夜明けの騎士2
とにかく、と彼は話題を切り替えるためにひとつ手を叩いた。
「ありがたくも地下の調査は
この印の意味を知る者はそう多くはない。もしカルブナがこの場にいなければ、翼郷との間で揉め事になっていたかもしれない。これだけでも自分が来た甲斐はあった、とカルブナは努めて良いほうに解釈することにした。
「しっかしですね、俺は天下の
百人長はまだぶつぶつ言っている。どうやら皮肉を言い足りないだけではないようで、その言葉の端々には誇りを傷つけられた憤りのようなものが感じられる。払暁騎士に憧れがあるのか、あるいはさらに深読みすれば、過去に払暁騎士を目指したことがあったのかもしれない。
物心ついたときに払暁騎士の存在を知り、そこに向けて努力を積み重ねる者は多い。
誓教国に生まれ、武というものに触れた子どもならば男女問わず一度は目指すといってもいい。
払暁騎士。
国難を退ける剣であり、民を守る盾。
誓教国の興りと同時に生まれたとされるので、五〇〇年余りの歴史がある。
払暁騎士の数は現在四一名で、最も多い時期でも五〇名を超えたことはない。
誓教国の常備軍は四〇万人前後なので、その数がいかに選ばれた最精鋭かが分かる。
単なる武力の頂点というだけではない。
夜の眷属を打ち払い、人間種に光をもたらす誓教国の理念の象徴。
法的には払暁騎士が責任を負うのは誓教国の最高権力者である教主ただ一人とされており、その地位は完全な独立が保たれている。
が、それは残念ながら建前で、現実には聖堂参事会に巣くう老練な政治家たちの横やりが毎日のように入るし、作戦行動となれば現場の指揮官のご機嫌もうかがわなければならない。
なってみて分かる。払暁騎士は眩しいだけの存在ではない。
だから、払暁騎士の放つ輝きを無条件に信奉しているらしい百人長の態度がカルブナは少し羨ましかった。
といっても、カルブナが払暁騎士に絶望しているわけではない。
むしろその逆。
たとえ払暁騎士の地位や名誉がいまよりもっと低いものであったとしても、カルブナはそれを選んでいただろう。
払暁騎士になる。それ以外の選択肢をカルブナは自ら積極的に閉ざしてきたし、その点に完全に満足していた。
「それに、こんな西方の外れくんだりまで来てくれた騎士サマに申し訳なくて」
「ああ、そういうことか」カルブナは苦笑する。「だがそれは杞憂だ。私は別に命令されて嫌々来たわけじゃない。いや、命令を受けたのは事実なんだが……なんというか、私の希望に合った命令だ。不満は全くない」
「はあ」
百人長の訝しげな顔ももっともだ。
西方――夜の眷属の領域への侵攻は常に行われているが、征伐と呼ばれる大規模な作戦が毎年、秋口に行われている。秋口といえばもう半月ほど先に迫っている。本来なら中央から派遣されてきた払暁騎士が征伐の司令官の任にあたるのが通例だが、ここ数年、西部の諸侯はなんのかんの理由をつけてそれを拒絶していた。自分たちこそが夜の眷属の争いとの最前線にいるとの自負から、東から派遣されてきた者を頭上に戴くことをよしとしないのだ。だから今年も細々とした任務を次々とカルブナに与えて、「誠に遺憾ながら、払暁騎士には征伐の仕事に取りかかっていただく暇がない」という体裁を繕っている。
西方総軍は年々中央からの統制が利かなくなっていると耳にしていたが、まさにそのとおりだった。自分たちこそが夜の眷属どもの脅威と直面して誓教国に勝利を与えている、という自負が増長した行動をとらせているのだろう。
誓教国全体としてみれば良い傾向ではない。
だが、やはりカルブナに不満はなかった。
ケムゴンは性格的におとなしく、人間種の村にちょっかいを出すことはほとんどない。が、知能が高く、低級咒術を使いこなす点は見逃せない。無茶な行動をしないというのは、逆にいえば一気に討伐するのが難しいということ。なんらかのきっかけがあれば――例えば巧みな指揮官に率いられるなど――人間種に大きな被害をもたらすことが考えられ、ケムゴンの潜在的な脅威度は低くない。
