見慣れぬ再会4
周囲の暗さがロード時間の暗転ではなく、灯りのない夜闇のせいなのだとマルトが気づくまでしばらくかかった。
よく見れば視界の端で木の葉がさわさわと揺れている。
そうと認識してしまえば途端に夜目が利くようになるが、今度は別の混乱が襲ってくる。
「ここどこだよ……」
暗い森の中だ。
木々が視界の限り広がっている。
まかり間違っても〈ゲノンゲン図書館〉ではないし、先ほどマルトがいじけていた荒野でもない。一瞬、図書館が爆破されて更地になった可能性――千紫万紅で拠点を奪われてもそんなペナルティはないが――を考えたが、それにしても森になってしまうのはおかしい。
つまり、転移は失敗したとしか考えられない。だが、それもおかしい。千紫万紅の転移には失敗の確率など設定されていない。それはアイテムの転移であれ、マルトには使えない転移咒術であれ同じだ。千紫万紅の運営はプレイヤーを甘やかさないことで有名だったが、さすがに思いどおりに移動できないストレスを与えるほど理不尽ではない。
そこから混乱しつつ試行錯誤した結果、マルトは認めたくない事実を認めざるをえなくなった。
サポートへの問い合わせができない。チャット機能が使えない。そもそもメニュー画面が開けない。そのくせアイテムの取り出しはより直感的に、「そうしたい」と思うだけでできるようになっている。しかも、千紫万紅と同じように虚空から掌中に現れるというかたちで。
はじめは最終イベントの混雑に伴う不具合かと思った。大規模イマーシブ型のログイン時とログアウト時の不安定さはだいぶ改善されたとはいえ、まだ技術的な問題として残っている。ここ最近では珍しかった混雑によって千紫万紅のサーバーに予期せぬトラブルが起き、それに巻き込まれた可能性が考えられた。しかし、いつまで経っても運営からの連絡はない。こちらから連絡もできない。
イマーシブ型の接続デバイスは、安全のために一定時間経過すると強制的に接続が切れる仕様になっている。マルトはその設定を最大まで延ばしていたが、その時間すらどう考えても経過している。
そもそも時間の経過もおかしい。千紫万紅の世界では現実世界の二時間で一日が経過する。真夜中から朝になるまで、おおよそ三〇分。だというのに、転移に失敗してからはまるで現実世界のようにゆっくりと時間が流れている。メニュー画面が開けないので体感になってしまうが、転移に失敗してから三、四時間は経過しているのにまだ朝日は拝めていない。どんなに少なく見積もっても三〇分しか経っていないということはありえない。この点はマルトの感じ方がおかしい可能性があるので断定は避けるとしても、何か異常なことが起こっているのは間違いない。
文字どおり暗中模索の中、ようやく見つけた人間の群れ――物々しい武装集団だったが――とのコンタクトも〈
自分は心配性というよりはどちらかというと鈍いほうだと思うが、さすがに危機感と焦りで潤したばかりの喉が渇くような感覚に襲われる。
(こりゃ無断欠勤で済めばいいほうかも……)
二種類のシナリオに分けてみる。
現実的な路線――単なる技術的トラブルならば上司の冷たい視線が待っているし、千紫万紅の中に入り込んでしまったという荒唐無稽な仮定に寄り添えばこれから先の不安がいや増す。
千紫万紅はそれほど牧歌的な設定ではない。多くの仮想世界がそうであるように、対立の種を多く含んで弱肉強食の論理がはびこっている世紀末的世界観だ。プレイヤーの立場ならそれを無責任に楽しめたのだが、その内部に取り込まれたとなると話は違ってくる。
たとえば先ほどの殺気立った武装集団。
あの連中は明らかに対話の意思がなかった。速やかに対象を駆逐する以外の何ものにも興味がないような冷たい雰囲気があった。作戦行動中の軍隊があんな感じだろうか。
(まさか対象は俺じゃない――よな?)
そのくせ、放ってきたのは〈赫光〉という牽制にもならない低級咒術というのが解せないが。
とにかく、まずは生き残ることを考えなければならない。
千紫万紅は他のMMORPGに比べて死にやすいゲームデザインだ。火力と防御力のバランスがどうしようもなく崩壊しているわけではなく、どちらかというと「プレイヤーに死亡を恐れず挑戦してほしい」という調整がされている。プレイヤーの死亡時のペナルティはほぼ存在せず、気が済むまで罠まみれのダンジョンやボスに挑むことができる。そのダンジョンやボスにしても、意地悪ではあっても理不尽ではない。確かに初見殺しの要素は多々あるが、すぐに「もう一回」と挑戦したくなるところがマルトは好きだった。だからこそ仲間たちと膨大な時間を捧げてきたのだ。
一瞬、心配がよぎる。彼らは、〈ゲノンゲン図書館〉は――ナナオさんは無事だろうか。ひょっとすると自分と同じ目に遭っているのかもしれない。さらにもしかすると合流できるかもしれない、と考えると、ここ数時間で初めて心に希望が灯ったように感じた。そのためにも、やはり死ぬわけにはいかない。
自動蘇生アイテムなどという気の利いたものは千紫万紅にはない。また、たとえあったとしても、ここで千紫万紅の理屈が通じるか不明だ。とにかく警戒と慎重を心がけなければならない。
マルトは川辺から立ち上がり、もう一度首元の勾玉に触れた。だが、やはり転移の力は発動しない。
「転移全体が封じられてる? それとも……」
転移咒術のほうは有効なのかもしれないが、あいにくマルトは咒術が一切使えないという極端な脳筋クラスについている。いまのところ確かめようがない。
マルトは夜更けの森を再び歩き始めた。
千紫万紅の世界に入り込んでしまった可能性を一度認めてしまうと、少し違った風景に見えてくる。たとえば視野の明るさ。千紫万紅では当然ながら夜でもゲーム上の都合から視界が確保されていた。だが、いまはそのときの見え方とは違う気がする。夜目が利く、とでもいうのか。どちらにしろ、陽が落ちた状態でも気にせず歩けるというのは不幸中の幸いだった。
特に目的地があるわけではないが、マルトの足は自然と武装集団と出会ったところから離れる方向に動く。
途中、ふと違和感に気づく。もう体感で数時間森歩きを続けているのに疲労を感じない。疲労を感じないことに気づくというのもおかしな話だが、現実の
正確には疲労を感じないどころではない。力があり余っている。体が軽い、のさらに先にあるような、現実の相墨晋也には久しく無縁の感覚だ。平日の朝五時からジムに集う産業戦士たちはいつもこんな活力を持て余しているのかもしれない。
マルトは立ち止まり、試しにその辺りの樹の幹をつかんでみた。いくら赤鬼の手が大きいといっても、もちろん鷲掴みにはできない。だが、ほんの少し力を込めると、樹の幹はぺきぺきと手応えなくひしゃげていく。そのままだと樹が中ほどから倒れてしまうので、マルトは慌てて手を離した。
たまたま腐って脆くなっていたものを引き当てたのかと思ったが、ほかの樹で試しても同じだった。
確かに一二〇レベルの赤鬼の筋力ステータスは優れている。装備の補正や咒術によるバフを除いた素の値は千紫万紅の全種族で一、二を争う水準だ。それを現実世界――というのも違和感がある表現だが――で再現するとこれぐらいはできて当然かもしれない。
問題は、この世界での当たり前がどの程度か、だ。その辺のショップ店員が素手で樹の幹をぺきぺきできるのであれば、人里を見つけたとしても迂闊に近づくべきではないかもしれない。先ほどの武装集団の反応からして、赤鬼はどうも警戒されている気がするからだ。
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