夜明けの騎士3

    ●


 いきなり殴りかからず、外に出ろ、と提案したのは我ながらいい案だった、とマルトは自画自賛する。大事な図書館が汚れることを避けられたのはもちろん、こうやって心の準備をする時間までできた。

(怒りは六秒しか持続しない、だっけか?)

 かつての〈ゲノンゲン図書館〉のメンバーで、某対戦型ゲームでコントローラーを二つも破壊してしまった経験を持つセラックから聞いたアンガーマネジメントの知識を思い出す。自分の体が千紫万紅の赤鬼に変わってしまっているというトンチキな事態が起きている以上、怒りのあまり冷静さを失うべきではない。深呼吸する時間ぐらいはあったほうがいい。


 マルトと武装集団は図書館の正面玄関を出てすぐのところで対峙していた。

 あたりは涼しげな夜風が吹いており、それもマルトの怒りをわずかに冷ましてくれるような気がした。

(けっこう数が多いな……)

 リーダーらしき、明らかに立派な鎧を身につけた男を筆頭に一〇〇人近くいそうだ。図書館から出ろ、というマルトの要求を相手が素直に呑んだのは、この数の圧倒的な優位があるからかもしれない。

 相変わらず夜目が利くので、兵士たちの中にいまだに図書館の蔵書を抱えている者を発見して頭に血が上りかける。

 まったく冷静になれていない。

〈ゲノンゲン図書館〉は自分たち一門の大切な我が家だ。招いてもいない者に踏み荒らされ、みんなとともに揃えた蔵書を奪われたことに、抑えるのが難しいほどの憤りを覚える。

それだけではない。それまで遊んでいた千紫万紅の世界から異質な場所へ迷い込んでしまった理不尽に対する怒りもまとめて目の前の不埒者にぶつけてしまいたくなっている。

 現実世界の相墨晋也あいずみしんやなら、怒りや苛立ちを感じても押し殺していた。周囲の目や法律がそのように要請していたからだ。だが、いまは負の感情を抑えることができない。その必要も感じなかった。怒りを暴力というかたちにして叩きつけることが心の底から肯定できるような、ある意味危うい気持ちになっている。

(なんだこれ、赤鬼の姿だから気が大きくなってる……?)

 ほんの少し自分を客観視したその瞬間、武装集団の中から立派な鎧を着た一人が歩み出てきた。この瞬間でなければマルトが反射的に殴りかかっていたかもしれないというきわどいタイミングだった。

「わたしはカルブナ・サミエ。払暁騎士ふつぎょうきしの一人だ」

(払暁騎士……?)

 聞き慣れない言葉だった。少なくとも千紫万紅の用語ではない。

 マルトは情報を得ようと思ってその男を凝視する。

 ひと目見た印象は三〇代半ばだったが、じっくり眺めるとその年齢を下方修正する必要があった。全体的な雰囲気は若い。つまり老け顔なのだろう。

 顔の造形自体にさしたる特徴はない。千紫万紅のNPCにいても現実世界にいてもおかしくない容姿だ。あえていえば、短く刈られた髪と四角い輪郭から、なんとなく山を歩く姿が似合いそうな朴訥とした雰囲気だった。ただし、眼光は鋭い。魔種と対峙している人間としては無理もないことだろう。

 真っ先に自分に声をかけてきたこと、身につけた鎧が立派であることから、武装集団の中心的な人物であることは間違いない。数時間前の邂逅では見かけなかったが、カルブナと名乗った男が指揮官ならば後方にいたのだろう。

「わたしはマ――」

 反射的に名乗りかけてマルトは思いとどまった。まだこの世界の全貌が分かっていない。迂闊に名乗るべきではない。そう思い、ああ払暁騎士ね、はいはい、と知ったかぶりでうなずくだけにとどめておいた。

「それで、払暁騎士さまがこんなところに――我々の所有地に何の用だ」

 マルトは尊大な口調で問いかける。事前にケムゴンとの会話がなければもっとおどおどした感じになっていただろう。

「愚問だな。ここは人間種と夜の眷属とが争い合う地。そして我々は勝った! それだけのことだ」

 カルブナと名乗る騎士が、恐らく背後の部下を意識して威勢のいい言葉を吐いた。

「そうか。一応確認しておくが、お前たちが倒したのはケムゴンたちで間違いないか?」

「いかにも。払暁騎士が出撃する以上、夜の眷属に勝利はない」

(これでケムゴンたちが言ってたのがほんとうだと分かったな。元からそんなに疑ってなかったけど)

 ケムゴンから図書館に人間たちが入っていったという情報を聞いてすぐさま突入することを決断したわけではない。そこに至るまでには迷いがあった。


 まず、その図書館がほんとうにマルトが知っている〈ゲノンゲン図書館〉のものなのか。

 こんな淋しい森の中にこの世界の住人がわざわざ図書館を造る理由は考えづらいが、断定はできなかった。


 その次に考えたのが人間種との関係。

 千紫万紅の赤鬼の外見を引きずっているということもあって最初にケムゴンと接触したが、このまま人間種を敵とみなしていいのか。ぶっちゃけてしまえば、魔種より人間種に協力したほうがマルトのメリットになる可能性もある。慎重を期すなら、身の振り方を判断できる情報が揃うまではどちらかの勢力に明確な肩入れをするのは避けるべきだった。


 最後に、人間種と戦闘になった場合に自分は勝てるのか。

 別に好んで敵対する気はないが、数時間前に問答無用で咒術をぶつけられた経験がある。こちらにそのつもりがなくとも戦闘が避けられない場面があるかもしれない。

 千紫万紅での戦闘ならマルトは経験豊富だ。ソロでも、数人のパーティでも、千紫万紅における最大単位である二四人――〈ゲノンゲン図書館〉は一九人しかいなかったのでこの場合は他の一門との共同戦線になる――でのレイド戦でも的確な行動ができる自信があった。

 だが、この世界は違う。千紫万紅の要素を引きずっていながら千紫万紅ではない。相墨晋也がいた現実世界とマルトがいた千紫万紅、どちらの世界を基準に判断すればいいのかが分からないのだ。

 そして戦闘ともなれば負け――すなわち死の可能性を考えざるを得ない。千紫万紅ならば一定のペナルティを負って復活可能だが、いまのマルトに誰もそれを保証はしてくれない。とりあえずは現実世界と同じように命はひとつ、死んだら終わりという前提で動くべきだった。


 こういったリスクがあったのでウスズミとケムゴンは置いてマルトひとりでここまでやってきたのだが、これらの迷いはさっき蔵書を略奪される場面を見た瞬間に消し飛んだ。怒りに上塗りされたのだ。その結果、後先考えずに窓から図書館に入ってしまった。

 しかし、いま改めて検討してみると、三つの悩みのうち二つは解決している。踏み荒らされていたのは〈ゲノンゲン図書館〉の本拠地で間違いなかったし、ケムゴンたちの話もほんとうだった。さすがにこの状況で〈ゲノンゲン図書館〉もケムゴンたちも裏切ってまで人間種に阿らなければならない理由はどこにもない。

(それに……)

 マルトは図書館にちらりと目をやる。この世界が千紫万紅の最終イベントと関係している可能性はまだある。図書館の内部には〈ゲノンゲン図書館〉のメンバーがいるかもしれない。

 そう考えると一刻も早く図書館を捜索したくて気持ちが逸るのだが、目の前の武装集団も捨て置けない。クレームの電話がかかってきている中で店舗を訪れた客もあしらわなければならない状況のようなものだ。まずは目の前の客を片付けるのが先決だろう。

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