だから、つまらない任務を押しつけられたとは思わない。
人間種と夜の眷属の領域のせめぎあいで剣を振るうことが「夜明けをもたらす騎士」と名付けられた払暁騎士の本分であるとカルブナは愚直に信じている。
征伐のお飾りの司令官の椅子に収まるより、こうやって最前線に出るほうがよほど良い。
そのために払暁騎士になったのだから。
「さ、さすが騎士サマ。これぐらいじゃないと務まらねえのか……」
「百人長、なにか誤解しているようだが、払暁騎士の中でも私は変わっているほうだと思うぞ。さすがに閑職に飛ばされて喜ぶ者ばかりじゃない」
カルブナは苦笑しつつ一応釘をさしておいた。
払暁騎士の同僚たちは――カルブナが一番最近払暁騎士になったので、年齢はさておき全員先輩だ――名誉や権力、金銭などもう少し世俗的なものに興味を持っているようだ。別にそれは全くかまわないと思う。だが、自分がそこに染まってしまうのは少し怖い。人間を丸呑みする大獅子や、視認できない遠距離から咒術を放ってくる悪霊に対峙するよりもそちらのほうが恐ろしいぐらいだ。
「ただ、私は根っからの平民だから、現実的に西方の諸侯の上に立つのは無理だ。払暁騎士の看板があるとはいえ、感情的に納得できまい。任務に不満がないというのはそういう意味だよ。まあ、謎の図書館の調査まで押しつけられたのは予想外だったが」
話題を変えるため、カルブナは少しおどけて肩をすくめてみせる。
ケムゴンの討伐が西方総軍からの押しつけであるとすれば、この図書館の調査は聖堂参事会の政治の産物だ。どうせ自分たちが送り込んだ払暁騎士が司令官になれないなら、せめて幾ばくかの利はもらおうという腹だ。実際、この図書館で回収した本は中央へ送られることになっている。
「翼郷までここに目をつけていたのは予想外だったが、幸い一階は我々にくれるらしい。ちょうどよいところかもしれんな」
今回カルブナが率いているのは一〇〇人ほどの部隊だ。地下がどれだけ広いのかは分からないが、全階層の調査となればカルブナたちの手に余るのは間違いない。
「本の運び出しは順調です」百人長が仕事の顔つきに戻って答える。「手当たり次第、って感じですがね。なにせ書かれてる言葉がさっぱりで、どれが値打ちもんか見当がつかんのです」
「ほう?」
カルブナは少し興味を惹かれた。強面に似合わない百人長の教養の高さはこれまでの会話で理解している。払暁騎士としての面子があるので公言できないが、寒村出身の平民であるカルブナより彼のほうがよほど洗練された知識を持っている。そんな彼が見当もつかない言語とは、少なくとも人間種の共通語やその亜種ではないのだろう。
「となると、湾岸同盟の小国の言語? それとも狼王国の僻地?」
「かもしれません。けど、そうなるとここまで数が揃ってるのが不思議なんですが」
「確かにな」
二人して首をひねってしまう。こんなにも立派な図書館に主流でない言語の本が大量に並べられているとは、どうにもちぐはぐで説明のつきづらい状況だ。
「あるいは、夜の眷属が言葉でも開発したか」
「ははっ、昼夜がひっくり返ったってわけですか? そりゃいい。次の千年はヤツらに文化的なもんを担当してもらいましょうか」
百人長と会話を交わしながら、カルブナは横目で兵士たちの働きを見ている。
彼らの手つきは乱暴で、ここが夜の眷属の領域でなければ押し入り強盗かと見まがうようなものだった。単なる荷の運び出しというよりも略奪の雰囲気が濃い。
しかし、カルブナはそれを許容する。
人間種の役に立つなら、その全てが肯定される。本さえきちんと本国へ運んでくれるのなら、凝ったつくりの燭台や恐ろしく滑らかな手触りの窓掛けを部下たちが奪っていってもかまわなかった。
どのみち、ケムゴン討伐に力を尽くした彼らには褒賞を与える必要がある。それを夜の眷属の資産で充当できるのならば都合がいい。誓教国の懐が痛まなくて済む。
勝者にとっての甘い略奪の時間。
恍惚のうちに過ぎていくはずのそれが、唐突な悲鳴で切り裂かれた。
