第4話 城へ

 私にとってあの人はなんなんだろう。

 この頃は、そのことばかり考える。

 今日も座って、外から聞こえる音に耳を傾けていた。

 会う度にお菓子を食べる。私を見てだ。こういうのなんて言うんだっけ、お父様が昔、側近の人たちとお酒を飲んでいる時に、いつも食べていた奴。

 ああ、お酒の「あて」だ。お酒を飲むのに「あて」があると、どんどん飲めるとか。

 言ってた、気がする。遠い記憶だ。眠れなかった日に、お父様とお母様の部屋に行こうとしたら、中庭でお酒を飲んでいて、びっくりしたけど、あれが本当の大人の世界だったのだろう。

 なんか違う方向に思考がいっちゃった。

 最近の私は、白湯から重湯に変わり、嚥下するのも辛くない。

 医者は回復してきたと言った。でも、相変わらず腕は皮と骨だし、けれど動く範囲は広がったかな。足は頭の中で動け動けと思っても動かない。

 声は最初よりまともになって母音ならいける。

「うん」なら「う」、「いいえ」なら「い」

 そんな感じだ。だから「美味しいですか」と聞かれれば「う」と答える。

 あの王子様と出会った時は、少し気をおかしくしてたから、たくさん喋れたけど、いつもの、私になれば、こんなもんだ。

 変わったといえば、衛生兵の彼女たちが私を揉み療治してくれる。

 今まで使わなかった筋肉などを使えるようにって。痩せ細った身体を揉んでくれるのはなんか恥ずかしい。

 こんな骨と皮だもん。

 顔は、どうなったんだろう。少しはこけていた頬が治っているといいな。目ももう少し。

 近くで「目の色が綺麗だ」とか「髪が綺麗だ」とか言う人がいるから、少しはよくなっているのではないかと錯覚する。

 アメフィさんが今日は陛下がこちらに着くらしいですよ、と言っていた。

 陛下。ツォルフェラインの王アルフガルド・アイルハルト・ツォルフェライン。

 これくらいなら十歳の私でも覚えている。

 この姿で会うのか。一応、私は王女だし、綺麗な格好がよかったな、と少しだけ思う。

 ああ、そうだ。十歳から監禁されてるんじゃ十五の私のドレスなんてないか。


『お前はなァ! 淫売な女から産まれたクソガキなんだよォ! だから早く飢え死にしろォ!』

『貴女のせいで、貴女のせい、貴女のせい! なんで産まれてきたの! 貴女さえ!』

『リーベルさま……わたしの父が死にました。ただフェランテ様を生き返らせるなど、反対したから、やっぱり、やっぱり……たまに貴女の名前を呼ぶのです。そのたびに人が死ぬ』

『早く死なねえかなあ! クズが!』


 うとうとしていたらしい。

 こうやって保護されてからお父様や皆の声が

 塔にいた頃よりも聞こえるから、みんな、私を呪っているのだ。

 それが、ずっと私のそばにいる。


「父上、こちらです」


 ふと聞き覚えがある声が聞こえて、ひっそりと天幕が捲られた。

 ちらりと見れば、髭を蓄え、ほどよく恰幅がいい目を細めた人とブレイズガルヴ王子と一緒な髪色で長髪の男性たちが入ってくる。

 それに続いてブレイズガルヴ王子が入ってきた。

 あ、この方が……そう思って身体を起こそうと思い、ひじ掛けに力を入れる。

「そのままで」とアルフガルド陛下はおっしゃったけど、やっぱり気になって力を入れた。

 見たのか、ブレイズガルヴ王子が背後に回って軽く背を押して「正しい」対面になる。


「父上、まずはわたしからご挨拶させてください。お初にお目にかかります、リーベル王女。わたしはツォルフェライン国第二太子のオリヴィエと申します。先日のレディングスの件について心より謝罪申し上げます」


 そうか、あの人の。


「い……え……」


 すうと息を吐いて、どうにか言葉に出来た。

 ブレイズガルヴ王子が背を擦ってくれる。


「では、次は私だな。ツォルフェラインの国主アルフガルド・アイルハルト・ツォルフェライン。まあ、見ての通り、ただのじじいですがな。国の政をさせていただいております」


 まさかの口調から、さらに背を正そうとするが出てきたのは「ごほごほ」と声だけだ。

 それに「リーベル、落ち着いて」と優しい声が頭の上から降ってくる。

 こんなことをされたら、ちゃんとしないといけない。お母様からの行儀作法を思い出す。


「陛下、こちらを」


 と、私の面倒を見てくれるアメフィが椅子を持ってきた。

 それにアルフガルド王は腰をかけると、ふうと息を吐いて真剣な顔をする。

 私の処遇についてだろうか?


