見慣れぬ再会5
「ぱぱさま!」
時間の経過とともに当初の危機感と不安が薄れ、樹々に囲まれた変わらない景色に倦んできた頃、それは唐突に訪れた。
幼く高い声と、きらきらと舞う金色の粒子。
マルトの聴覚と視覚が久しぶりの刺激に混乱する中、小さな影が赤鬼の分厚い胸板に飛び込んできた。
どん、と軽くも重くもない衝撃。
頭から遠慮なくぶつかってきたそれは子どものかたちをしていた。
「ウス、ズミ……?」
反射的に小さな体を抱きとめつつ、マルトの精神は二つの衝撃に襲われていた。
ひとつは見慣れたものに出会えた懐かしさ。
安堵と言い換えてもいい。
ナナオとのスクリーンショットで見たばかりの――といっても数時間前だが――〈娘〉のウスズミだ。
髪の色はその名のとおり真っ黒というよりはわずかに灰色で、前髪を揃えすぎない程度のボブカット。「千紫万紅の世界観を考えれば、ボブカットというよりは尼削ぎと言いたくなる」と〈ゲノンゲン図書館〉の頭脳担当である貴族年鑑が言っていたのを思い出す。
正面からでは見えにくいが、そんな尼削ぎの髪の襟元には真紅のインナーカラーが入っている。もちろんナナオのセンスだ。というより、
ウスズミの着衣もナナオが選んだ
けれど、同時に拭いがたい違和感も覚える。
〈娘〉が動いている。
千紫万紅のNPCは基本的に受け身の存在だ。プレイヤーが事前に指示を与えておけば戦闘時にはそこそこ自律的に動いてくれるが、非戦闘時にはプレイヤーからの要請を受けて初めて動く場合が多い。
それも仕方のない話で、戦闘行動ならばある程度の正解が決まっているのでNPCの行動を設定しやすい。プレイヤーの追従に徹するのか、積極的に前に出て敵をかき乱すのか、咒術によるサポートをするのか、いずれにしろ明確な目的がある。
対して、非戦闘時になるとNPCに求められる役割は判然としなくなる。それはプレイヤーごとに幅がありすぎるからだ。NPCを従者として扱いたいのか、対等な仲間でいてほしいのか、擬似的な恋愛関係を望む場合だってあるかもしれない。たとえNPCに性格を設定しても、その全ての要望に細かく応えるのは難しい。こだわりの強いプレイヤーほど「こうじゃない」と思うことが多くなる。
よって、千紫万紅における非戦闘時におけるNPCの挙動は、基本的には無反応だが、プレイヤーの命令に応える際のリアクションに幾つかのバリエーションがある、というよくあるものにとどまった。
ウスズミのような〈子ども〉でも基本的に事情は変わらない。親子関係ということで、親からの呼びかけとその他のプレイヤーからの呼びかけで〈子ども〉の反応が変わる程度だ。
ただ、その反面、NPCの外見や仕草等は非常に凝りがいのあるものになった。数種類の装備を与えた上で定期的に着替えをさせることもでき、ウスズミをはじめ〈ゲノンゲン図書館〉のNPCは何体かこの設定をオンにしている。仕草にしても、例えば一定時間プレイヤーからの命令がなく手持ちぶさたにしている挙動や表情なども細かく設定できる。同じ設定はプレイヤーにもあるが、千紫万紅は現実と同じく一人称視点のため、ログイン前の時間やゲーム内で鏡を見ない限り自分自身の外見を気にする機会はあまりない。よって、めったに見ない自分の姿よりNPCの外観に熱心になるプレイヤーもさほど珍しくなかった。
雰囲気づくりに興味のないプレイヤーからすれば、へえ、そんな機能もあるんだ、という程度のものだが、〈ゲノンゲン図書館〉はコンセプトを定めてNPCの設定に凝ることに乗り気な一門だった。熱が入った帰結としてやや設定を盛りすぎる傾向があり、恐らく冷静になってみれば相互に矛盾するものもあるはずだが、思いつきを仲間たちと付け足していくのも楽しいひとときだった。プレイヤー数の多くない〈ゲノンゲン図書館〉だったが、数と質ともに充実したNPCのおかげで賑やかな印象がマルトにはある。
しかし、それにしても目の前のウスズミはいきいきとしすぎていた。
とてもNPCとは思えないほどに。
「ウスズミ、ナナオさ――ママは?」
先ほどの樹のこともあるので、マルトは力をこめすぎないようにウスズミの体を慎重に抱えて下ろした。
「分かんない……」
気づいたらひとりだった、と迷子のようなことをウスズミは言う。彼女の外見は一〇歳になるかならないかといったところなので、実際に迷子であっても不自然ではない。
「なんでもいいんだが、覚えてることはないか?」
「ん、なんか怖いし痛いし怖かった」
マルトを見上げるウスズミの顔が泣きそうに歪んだ。
予想どおりというか、普通に会話が成立している。レスポンスの速度も人間を相手にしているようで全く違和感がない。千紫万紅のNPC相手では考えられない事態だ。
