第3話 やっぱり逃げたい
食べられなかったクッキーの日から二日、三日が過ぎたと思う。
女性の衛生兵さんが来て、毎日身体を洗ってくれた。
「この石鹸、泡立ち悪くない?」
「あ、ホントだ。髪、痛くないですか?」
「リーベル様、痛かったりしたら腕を動かしてくださいね」
沸かしたお湯で背中を洗われ、腕を洗われ、足を洗われ、一番、丁寧にゆっくりと頭は洗われる。一番汚いところを洗ってもらうのは、少しだけ抵抗感があった。
こんな汚物まみれの人間の相手なんて、彼女らに失礼に感じる。
でも、嫌だという言葉も出なければ腕が動くこともなかった。
何度も何度も、彼女らは文句の一つ言わずに私の相手をしてくる。
そう何度も声をかけながら身体を洗ってくれた。そんな時に話題になるのは兵士たちの話だ。
やれ好みや、やれ体臭や功績なんか会話は途切れることがない。
「リーベル様も嫌だと思いませんか? 稽古したあとに水浴びすればいいのに、そのままで鎧を着るんですよ。蒸れて、凄い臭いがするんです。臭いに嫌な顔をしているのに……」
に?
「こっちが目線を向けてるから好かれていると思っているんです!」
ふふ。
「他の人たち指摘しないの?」
「やんわり言ってるらしいけど、水浴び嫌いなんだって」
「なんで?」
「冷たいからって」
うわあ、と彼女たちの呆れ声が響く。
彼に嫁ぐ人は大変そう。
外のことを聞くのは好きだ。今まで嫌なことばかり聞いて来たから安心する。
何度、髪を洗っただろう。初めての日から一回二回三回と石鹸で洗い、櫛らしきもので梳いて、洗いながらしらみを取ってくれていた。
前も言った通り、抵抗感があるけれど、心が解けていくようで嬉しい。
できれば彼女たちの会話に参加したいところだけれど、声が出ない。
五年前の最初の方こそ、声を出していたけど諦めた頃には誰かに声をかけるのをやめてしまった。そのせいか、擦れた声しか出なくなっていた。
「わあ、リーベル様の髪色、綺麗ですねえ」
すすがれて、やっと髪の全容を知れたのだろう。ひとりの彼女が声をあげる。
そう、自慢の髪色、お母様と一緒の髪に瞳。
お父様にとっては怨嗟の代物になってしまったけれど。
「夕焼け色、ですかねえ。橙色が、時折、金糸に見えて」
「瞳も橙色ですものね」
自慢の色なんですよ、と口にはできなかった。
笑ったつもりでも、頬の筋肉が動かなくて無表情のままだから、心の中で彼女たちに謝る。本当に感謝していると伝えたい。
「よっと」
ひとりが布で髪を挟み、乾かしてくれる。何度も挟んでは、とんとんと水気をとってくれて、
「風にあたりますか」
と、もうひとりが言い。私の身体に病院服を着せると易々抱き上げた。
そのまま天幕の後ろから出て、小さな通路に出ると風で髪を乾かす。
間に、天幕の中に風を入れるのだ。そうすれば木の椅子や水気があるものも乾く。
「やっぱ、外はいいですねえ。リーベル様も殿下と歩きたいでしょう?」
殿下? と
きょろ、と目が動いたのがわかったのか、彼女はにっこり笑う。
「実は噂になってるんですよー。初日にあの殿下が人払いまでさせてリーベル様と、お話ししたって」
それが不思議なのだろうか。
「まだお話ができませんのに殿下がリーベル様と二人っきり! 愛でも囁いたんじゃないかって話が女子の間で広がっているんですよ!」
