見慣れぬ再会3
(とはいえ、さすがにそろそろ……)
地面にしゃがみ込んでいた状態からコマンド操作で立ち上がる。現実の相墨晋也なら長時間しゃがんでいたことで腰を痛めていたかもしれないが、もちろん千紫万紅のマルトには何の影響もない。
手癖で開いたメニュー画面の端、メッセージボックスには一〇七もの大量の未読メッセージがあると表示されている。これは予想できた事態だったので、あらかじめ通知は切っていた。
そしていま、未読メッセージが一つ増えた。送信者名につられて、マルトはそれを開く。
【ピンチ! まじでやばいって!!!】
ナナオからのメッセージだった。
彼女は〈ゲノンゲン図書館〉という一門のリーダーであり、マルトにとって特別な女性だった。正直なことをいえば、彼女と言葉を交わすためだけにログインしていた時期が相当ある。
(思い返せばナナオさんとも長いよなあ)
千紫万紅で出会い、数人の初期メンバーとともに〈ゲノンゲン図書館〉を設立したのが六年前。リアルでちょくちょく会うようになったのが五年前。そして、満を持して告白して「ごめん、わたし旦那いるんだ」と玉砕したのが二年前だ。
ここでナナオに距離を置かれていたら千紫万紅自体を引退していたかもしれないが、ナナオはまるで気にしてないかのようにマルトとの友達付き合いを続けてくれている。気まずくなるのがむしろ当然だと思うのだが、そこはナナオの人徳としかいいようがない。
【あ、やっと見てくれた】
【前線ほうかいちゅう】
【地下三階もやば】
千紫万紅のメッセージ機能は送信されたメッセージを相手が読んだか否かも表示される。マルトが何か返信をする前に、既読という反応だけでナナオは立て続けに送りつけてくる。
【どうしてぱぱさまは来ないの? ねえなんで? ウスズミが悪い子だから?】
最後のメッセージはご丁寧にスクリーンショット付きだった。
二人の女性キャラクターが顔を触れんばかりに近づけてピースサインを見せている。
向かって左側はナナオ。彼女はハルピュイアという種族なのだが、顔のどアップなので特徴的な翼は写っていない。現実の彼女と違って髪の毛は長く、マルトにはよく分からない複雑で洒落た留め方をしている。顔立ちも本物とはもちろん違うのだが、好奇心の強そうな瞳の輝きは同じ気がした。とはいえ、これは千紫万紅と現実、両方のナナオを知っているマルトの感想にすぎないだろう。
対する右側に写っているのは、まだ一〇歳になるかどうかという少女。
千紫万紅は、そのタイトル名からも分かるとおり、和風の世界観を特徴としていた。とはいえ、それにこだわり続けるのも息苦しかったのか、アップデートを重ねるうちにいわゆる西洋ファンタジーの要素が注入されてごった煮的世界観になっていったのだが、建物やNPCの服装、小道具といったところには和の趣が残されている。
ナナオの隣に写っていたのは、そんな和の世界観を象徴するような少女だった。
切り揃えられた黒い髪と肌の白さのコントラストが鮮やかだ。
顔を大きく写したスクリーンショットなので着衣は襟元ぐらいしか見えないが、マルトはその少女が身につけているのが着物であることも、その柄も知っている。
なぜなら、その少女――ウスズミはマルトの娘だからだ。
もちろん本物の子どもではない。
そういう設定であるだけの、千紫万紅というゲーム内での娘だ。
千紫万紅では一定の条件を満たしたプレイヤーはNPCを作成することができる。敵と共闘する頼もしいお供とするのも、本拠地の設定にリアリティを与える賑やかしとするのも、ストーリーで人気のキャラと同じ外観にするのもプレイヤーの自由だ。
〈子ども〉もNPCの一種なのだが、〈両親〉となるプレイヤーの技能を任意に一つずつ継承できるという点が特徴だ。その代わりレベルアップに必要な経験値が高く、〈子ども〉を一人前の戦力にしようと思ったら労働基準法も真っ青なほど狩り場を連れ回す必要がある。