カルブナは百人長と一瞬顔を見合わせた後、悲鳴のした方向に急行する。
何事かと略奪の手を止める兵士たちの合間を駆け抜け、書架の一角へたどりついた。
異形がそこにいた。
ここが夜の眷属の領域であることを思い出せば自然なことかもしれない。
一匹の赤鬼がいた。
見たことのない、金色の角を持つ赤鬼。
誰かがごくりと喉を鳴らした。
あるいはカルブナ自身が発した音かもしれない。
それを理解するのに特別な洞察は必要なかった。誰もが朝日の輝かしさを感じられるように、誰もが荒れ狂う大嵐に対して畏れを持たざるを得ないように、目の前の存在の脅威は自然に浸透してきた。
鬼というのは人間種より大きな種族だ。
カルブナも自分より頭三つ以上大きな鬼を撃退した経験がある。
だから目の前の赤鬼の大きさに気圧されたわけではない。
原因はもっと根源に――恐らく生物としての危険を感じる本能にある。
赤鬼の近くに二人の兵士が青い顔でへたり込み、カタカタと歯を鳴らしている。その周囲には散らばった本。カルブナは状況を理解する。やや欲張りとも思えるほどの本を兵士たちが抱え込んで運ぼうとしていたところ、この赤鬼が現れたのだろう。
どこから入ってきたのかといえば、近くの開きっぱなしの窓だ。
しかし、窓は割れていない。つまり、この赤鬼は窓を割らないように開けて外から侵入してきたことになる。一般的な夜の眷属の力まかせの行動にそぐわない印象をカルブナは受けた。
睨み合うような、戸惑うような数秒が過ぎた後、先に動いたのは赤鬼だった。
それは戦闘行動ではない。
赤鬼の太い腕が伸び、本を拾い上げた。それは床に散らばった本の中でもひときわ薄い、詩集と思しき一冊だった。
そして壊れものでも扱うかのように慎重な手つきで中身をめくる。
「星のかがやきは
太陽のようだ
臆病者だけが
それを夜と思うのだ」
赤鬼が本の内容――詩の一節――を読み上げたのだ、と理解するまで数秒かかった。
カルブナは身を貫かれるような衝撃を受けた。
教養ある人間が紐解けない本を、夜の眷属が読んでみせたのだ。
(この赤鬼は……)
自分の常識で測ってよい相手ではないかもしれない。そんな冷たい予感に襲われる。
「百人長、もしやあれが、さっきの報告にあった?」
カルブナが赤鬼から目を離さないまま問いかけると、横から「そうです」と硬い声で返答があった。
ここに来るまでの行軍中、赤鬼と遭遇したという報告は受けていたが、カルブナは後方にいたので、その姿を実際に見ることはなかった。
「〈
責めるような口調になってしまうのを抑えることができない。
咒術士の数を揃え、〈赫光〉の一斉掃射。大型の魔物に対しては確かに有効な策だ。
しかし、〈赫光〉は最も低級の錫冠咒術でしかない。目の前の恐ろしい威圧感を持つ赤鬼が〈赫光〉ごときで怯むとはカルブナにはどうしても思えなかった。
そう思った途端、カルブナの背後から赤い光――件の〈赫光〉――が伸び、赤鬼に突き刺さる。
振り返れば、ひきつった顔をした数人の兵士が咒術用の笏を構えている。カルブナも百人長も命令を下していないが、突然赤鬼が現れたので恐怖に耐えきれず撃ってしまったのだろう。
「また〈赫光〉……」
赤鬼が鬱陶しげに詩集を持っていないほうの手を振る。効いている様子はない。
「なんでその程度の……はあ、もうどうでもいいか。おい人間ども、ここはわたしたちの場所だ」
夜の眷属と人間種の間には断絶がある。
決して分かりあえない壁がある。
彼方を滅ぼすか、さもなくば此方が滅びるか。二つの種族の触れあいはその鍔迫り合いの一瞬の中にしかない。
だが、いまこの瞬間のカルブナにも誤解の余地なく伝わってくることがひとつだけあった。
――目の前の赤鬼はひどく怒っている。
「〈ゲノンゲン図書館〉に入るための条件はひとつだけ。が、お前らはそのたったひとつの条件さえ満たさない。謝罪も後悔も不要だ。ただふさわしい報いを受けろ」
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