ロマンチサイド
@asega0923
序幕1
●
「ば、化けものが出たぞぉっ!」
油断という緩みがいささかもないはずの武装集団の先頭から、悲鳴のような声が聞こえた。
自分たちは夜の眷属どもを駆逐するためにやってきたのだから、敵と遭遇するのは当然だ。
自分たちは夜の眷属どもの領域にいままさに侵攻しているのだから、敵と戦うのは当然だ。
だから先の叫び声――恐らく斥候によるもの――も驚くにはあたらなかったが、ただひとつ、その声に込められた切実さだけが異質だった。
――そこまで慌てるようなことか?
そんな疑問があたりを行く兵士たちの頭に浮かび、それぞれが足を止めて顔を見合わせる。
しかし、そんな彼らも知ることになる。
その叫び声をあげさせた敵をその目で見て、納得することになる。
先頭のほうから人が割れていく。
後ろにいる仲間たちにもその姿を見えるようにしてやろう、という親切心ではもちろんない。
怖気づき、気圧されたがゆえに自然と一歩下がってしまうのだ。
まず、その時点で武装集団の中ほどより後ろにいる者たちは目を疑った。
自分たちは精鋭である。
入隊時点で体格を選別され、過酷な訓練で心身を限界手前まで痛めつけられてきた。「強さ」というふるいにかけられた、ほんの一握りの選ばれし集団であるという自負がある。
そんな彼らが戦わずして一歩退く。
それほどの存在が目の前にいた。
精鋭としての誇りも、夜の眷属を駆逐するための使命感もまるで役に立たない、圧倒的な強者がそこにいた。
赤鬼。
全身を筋肉に鎧われた異形の存在。
まず大きさからして気圧される。彼ら戦闘集団は当然一般人に比べて優れた体格を持つが、そんな微少な違いなど、この赤鬼の前では意味をなさない。彼らの中で最も背の高い者よりもさらに頭三つ分は大きい、人間種には絶対にありえない骨格だった。
そして、それ以上に圧倒されるのは肉の量。
立派な骨組みに、全体のバランスが崩れる限界ぎりぎりまで肉を積み込んだというような存在感が遠く離れたところからも余すところなく伝わってくる。
日々訓練に明け暮れている彼らだからこそ、その肉の量に、そして鋼さえたやすく弾き返しそうな隆々とした筋肉の硬さに、人間種ではありえない種族の壁を感じてしまった。
それだけならまだいい。
ここまでは赤鬼という種族の特徴でしかない。
問題は――
「てめえらバカかっ! ぼーっとしてる暇があったら武器をとれ! 一歩下がりゃ夜はその分深まるんだぞ!」
「でも、百人長殿、あ、あんな色の角は見たことがありません!」
誰かが悲鳴のような指摘をする。
目の前に現れた赤鬼の角は見事な金色。
夜の暗さの中でも、まるで最高級の金箔を貼ったように堂々と輝いている。
鬼は大陸西部の端で部族を形成する異形種だが、はぐれ鬼が大陸中央にふらりと出てくることもあるため、その生態はある程度知られている。
彼らは角の色によって強さが異なる。
彼らの肌と同じく赤黒い角であれば最も数が多く、最も弱い。弱いといっても元の性能が人間と違うので一体でも小さな村なら滅ぼされかねないが、それなりに経験を積んだ者が複数人で当たれば撃退できる。
次に強いのが白い角を持つ鬼。
そしてさらに強いのが黒い角を持つ鬼。ここまでくると歩く災害と呼びたくなるほどの被害をもたらすことが多く、各国でも有数の英傑の力を借りなければならない。
さらに黒い角を持つ鬼の中にも違いがあり、角の黒色が濃ければ濃いほど強い力を持つことが判明している。
つまり、鬼という種族の到達点は――幸いなことにまだ確認はされていないが――漆黒の角を持つ個体だろうと考えられている。
しかし、目の前の赤鬼はこれまで誰も見たことがない金色の角を持っている。
夜の眷属と戦う者として、彼らは未知の怖さを重々承知している。彼らがいま現在常識としている装備や対処法も、先人たちが多大な血の犠牲を払って確立してきたものだ。
未知と遭遇したとき、立ち向かうべきか、逃げだすべきか。
金色の角を持つ正体不明の鬼は足を動かしてこちらに近づいてきているし、両手もわたわたと――どういう意味だか分からないが動かしている。
