見慣れぬ再会7
「実はわたしとウスズミはこの辺りに来たばかりで、ちょっとした手違いではぐれてしまった。文化の違う遠いところから来たから、いろいろとこの地のことについて教えてくれないか?」
マルトは数分前から用意していた台詞を言った。事実でもないが、完全な嘘でもない。この場でいきなり千紫万紅とかイマーシブ型とか最終イベントと言っても通じるわけがないので、許される範囲の言い換えだろう。
「ウスズミを、娘を助けてくれた相手にこんなお願いをするのは厚かましいのかもしれないが……」
「とんでもない。我々の知っていることなら何でも話すのじゃ」
予想どおりの返答に、マルトは心の中でうんうんとうなずく。まずは狙いどおりだ。
「むしろ赤鬼さまに聞いてほしいのじゃ」
「あわよくば、やつらを追い払ってほしいのじゃ!」
「人間たち、むかつくのじゃ」
マルトへの好意的な態度が族長だけのものでないことを、周りにいた成体ケムゴンたちが待ってましたとばかりに口を挟んでくることで証明してくれる。
「ええい、わしが話すんじゃ」と族長が寸詰まりの尻尾を振り回して黙らせようとする。その姿にあまり威厳はないが、ほかのケムゴンたちは一応静かになった。
「いいか? まずしたいのは地理の確認なんだが……」
人間種有利、という情勢を聞いてからマルトの頭にはある考えがあった。
(ひょっとしてここ、最終イベントの続きなんじゃないか?)
千紫万紅の最終イベントで人間種側が最終的な勝利を収め、そこから年数を経た世界ではこんな状況になるかもしれない。
しかし、ここはもしかしてなじみ深い千紫万紅の世界なのでは、というマルトの期待はあっさりと裏切られた。
地面にマルトが知っている千紫万紅の大陸図を描いたところ、ケムゴンたちはピンときていなかった。彼らの丸っこい手先では正確な添削ができないのがもどかしかったが、少なくともこの世界は千紫万紅と地理的に一致していない。
続いて千紫万紅に存在する国名を幾つか挙げてみたが、これにもケムゴンたちから否定的な反応が返ってきた。魔種たちに国名をつける習慣はなく――ほとんど同一種族でまとまっているため名づけの必要性がないので――複数ある人間たちの国は恐らくどれもそのような名前ではないという。
もっとも、ケムゴンたちにとって人間と接触することはほぼ確実に戦闘――そして多くの場合ケムゴンたちの一方的な敗北――を意味するため、確証はないとのことだった。
(改めて殺伐としてるなあ、ここ)
もちろん千紫万紅にも人間種と魔種の対立はあったが、それはストーリーや世界観設定的なものにとどまっていた。
やはりプレイヤーの外見を魔種の中からも選べたのが大きい。千紫万紅のプレイヤーにとって、「ただの倒すべきモンスター」と「モンスターの見かけを有しているプレイヤー」が共存しているのはふつうのことだった。プレイヤーには特別なアイコンが表示されるし、そもそも外見として設定できるのはモンスターの一部にすぎないため、「このモンスターがプレイヤーである可能性はないな」と瞬時に判断ができる。つまり、モンスターだと思って斬りかかったらプレイヤーでした、という事態は起こりえない。
千紫万紅では魔種を選んだからといってプレイヤーの目的が変わるわけでもない。戦う相手はやはりモンスターだし、最終イベントまで人間種と魔種の違いを意識する機会はほとんどなかった。
しかし、ここではそうではない。
この大陸は、ざっくりいって東半分が人間種の国々、西半分が魔種たちの国々となっているらしい。必然的に中央辺りでは常に人間種と魔種が争っているが、最近は人間種が押し気味で、彼らの領土は年々少しずつ西に広がっている。いまマルトたちがいるのはまさに大陸の中央、争いの最前線だという。
人間種は魔種を駆逐して領土を広げることに血道を上げている。ケムゴンの話では人間有利な状況は少なくとも一〇〇年単位で続いているようだが、人間種が妥協する様子はない。たとえケムゴンのように気性が穏やかで言葉が通じる種族であっても交渉を試みることなく、魔種であるというだけで一律に駆逐の対象にしているという。人間種か、それ以外か。そんなごく単純な価値観が支配しているようだ。
(まいったな。ウスズミはともかく、俺の外見はごまかしようもなく鬼だし……)
