見慣れぬ再会2

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「はあ……」

 千紫万紅のサービス終了日の午後一〇時二四分。

 まさに最終イベントの佳境。

 一匹の赤鬼がいじけながら無為に過ごしていた。

 相墨晋也あいずみしんやが操作する赤鬼――マルトである。

 こうしてしゃがんで地面を眺めているだけでも分かることがある。赤茶けたむき出しの地面には蟻が這っているが、それは実は一定のパターンしかない。たまに視線を落とす分には蟻が自由に動き回っているように見えるが、いまのマルトのようにじっと眺めていれば、蟻が何もないところから出現するタイミングと消失するタイミングのわずかな切れ目すら察知できる。

 細部の無駄な作り込みに定評のある――そのせいでサービス終了を早めた疑いもある――千紫万紅の運営にわずかなほころびを見つけた気がして、マルトは頬を緩める。もっとも、赤鬼はデフォルトが怒ったような表情なので、それは画面上には現れていないだろうが。

 もちろんこんなことをしている場合ではない。

 ともに苦楽の時間を過ごしてきた一門の本拠地が攻められているのだ。

 あと数時間後のサービス終了ですべてが無に帰すとはいえ、いや、だからこそ有終の美を飾るために本拠地の防衛に全力を尽くすべきだ。

 誰がどう考えてもそれが正しい。

 マルトの役割は前衛。豊富なHPとトップクラスの防御力を活かして最前線で敵の攻撃を引きつけるのが仕事だ。

〈ゲノンゲン図書館〉の人員は一九人。運営が発表した最新で最後の「千紫万紅白書」によれば、結成から一年以上経過した一門の平均人数は三三人なので、だいぶこぢんまりとした所帯である。そんなところから前衛が一人抜ける影響は大きい。仲間たちがつくったNPCも総動員で防衛にあたっているだろうからマルトの不在によって単純に戦力が一九分の一減ったとはいえないが、それでも痛手であることは間違いない。〈ゲノンゲン図書館〉にはどちらかというと後衛の咒術士が多く、前線で敵を食い止める壁役は絶対に必要だ。

 そんなことはマルトにも分かっている。とるべき行動は、いますぐ図書館に転移してみんなとともに戦うことだ。だが、どうしてもその踏ん切りがつかない。先ほどからメニューを開いては閉じ、と無駄な行動を繰り返している。

 みんなにどんな言葉をかければいい?

 どういうエモートを使えばいい?

 遅れてごめん、ほんとに楽しかった、ありがとう、さようら、またどこかで、笑顔、泣き顔、困った顔。

 どれも正直な気持ちで、それでいてマルトの本音とは少しずつずれていた。


 もうひとつ、この最終イベントには勢力のバランスによって終了時刻が変わるという特徴があった。とりあえず午前〇時が終了時刻と定められているが、人間種か魔種、どちらかにある程度傾かないと延長がされていくのだ。戦況はどうやって判断されるかというと、プレイヤーの死亡回数と支配下に置いた拠点の個数である。そして、フィールド全体の状況としてはほんのわずかに魔種側がリードしている。つまり、魔種側に所属するマルトがこうやってぼーっとしていることは千紫万紅が長く続くことに貢献しているともとれる。

 もちろんマルトも自分が戦況に影響を与えられると自惚れているわけではない。ただ、自分の行動によって千紫万紅の寿命を早めたくない、という消極的な気持ちがあるだけだ。処刑には居合わせたがギロチンに触れていなかった、という卑怯な免罪符が欲しいだけだ。


 千紫万紅が終わる時間を少しでも引き延ばしたい気持ちもある。

 けれど、やはりそれ以上に終わりを認めたくない気持ちのほうが大きい。

 つまり、すねているのだ。

 ――どうしてみんなあっさりと終わりを認められるのだろう?

 サービス終了が告知されてから幾度となく抱いた疑問には完璧な答えがあった。

 ――みんなお前ほど依存してないからだよ。

 確かにマルトは千紫万紅にのめりこみすぎた。こういったMMORPGにはいつ見てもログインしている人がいるが、マルトがまさにそれだった。独身で、たまの食べ歩き以外にこれといった趣味もなく、時間と金を惜しみなく千紫万紅に注ぎ込んできた。

 マルトは〈ゲノンゲン図書館〉という一門の中で特に役職についていなかったが、哀れみとからかいを込めた「課金大臣」の名だけはほしいままにしていた。純粋な額面だけでいえばもっと上はいくらでもいるだろうが、収入に対する課金額の割合でいえば人後に落ちない自信がある。

 前にニュースで話題になった、早期リタイアを達成した人の支出グラフを見たことがあるが、固定費をなるべく抑えて大部分を投資と貯蓄に回していた。その「投資と貯蓄」の部分を「千紫万紅への課金」に入れ替えればちょうど相墨晋也の支出グラフになる。


 自分の体を見下ろす。

 往年の名作をリスペクトしているのか、赤鬼は胴体の防具を装備しないほうが防御力が高くなるという設定があるので半裸だ。筋肉の隆起が赤黒い肌に見事な彫刻を描いていて、マルトは見る度に修学旅行で訪れた寺の金剛力士像を思い出す。

 胴体以外の頭、腕、脚、そしてアクセサリーは課金に飽かせたなかなかの装備だ。大手一門の中心プレイヤーにも負ける気がしない。

 図書館に帰れば最高級の餌を与え続けて上限まで育て上げたペットNPC――大狼ダイヤウルフ三匹もいるし、持ち歩けないレアアイテムは宝物庫にしまってある。

 いや、そんな資産そのものが惜しいわけではない。

 ほんとうに惜しいのは、それに付随した思い出だ。

 思い出は消えない、などという詭弁は少しもマルトの心を軽くしない。

 胸を張って言える。千紫万紅は、〈ゲノンゲン図書館〉は楽しかった。

 みんなで作戦を立てて高難易度コンテンツに挑むことが、装備ガチャの結果に一喜一憂することが、次のアップデート内容について推測と願望を語ることが、図書館の内装をどうするか話し合うことが、千紫万紅と全く関係ない雑談をすることが。

 あまりにも楽しすぎて、マルトはそれを無限だと勘違いした。

 ほかのみんなはきちんと有限であると知っていた。

 その違いなのだろうと思う。

 その結果、せっかく運営が最終イベントというお別れを言う機会を与えてくれたのにログインだけして地面を見つめている、いじけた男が誕生したというわけだ。

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