……お菓子、半分くれたけど食べられないからいそいそしまう変な人だったけど。
その前に「きみを見てるとお菓子が美味しい」とか言った人だけど。
それで「いつか一緒に食べよう」と言ってくれた人。
ふふ。
「このあとは白湯を飲んで、ゆっくり休みましょう」
病気、の私は、今のところ白湯しか飲んでいない。
前に来た医者が言うには悪辣な環境で監禁され食事を出されていたので、身体中が痩せ細り、内臓の器官に異常が見られるから、まず白湯を飲むことで治すとか。
病については、お母様の時に見ていただけで詳しいことは分からない。
でも医者が言うのだから、そういうことなのだろう。
しかし、白湯ばかりだと……すごい回数で漏らしてしまう。
私を見てくれる彼女たちはわかっているようで、いつもお尻に厚めの布を置いて、何も言わずに変えてくれる。
「はあ」
と、私を抱き上げている彼女がため息をついた。
「やっぱり、軽すぎですよ。リーベル様はお歳は十五歳でしょう? 私、六歳の妹がいるんです。たまに抱っこをねだってきたりして、重いんです。だって六歳の子ですから」
妹がいるんだ。いいなあ。
「これから、どんどん太ってきましょう!」
彼女は笑って、ぐっと拳を作って太陽みたいな笑い方をする。
眩しい。こんな私に笑いかけてくれるだなんて。
「アメフィ! 隠れて!」
「えっ、なに!?」
「とにかく!」
アメフィと言われた彼女は、私を抱えて隣の天幕へ移る。隣の天幕は食糧置き場になっていて、そこにアメフィと私は隠れた。
少し経つとがやがやと五月蠅くなって、ばさっと隣の天幕に誰かが入ってきたようだった。
「ここに嫌疑ある王族がいると聞いたのだが、いないようだなあ!?」
びくりと身体を震わせた。
探されたこともあるが、大きな声がお父様を思い出させる。
「レディングス少尉、こちらは女性の衛生兵が休む場所でございます」
「それにしては床が濡れている、誰か使っていたのではないかあ!?」
「……わたくしたちでございます。衛生の管理は徹底しなければなりませんので」
「フンッ、では脱いでみせよ。身体が濡れているか検分しなければ」
にやにやと笑っているのが分かる。
このレディングスという男は、高潔なツォルフェライン軍の中でも、あまりよく、思われていない、そんな雰囲気をアメフィから感じた。
「あんっの変態男っ」
そんな時、
「どうした。レディングス、女性たちの天幕に用でもあるのか?」
声だけで分かる。ブレイズガルヴ王子だ。ザッと音がして重い一歩が聞こえる。
「おお、第一王太子殿下ではありませんかぁ、実は戦で王族の一人、リーベルと言う娘が捕まったと聞きまして。大罪人ではありませんか、民衆もなにやら噂をしている様子。早くお披露目といきませんと」
「なるほど、確かにリーベル王女は捕縛しているが、まだ時期尚早だろう。今のクエ国に必要なのは生活の基盤を整えることかと私は思うが、それよりも大事なことか」
「恨み辛みの露は、早々になくしませんと痛い目にあいますぞ」
「……貴殿の言葉、心に留めることにしよう」
ブレイズガルヴは一歩下がるかのようにレディングスの言葉に同意してから、ここから引け、と威圧しているのだろうか。
ぴりぴりとした空気が私にも分かる。
でも、私を探している? 国民の前で首をはねるのは当たり前だけど、なぜ私を探しているんだろう。
……お父様は?