妙に人間くさいその動きが、その場にいる兵士たちの戸惑いを生んでいた。
その戸惑いがこれ以上広がっていくのを押しとどめるように、
「二番! 二番だ! 早く組め、
再び百人長の声が響いた。
その怒声に兵士たちは生きた心地のしない訓練を思い出し、現実を一瞬忘れ、それが結果的に良い方向に作用した。
彼らは体に染みついた動きで隊列を組み直し、後列の呪術師と、その射線を遮らないように前列に陣取る盾兵の配置がすぐさま完成した。
よし、と百人長がうなずく。迅速な部下たちの動きに、彼自身も落ちつきを取り戻したようだった。
「準備のできたやつから撃て! 出し惜しみはなしだ!」
赤い線が人間たちから赤鬼に次々に伸び、一瞬の煌めきとともに着弾していく。
それは〈赫光〉という初歩的な攻撃呪術で、威力はさほどない代わりに敵の耐性をある程度無視するという特性を持つ。つまり、どんな相手にもそれなりに効くということだ。術士を揃えて〈赫光〉で力押し、というのが夜の軍勢に対する人間の有力な戦い方の一つだった。
〈赫光〉の一斉射撃は続いている。
赤い閃光が間断なく赤鬼に突き刺さる。
赤鬼は進んでも退いてもいない。最初に人間たちから視認された位置でわたわたと両手を動かしている。
(まさか、効いていない……?)
百人長の脳裏に嫌な考えが浮かんだ。これだけの〈赫光〉の連打に耐えるとなると相当な強敵だ。赤鬼の不気味な手の動きも何らかの攻撃の予備動作かもしれない。
(いったん退くべきか……)
百人長が迷ったその瞬間、赤鬼は背を向けて去っていった。
安堵の息がどこからともなく漏れる。
副官に形式的に損害の有無を確認するが、もちろん部隊の誰も負傷していないことは分かっている。赤鬼は、原始的な投石を除けば遠距離攻撃の手段を持たないのは周知の事実だ。
赤鬼を退けられるだけの咒術士を部隊に揃えてくれた上官に改めて感謝しつつ、百人長は部隊に小休止を命じた。攻撃目標が近づいているいま、赤鬼の襲来という突発的な出来事による疲労を残してはいけないと判断したからだ。
「よう、よく無事だったな」
ここまで歩いてきた疲労からその場に座り込んで休憩する者が多い中、一人の兵士がわざわざ集団の先頭まで移動して別の兵士に声をかけた。
「昔話なら確実に尊い犠牲になってたぞ、お前」
軽口を向けられたのは最初に赤鬼と出くわして大声をあげた兵士だった。
「ああ……」と気の抜けた声で返事をする彼は、赤鬼が去っていった方向をぼんやりと眺めている。
自分がまだ生きていることが信じられないのだろう、と声をかけた兵士は思った。それも無理はない。信じられないほどの体力と人間の鎧など紙のように引き裂く膂力を持つ赤鬼は大きな脅威だ。
今回の個体は〈赫光〉の弾幕に怖じ気づいたことから察するに低級だろうが、昔、誓教国が最上級の赤鬼を捕獲して実験したところ、複数の咒術士が交代しながら一週間絶え間なく〈赫光〉を当て続けても死ななかったという絶望的な記録が残っている。
最終的に人間側が撃退に成功するとしても、そんな存在に至近距離で出くわしてしまった斥候の末路は一様に悲惨と相場が決まっている。今回一人も犠牲者が出なかったのは、不埒な無信心者も誓教の加護に感謝しなければならないほどの幸運といえる。
「ったく、灯りをケチるからこうなるんだっての。それでやられるのは俺たちなんだからたまったもんじゃねえ。なあ?」
「……あの赤鬼」
「なんだ、知り合いか? 昔助けてやった小鬼か? 生き別れの兄弟か? そういや確かにお前と面構えが……」
「いや」
冗談に取り合わず、斥候の男はまだ赤鬼が去った方向を見ていた。
「攻撃する気がなかったというか、あいつ、なんかこっちに話しかけようとしてた気がして……」
そこで同僚の訝しげな視線に気づき、男は慌ててバツの悪そうな表情を浮かべた。
「なんて、そんなわけないよな!」
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