夜明けの騎士1
一回の出撃にふたつ以上の目的を設定すべきではない。多くの場合どっちつかずになるからだ。
そんな基本を無視して、今回の出撃にはケムゴンの討伐と謎の図書館の調査という二つの目的が聖堂参事会から押しつけられていた。
(あの強欲狸ども、俺たち
カルブナ・サミエは改めて舌打ちするが、実際に目の前で任務が成功しつつある状況ではさして怒りは湧いてこない。払暁騎士になったばかりの彼にとって手柄は絶対に必要だからだ。
ひとつめの目的――ケムゴンの群れは既に討伐した。
思っていたより数は少なかったが、状態の良い死体は既に後送している。ケムゴンの体は咒力の媒介として捨てるところがないほど優秀だと聞いている。後で自分にも分け前が欲しい、とカルブナは思う。咒術士である彼にとって咒力の強化は常に考えなければならない課題だ。
そして、ふたつめの目的はいま彼の目の前で進行しつつある略奪だ。
天井の高さが印象的な空間だった。
そのおかげで、図書館にありがちな立ち並ぶ書架の圧迫感がない。
いや、これはむしろ書架をあえて低くしているのだろう。特別高いわけではないカルブナの背丈でも館内を広く見通すことができる。
ところどころ設置された咒具による灯りが過不足なく館内を照らしている。
洗練された空間、というのはこういうものをいうのだろう。美術や芸術というものとは無縁に生きてきたカルブナにも一流であることが否応なく伝わる、見事な建造物だった。
この図書館を一歩出れば、夜の眷属が跋扈する危険地帯であることが信じられない。
正体不明の図書館が森の中に突然現れた、という報告を聞いたときは意味が分からなかったが、こうやって現場に来てみればそうとしか言いようがないのがよく分かる。
誓教国が誇る建造物と比べても全く見劣りしない図書館がこんなところにあるのは明らかに異常だ。
何の目的があるにしろ、この図書館の主が高度な技術と文化を持っているのは疑えない。
夜の眷属の中にそんな者がいるとは考えづらいが、その可能性も含めて調査するのがカルブナに命ぜられた任務だった。
カルブナは部隊から離れ、ひとり図書館の隅の方へと足を向けた。
この建物の佇まいからして、地下室があるのではないかと思ったからだ。
予想どおり地下への階段はあった。
しかし、カルブナはその階段を下ることができなかった。
「ちっ、うまくいきすぎたと思ったんだ……」
「騎士サマ、どうかしましたか?」
思わず漏れた呪詛に近い言葉を聞きとがめたように、ひとりの男がカルブナの後ろから近づいてきた。
「ああ、百人長」
払暁騎士は誓教国における武力の象徴であり、常設軍のすべてがその指揮下にいる。ただ、それはあくまで建前であり、作戦行動ごとにふさわしい部隊をあてがわれるのが実際のところだ。
今回カルブナが率いる部隊の百人長はいかにもたたき上げの軍人といった容貌で、部下の心をしっかりと掌握していた。それでいて、彼より一回り以上年下の、まだ二〇代半ばのカルブナを軽んじる様子もない。払暁騎士になって日が浅いカルブナからすれば理想的な仕事相手だった。
「ん、なんです? この印は」
「間違っても触れるなよ、百人長」
地下への階段に目をこらすように近づく百人長にカルブナは注意をする。
彼らの視線の先には咒力で描かれた幾何学的な模様が浮かんでいた。
「これだけでも私が来た意味があったな……。一部の者にしか知らされていないが、これは
「翼郷のぉ? この先にいるヤツらの早い者勝ちってことですか? なら、別に敵じゃないでしょ」
「そのとおりだが、上の人間同士で協定が成立している。これがあるところに私たちは踏み込むことができない。外交問題になるからな」
「はあ。払暁騎士サマでもそうなんですか」
「残念ながらな。まあ、いくら人間種同士とはいえ、直接顔を合わせると揉めることもあるだろ? それを未然に防ぐということだ」
カルブナの答えに百人長が残念そうに肩を落とし、カルブナが身に纏う鎧にちらちらと目線を向ける。彼の言いたいことはよく分かった。誓教国ででかい顔をしてる誉れ高き払暁騎士の威光も翼郷には通じないんですかい、といったところだろう。こういうときに皮肉を言いたがる百人長の性格はここまでの道中で理解したつもりだった。
図書館の外は月明かりの夜。
一点の曇りもない、不自然なほどきれいに磨かれた硝子にカルブナの姿が映っている。
客観的に評せば、立派な鎧に着られている老け顔の男、というところだろう。
カルブナをはじめとした払暁騎士が身につけることを許されるのは、大昔の典礼衣装を下敷きにした、白銀を基調としながらも節々に黒が入り交じる優美な鎧。刃や矢といった物理的な力はもちろん、攻撃咒術に対しても優れた防御力を誇る、これ自体が誓教国の宝といっても過言ではない代物だ。
(良い鎧であることは間違いないのだが)
カルブナにとってたったひとつの不満は、美男美女が着ることを前提にしすぎている、という点だった。カルブナのような平凡な容姿の者にはいささか似合わない。衣装負け、というような陰口が聖堂参事会で自分に叩かれていることも知っている。
それはカルブナだけの特殊な事情だから措くとして、確かにこの鎧の威光は他国に通用する。
大陸東部に覇を唱え、年々着実に夜の眷属の領域を削り取ることに成功している誓教国。その最高戦力たる払暁騎士の象徴ともいえる鎧なのだ。少しでも教養がある者ならその意味は理解できるし、丁重に遇しないほうがかえって常識を疑われる。その意味で百人長の疑問は正しい。
だが、何事にも例外がある。
目の前に浮かんでいる印がそうだ。
先ほどはあえて言わなかったが、この印をつけた翼郷の特殊機関――
カルブナ自身が直接確かめたわけではない。だが、彼の敬愛する払暁騎士の主席や聖堂参事会のお偉方が「絶対に敵対するな」と何度も口を揃えて忠告するので事実として受け入れるしかない。
つまり、簡単にいえば誓教国は翼郷に武力という点では敵わないと認めて頭を下げているのだ。外交的に敗北していると言い換えてもいい。
カルブナとすれば、かろうじて払暁騎士の末席に滑り込んだ自分はともかく、主席以上の力を持つ人間がいるとは到底信じられないのだが。
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