進んで、軽く腰を下ろして私は言う。


「私の処刑はいつでしょうか」


 私は見せたことのない笑みでアルフガルド王に聞いた。

 流暢に言えた。練習した甲斐があったというものだ。


「リーベル王女、今、そのことについて会議をしていたところだ」

「はい」

「……貴女は処刑を望むのか」

「私に、は、罪が、あります」

「それは?」

「父を、ころさ、なかった、こと、です」


 みな、私を助けようと、逃げようとした。

 間違いはない。彼ら彼女らは私を思って行動してくれた。優しい人たち、そして、あの状況でことを起こしてしまった罪の証。

 この国の善行は罪になってしまった。罪はいつか贖うべきだ。

 そうさせてしまった根本的な理由を排除する。


「そし、て、私が、罰をうける、べきです」

「死罪となりますぞ」


 アルフガルド王の言葉に、私は笑みで応えた。

 場の緊張は最高潮を迎えていて、誰かが息を飲む。


「父上! 確かにリーベル王女の言っていることは道義があります。しかし、彼女は十の頃に幽閉され監禁されていました! 何度か逃亡したものの捕まった。そこに彼女が父王を殺すことができたでしょうか!?」


 ブレイズガルヴ王子の声が響く。 

「十歳の子どもにです!」

 確かに、と思った。

 あの頃の私は、その考えに至らなかっただろう。


「民が、ゆるし、ません」


 ごめんなさい、と心の中で謝る。

 もしクエ国を再興するならば王族は邪魔だ。何より王族が行いこそが、全ての原因なのだから。私は、五年間牢屋にいたけれど、日々考えることは「出る」からではなくて、いつ「終わるか」という事ばかり考えてた。

 国民のことなんて「お父様の材料になってしまう人たち」と、彼らの人間性を無視している。

 今日も死体を見て、泣く人たちがいた。

 私は、これっぽちも涙が出ない。

 ごめんなさい、という言葉さえ出てこなかった。


「お待ちください、リーベル王女」


 そう止めたのはセリュバンさんで、


「民から恩赦状が送られてきています」


 顔を上げてセリュバンさんを見た。

 そして机に置かれた紙を見る。様々な筆跡と数字が書かれてる。この人たちは私を恨まないと決めたらしい。

 でも、それは十歳の私に対してのものでしょう?

 私は首を振る。


「ならば、決まりだ」

「アルフガルド王!」


 ブレイズガルヴ王子が叫ぶ。

 私を好きなってくれた人。

 思い残すことがあれば、お菓子を食べ合うことだろうか。


「ブレイズガルヴ、お前には謹慎を言い渡す」

「なんっ」

「王子」


 彼を止めたのはレディングスの言葉だ。


「最初から王女を許す民は、今後憂いもなく生きていけます。だが、許すことができない民は、これからどう生きるのです。許せ、許せと迫るのですか? それは人を寄越せと脅していたクロゼル王と変わらない」


 レディングスは瞳を閉じて、


「最初から許す民を一として、できない民がゼロとするなら、人生の観点を置けば人間にとってゼロから一になるのは難しいのです。恨みはそれほどに絶大なのです」


 貴方は私を見た。

 私は、初めて貴方に笑みを浮かべて笑いかける。

 ずっと我慢していたことだ。お茶会で笑ったら決心が揺らいでしまうような気がして、何度も笑うことを我慢し、貴方の体温だけ感じたかった。


「私、は、クエ国、おうじょ、リーベル」


 アルフガルド王に向かって頭を下げる。


「この、いのちは、国の、ために」


 細い瞳が、ずっと私を見ていた。

 誰よりも冷静に息を乱すこともなく、ただ私を見てくれる。


「死刑期日は、追って沙汰を出す」


 私は出来るだけ腰を落として、もう一度、頭を下げた。

 今度はブレイズガルヴ王子の顔は見ず、杖を使って天幕の外に出ると日射しが眩しかった。

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