必要経験値の高さは後のアップデートで多少改善したものの、最初の印象が悪かったのか、千紫万紅のプレイヤーの間では〈子ども〉は手間に見合わないという印象が支配的となった。千紫万紅の戦闘AIはそこそこ優秀だが、戦力を増やしたいだけなら単純にプレイヤーを勧誘したほうがよほど早いからだ。
実際、〈娘〉であるウスズミを上限である一二〇レベルまで育て上げるのはなかなか骨が折れる作業だった。既に一二〇レベルに到達していたマルトとナナオだからこそエンドコンテンツ代わりにコツコツ育てられた。
ナナオが〈子ども〉を提案してきたのはマルトがフラれてから三ヶ月後のことだった。そこにマルトを慰める意図があったのは間違いない。飛び上がるほど嬉しいというわけではなかったものの、マルトもその気遣いを素直に受け取った。ナナオに対する未練も正直なところあったし、フラれたことでこれまでの千紫万紅での関係が消滅したわけではないという安堵もあった。
〈ゲノンゲン図書館〉の面々もなんとなく事情は把握しつつ、ほかに〈子ども〉NPCがいなかったこともあり、物珍しさからすんなり受け入れてくれた。それどころか、〈ゲノンゲン図書館〉の長であるナナオの〈子ども〉なら次期館長だ、という悪ノリまで生まれて、派手な装備やアイテムを献上して覚えをめでたくしたり、「ウスズミの地位はほかのNPCを超越して一段上だ」と設定を書き加えてくれたりした。
それは単なる〈ゲノンゲン図書館〉内での設定で、いってしまえばごっこ遊びにすぎない。ゲーム内にいかなる影響も及ぼさない。それでもマルトは嬉しかった。いつもそんな流れで自然に遊べる〈ゲノンゲン図書館〉の面々がほんとうに得がたい仲間だと感じた。
そんな仲間たちも、ウスズミも、数時間後には失われる。いや、仲間たちと違ってウスズミはほんとうに消滅する。データというかたちで記憶媒体の中には残る可能性もあるが、他者から見えなくなるのであればそれはやはり消滅といっていい。
もう一度送られてきたスクリーンショットを見る。
ナナオとウスズミの、二つのピースサイン。
意外と余裕あるな、というのがマルトの感想だが、実際の命のやりとりではないのだからスクリーンショットぐらい撮れる。〈ゲノンゲン図書館〉が攻められて陥落の危機にあるのは本当だろう。
(要するに、これは娘と妻からのSOS……)
自分で思いついて苦笑する。これこそまさにごっこ遊びだ。
それでも、迷っているマルトの背中を押すきっかけとしては充分だった。
【すいません、いま行きます】
音声入力で手早く作成したメッセージをナナオに送信すると、急に後悔が押し寄せてきた。自分で勝手にいじけていたくせに、ひどく時間を無駄にした気がする。
焦燥感に駆られつつ、マルトは首からさげた勾玉を触ってその効果を発動させた。その勾玉は装備枠を消費しない特殊なアイテムで、本拠地として設定した場所に無制限に転移することができる。マルトが設定しているのは言うまでもなく〈ゲノンゲン図書館〉だ。
一瞬、白い光に包まれた後、今度は暗転。
これまで何千、何万回と経験してきた転移だから、リズムが体に染みついている。ここでかかるのはつまりロード時間だ。データ容量が多い街中ならロード時間は長く、荒野や雪山なら短く、〈ゲノンゲン図書館〉ならその中間といったところだ。
しかし、いつもの時間を経過しても暗転が終わらない。最終イベントの混雑がここにも影響しているのかもしれない。あるいは、気が急いているから長く感じるのか。
後から思えば。
長すぎるロード時間だと感じたこの時間にすべてが変わってしまった。
致命的な何かが千紫万紅に、あるいはマルトに起きた。
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