どちらも譲らなかったけれど、やはり王族と少尉では「差」がありすぎる。
がやがやと騒がしい音が大きくなって、軍の人間が何事かと集まってきているのか
誰かが大きく息を吸い込む音がして、
「今は、引きましょうぞ」
レディングスは去ったようだった。
「大丈夫か」
それは天幕の女性たちに向けてか、それとも隠れている私にたいしてだろうか。
分からずとも、
「支障ございません」
「そうか」
この二言でブレイズガルヴは納得したようだった。
「今日のうちに花を届けに来る。夜になるとは思うが少し起きていてほしい」
誰に言うでもなく、そう言って去ったのが分かる。
「きゃぁ、かっこいいですねぇ」
こそこそ、とアメフィが言う。
嬉しそうに私の身体を抱きしめながら言うが、なんで花なんて贈るんだろう。
誰かの誕生日だったりするのかな。
疑問に思っていたのがアメフィに伝わったのか「リーベル様にですよ!」と言う。さらに疑問が沸いたが、理解した。
あの人、お菓子を食べに来るだけだ。
うんうんと納得して、もういいだろうと、アメフィが私を抱き上げ、元居た天幕に戻る。現場に居た彼女ら衛生兵は地面を蹴りながら「あのクソ、野郎」と声を荒げていた。ちょっとはしたない。
アメフィは、私を寝台に横たえて「今日の夜が楽しみですねえ」と口にする。
私をあてにしてお菓子食べるだけなんだけど。
横になったからか、うとうととしてくる。
寝て大丈夫ですよ、という声が聞こえて、私はそのまま眠ってしまった。
『陛下どうなされたのですか!』
『お父様!? お父様、お願い、ここから出して!』
何かぶつぶつと言っている。
『出すか! 出すか! リーベルゥ、わたしはおまえを殺してしまう』
『殺したっていいじゃないかッ! フェランテが蘇る!』
『駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。髪も目も同じ色だぞ! 実験は成功する!』
『リーベルは関係ない関係ないんだ、わたしの娘なんだ』
『だから、なんだ! 蘇らすんだ! わたしのフェランテ、娘なんて気にするな!』
『すまない、すまない、リーベル、リーベル、父は』
『殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 父は壊れてしまった』
『へ、陛下?、うッ』
『今日の供犠はこれだな。よし、帰ろう』
『おとう、さま』
『だれだ、おまえは』
『よし、帰ろう、よし、かえろう、かえろう、フェランテもそう思うだろう?』
ふと、目が覚めた。
この夢は久しぶりだ。
扉の向こうで狂乱しているお父様の叫びを聞いて、私は諦めた。
はっきりと「ここから出たい」とは言わなかったが、私に同情した使用人や兵士が
何度も助けようとした。でも、みな、家族もろとも死んだという。
生きていく為に奴隷を連れてくる。誰かが誰かを密告して生き延びた。
最初は泣いていたけど、もう当たり前。いいや。
「起きたか、リーベル」
この声に、はっとする。
ここはどこだか理解して、声の方に頭を向けた。
ブレイズガルヴ王子が、そこにいる。
そうだ、夜に来ると言ったのに、私は眠りこけてしまったのか。
「大丈夫だ、その綺麗な髪を見ながら、少しだけお菓子を食べていた」
「……」
私は、今、食べれないし動けないし何も出来ないんだけど。
気持ち悪いな、この人。
「今日も半分こだ。これは私の城で作っている砂糖をまぶしたクッキーだ」
パキッ、と割って食べれない私に見せてから、もぐもぐと食べはじめる。
「うむうん、きょうほ、きみの、んぐ、瞳は綺麗だ」
食べ終わって美丈夫に戻っても、さっきまで頬いっぱいにお菓子を食べていたのが
私の脳内に残っているんだよなあ。
「もう半分は、私のポケットの中だな」
その腰につけているレザーポーチの中、全部お菓子じゃないよね?
大丈夫だよね? この人、第一王太子だもんね?
「もうすぐ父の軍隊も到着する。私はできるだけ、きみの助命を願うつもりだ」
なんで? とは聞けなかった。
ただブレイズガルヴ王子の顔を見て、じっとしていると彼の手が私の頬を撫でる。
暖かい。あと固い。なんか嬉しくなってきて、彼の瞳を見ていた。
「でないと、きみの瞳を見ながら一緒にお菓子を食べられないからね」
前は安心感があるって言ったけどさ。
うん、この先どうなるかわからないけど、もし元気なることがあったら逃げよう。
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