この地の情勢を倫理的な観点から評価するつもりはマルトにはない。彼の頭を支配しているのは、魔種にとって肩身の狭いらしいここでどうやって立ち回ったらいいか、という問題だった。
「単純な疑問なんだが、ここから西のほうへ逃げればもう少し安全なんじゃないか?」
「それがそうもいかんのですじゃ……」
魔種たちにも縄張りがあり、勝手な移住が歓迎されることはないという。場合によっては奴隷的な立場に落とされてこき使われ、人間と敵対するよりもひどい目に遭うこともあるのだとか。
ケムゴンから際限なく吐き出される人間種への愚痴と怨嗟に適当にうなずきを返しつつ、マルトはこれからとるべき動きについて考える。
(やはり何より情報だな。同じ境遇のプレイヤーと会えれば話は早いんだが……うーん、まだイベントの続きの可能性は捨てきれないか? いきなり未知の場所に飛ばしてプレイヤーに何かさせようとしてる? 生き残りを懸けたバトルロイヤル? いや、でも触覚や喉の渇きはやっぱり説明がつかない……)
ふとウスズミはどうしているのかと目で探せば、彼女はケムゴンたちの間をちょこまかしていた。ケムゴンの頭によじのぼったり、興奮のあまり振り回される彼らの短い尻尾を縄跳びの要領で飛び越えたりしている。完全に大人のつまらない話に飽きている子どもそのものだ。
マルトと目が合うと、話が終わったと勘違いしたのか、ウスズミは先ほどと同じように「翼の滑空」のスキルを使って一目散に飛び込んできて彼の右肩に腰掛けた。
「えへー」と満足そうな笑顔を見せるウスズミ。
肩に乗られる、というのは実家で飼っていた猫と文鳥以外に経験がない。特に子どもとはいえ人間が肩に乗るのは「え、大丈夫なの?」という感覚だったが、マルトという赤鬼の肩幅は人間とは比べものにならないほど広い。こうやってウスズミに腰掛けられてみると、止まり木のようにしっくりくる。
(運営がどっかにまだいるなら、これを実装すべきだと提言してやろう)
もちろん千紫万紅でこんなふうにウスズミが肩に乗ってきたことはない。そんな挙動はNPCである〈子ども〉には設定されていなかった。
だが、その行動は自然だった。システムの軛から解き放たれて、本来ナナオとマルトが意図したとおりに〈子ども〉が自由に振る舞っているような気がした。
ケムゴンたちの愚痴はまだ続いている。
「……ということで人間どもの横暴はとどまるところを知らず、最近は夜もすっかり短くなってしまいましてな」
「ん?」
夜が短くなる。ごく最近もそんな言葉を聞いた気がする。最終イベントに伴って数年ぶりに引っ張り出された千紫万紅の設定だ。
「ええと、それはあれか? 人間が幅を利かせてるいまは、昔より日照時間が長くなってるってことか?」
「そうですじゃ」
「気のせいじゃなくてか?」
「きっちり計ってるわけではないのでなんとも言えんのですが……ほかの種族もそう言ってますじゃ。我らの体感としてもなんだか夜が来るのが遅くなってる気がしますのう」
ケムゴンが長寿であるという設定をマルトは思い出す。ならば、その体感も信用に値するかもしれない。
(よく分からんが、それってまずいんじゃないのか? 農作物への影響とか……)
そういったデータに関しては人間種のほうが豊富に持っていそうだ。この先、人間種と接触する機会があれば訊いてみるのもいいだろう。
(しかし、思ったよりも魔種は追い詰められているみたいだな)
この世界全体のバランスなどスケールの大きいことは分からないが、赤鬼の姿としてここにやってきてしまったマルトとしては魔種に対する風当たりが強いのは困る。これからの困難が予想されて、ため息をつきたいような気分になる。住処を奪われたケムゴンの前ではさすがに自重するが。
「ところで、ここは安全なのか?」
「まあ、しばらくは、といったところですじゃ。人間どもは新しく見つかった図書館に夢中みたいなのですじゃ」
「え?」
まったく予期しないところから耳慣れた響きが襲ってきた。
図書館。
それはここ数時間――あの長すぎるロード画面以降でマルトにとって最も聞き逃せない単語だった。
「図書館! ウスズミたちのおうち!」
先ほどまで右肩に腰掛けていたはずのウスズミがいつのまにかマルトの左肩に移っている。
どうやら自分は混乱しているらしい、とマルトは思った。
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