「王女には二、三聞きたいことがある。が、その前に言わねばいかぬことがありまする」


 細い瞳の奥に鋭いものがある。これが本当の王様の姿だ。

 私が見てきたお父様とは違う。私は政治の場に出ることはなかったから。


「お父上であるクロゼル王は存命の可能性があるのだ」

「う…? あ、アァァ!」

「リーベル! リーベル、落ち着いて、大丈夫だから」


 お父様が生きてる? この状況で? 城にツォルフェライン軍は突入したはずなのに?

 ひじ掛けをダンッと叩いた。もう一回叩こうとして、それにブレイズガルヴ王子の手が、間に入る。二度目は叩けずに「ウッ……ウゥウ」と唸ることしか出来ない。


「可能性、だ。リーベル王女。クロゼル王の遺体が見つかっていない。この度の戦で我々ツォルフェライン軍は三方からクエ国を包囲し、攻め入り、残りの一方には斥候などを配置して誰一人も逃がさぬようにした。しかし、どこからもクロゼル王が逃亡した気配がない。可能性として城内を捜索しましたが、これもまた……」


 お父様は生きてる?

 お父様が生きてる……!


「イィ、アァアアッ」

「リーベル!」


 いけない、それは駄目、お父様は死ぬべき人なのに!

 またどこかで人を殺してしまう!

 お母様を蘇らそうと、何人も何人も!

 暴れる私をブレイズガルヴ王子は包むように抱きしめてくれたが、私の中の渦が暴れる。

 何度も『お前のせいで!』という事が身体の真ん中から聞こえた。


「大丈夫だ、リーベル」


『怖い夢でも見たのか? リーベル? 仕方ない父が面白い話をしよう。聞いたら寝るんだよ』


「リーベル」


 目の前のアルフガルド王が、私の頬を手で撫でてくれた。

 はぁはぁと私は肩で息をして、また「ごほごほ」と咳をするとブレイズガルヴ王子が重なるように抱きしめてくれる。この人には色々なことをしてもらうばかりだ。

 そしてアルフガルド王は何度も頬を撫でてから、頭を撫でて「リーベル王女」と口にする。


「可能性なだけだ。我々の目を掻い潜り逃げることは絶対にない。そして貴女には協力して欲しいことがあるのだ。また心を荒らす行為だとは分かっているが、我らはどうしてもクロゼル王を捕まえなければいけない。本当は一つ一つ、これまでのことを話さなければならないのは承知の上で城内にあるだろう抜け道を全て教えて頂きたい」

「それは……父上、リーベル王女を城内に入れる、と」


 ブレイズガルヴ王子の張り詰めた声が聞こえる。

 それにアルフガルド王は、静かに首を縦に振った。


「まだ城内にいる可能性も考えている」


 王は私に苦しそうな瞳を向け、唇を一文字にしてかみしめている。

 分かっている。この人は決して私を苦しませるつもりはない。しかし、そうしなければならない理由があるからこそ、王として口にしなければならないのだ。


「リーベル、落ち着いたかい?」


 呼吸が整っていたことに気づいて、抱きしめてくれているブレイズガルヴ王子の横顔を見た。

 茶色の瞳は美しく、慈しみを感じる。ただ私が心配だ、と。


「父上、このようにリーベル王女は話すことが困難です。それでも、ですか」

「城内を周り、ある場所を示してもらうつもりだ」


 どちらも大きく息を吸い吐いて決断を待っている。

 私は二人を見て、どちらも私のことを心配してくれていた。


「う、うう」


 同意した。私は城へ戻る。

 五年の月日で変わってなければいいが、隠し通路は確かにある。

 以前、何かあった時の為に小さい頃から教えてもらっているのだ。

 それが役に立ち、お父様を捕まえることができるのであれば、あの城へ戻ろう。


「ありがとう、リーベル王女」


 アルフガルド王は、私の手を取って額に当てる。


「これが終わったら、ことの真相をお話ししよう」

「あ、うう」


 伝わっただろうか。

 そしてこっそりと「今夜も来るよ」とブレイズガルヴ王子が耳元で言った。

 また「あて」にするのか、でも、今は抱きしめてくれたことが嬉しくて「いいですよ」と口にできたらよかったのに、とちょっとだけ思った。

 変な人で、いい人。

 明日もこの人が一緒なら、どんなものにでも立ち向かえるのでは、と錯覚するほどに。

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