あの最終イベントの戦いの中、〈ゲノンゲン図書館〉の仲間たちがどのように戦ったかをマルトはある程度把握できる。〈ゲノンゲン図書館〉はPVP――プレイヤー同士の抗争――に積極的な一門ではなかったが、売られたケンカを買ったことは何度かあった。大体そのときの流れと同じだろう。
すなわち、NPCを盾にして敵のリソースを削りつつ、最下層で決戦を挑む。最下層にはこちら側が有利になる仕掛けが幾つかあった。たった一九人だけの〈ゲノンゲン図書館〉だが、その仕掛けをフルに使えば三倍近くのプレイヤーの襲撃には耐えられる見込みだった。よって、図書館内のNPCの多くは最下層でプレイヤーが迎え撃つ時間を稼ぐための捨て駒として使われる。あの最終イベントでもそうだったはずだ。
ならばウスズミも早い段階で敵プレイヤーにやられていてもおかしくないが、ナナオの〈子ども〉なので特別扱いだったのかもしれない。あるいは、マルトに送られてきたあのスクリーンショットを撮るためだけにナナオが一緒に来させたのかもしれない。ナナオの性格を考えると、こちらのほうが正解に近い気がする。
ちなみに、目の前にいるウスズミが外見だけ繕った偽者である可能性をマルトは捨てている。その根拠は、先ほどウスズミがマルトの胸に飛び込んできた際に見せた翼の滑空だ。あの金色のエフェクトは、千紫万紅においては本来使用できないスキルを一時的に使用していることを示す。
ほかのNPCにない特徴として、〈子ども〉は両親から任意のスキルをひとつずつ継承できる。ウスズミがハルピュイアであるナナオから継承したのが翼の滑空だ。空中で物理法則を鼻で笑うような急旋回を可能にするスキルで、安易にスキルレベルを上げたせいで速度がすさまじくて酔うようになり、本気の戦闘の前にはナナオはアルコールを摂取しないように気をつけていた。
ウスズミ自身はかなり極端に特化した咒術士なので機動力に難があるのだが、それを継承によって補ったかたちだ。これによって敵に接近された際にも咒術の間合いまで距離を離すことができる。連続使用はできないし滑空距離もクラスのペナルティを受けて若干短くなっているが、それでも緊急回避には充分役に立つ。
「でも、ぱぱさま、いた!」
一転して笑顔になるウスズミ。
ぱっと花が咲いたような、ある一定の年齢を超えたら決して浮かべることのできない無邪気な表情だった。
幼い子どもが親に対して向ける無条件の信頼がそこにはあった。
ここまで不安と緊張の連続だったマルトの心がほっとゆるむ。いや、ほっとゆるんでみて初めていままでの不安と緊張の大きさに気づいた、というべきか。
問題は何ひとつ解決していないのだが、それでも千紫万紅とのつながりは見いだせて、少なくともひとりではなくなった。
しかし、今度はウスズミの後ろからどやどやと別の影が押し寄せてきた。
マルトは反射的にウスズミをかばうように前に出る。
「嬢ちゃん、ひとりで行っちゃ危ないぞ」
暗闇の中でも、そのずんぐりむっくりした特徴的なフォルムには見覚えがあった。
ケムゴンという千紫万紅のモンスターだ。
ざっと一〇体ほどいる。
ケムゴンは竜種の亜種とでもいうべき種族で、全体的に寸詰まりして丸みを帯びている。純粋な竜種から鋭さと威厳を取り除いたような、対峙する気の抜ける外観だ。千紫万紅の全盛期にはゲームセンターでケムゴンのぬいぐるみを見かけることもあった。
強さに関しても外見どおりで、マルトの記憶では二〇レベル前後だったはずだ。
(いや、最初期のイベントで出たメタリックケムゴンは四五レベルぐらいあったような?)
ここでは千紫万紅の理屈がどの程度通じるのか分からない。ひょっとしたらこちらを歯牙にもかけない強者かもしれないとマルトが固まっていると、ケムゴンたちもマルトに気づいたらしい。見るからにあたふたし始めた。
「ひぇ、鬼」
「黒鬼!」
「ばか、よく見ろ赤鬼じゃ」
「そんなんどっちでもいい! 嬢ちゃんが食われちまうぞ」
あとずさりするケムゴン、背中の小さな羽をばたばたさせるケムゴン、ブレスを吐こうとして失敗し、煙を口からあげている慌てものの個体もいる。
「待て、俺は……」
害意がないことを示そうとマルトが口を開きかけた途端、「やめるのじゃ、皆の衆!」とリーダーらしきケムゴンが鋭くも冷静な口調で仲間を制した。
「嬢ちゃんが人質にとられておる。まずはあの邪悪な赤鬼に従うふりをするのじゃ」
言い方はともかく、話を聞いてくれるのは助かる、とマルトは思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます