異星の魔女と魔法使い〜悪い子だから嫌われるんだと思っていたら、どうやらラスボスの魂を持っているのが原因だったようです〜

桐谷慎也

第1話〜私と、運命の夜のこと〜

 月の光が、ぼんやりと空を照らす夜でした。

 スマホが示している時間は、零時近く。私――水張靄は住宅街の中をとぼとぼと歩いてました。高校生が出歩くには、遅すぎる時間。だけれど私がおうちにはいられないのは、いつものことです。


「…………」


 声を出さずにため息をつくのには、慣れています。私は、声を出してはいけないから。お喋りをすると、お母さんが怒るので、そういうふうになりました。

 でも、静かにしていても、怒られないとは限らない。おうちにいると、私はたくさん叩かれてしまうので、こっそりと逃げ出したのです。

 身体がすごく痛くなっています。今日はお手伝いをしなかったから、お腹に熱々のフライパンを押し当てられました。お風呂で冷やしたけれど、まだ熱があるみたいに、じくじく痛みます。

 そんなのは、いつものこと。痛いのはつらいけど、死ぬよりはいいような、そうでもないような。


――ああ、せんぱいに、会いたいなぁ。


 そんなことを考えながら、ふと空を見上げました。

 大きな月が、青く光っている。星がぴかぴかとしていて、だけど私は、「あ」と気がついたのです。

 ぴかぴかしているのは、星じゃなかった。視界のすみっこで、丸っこいものが、ぼんやりと光っている。それは空高くではなくて、住宅街の真ん中に、突然近未来的な建物が生まれたような光景でした。


 まるで吸い寄せられるみたいに、私はそれに近づきました。よくよく見れば、三階建ての家よりもちょっと高いくらいのところに、ドームの屋根みたいな丸みがあります。そして、その中では、ぴかぴかと何かが光っては、ぶつかりあって弾けている。星に見えたのは、これなんだろうな。

 これは一体、なんなのだろう。好奇心、みたいな感情に突き動かされて、まるで明かりに群がる虫みたいに、私はふらふらと歩いていきます。ただ、寂しかったのかもしれません。深夜の住宅街は、家の明かりもすっかり落ちて、街灯だけがジジッと小さく音を立てながら、ぽつぽつと周囲を照らしているだけなので。


 近づけば近づくほど、星のようなきらめきは数を増していきます。遠くからでも見えるものだけじゃなくて、近づかないと見えないものまで、大小さまざまに光っている。

 同時に、丸っこくてぼんやりとした光がどこにあるのか、私は気がついてきました――この住宅街の中に、ぽっかりとある、小さな運動場を併設した公園。放課後やお休みの日には、小中学生のスポーツクラブがボールを追いかけたり、夕方から夜にかけては、犬のお散歩コースだったり、そういうことに使われる場所です。

 その、ちょっと広い公園が、丸っこいドームに覆われている。

 地面の視界を遮る家がないくらいに近づけば、その光は、本当にドームなのだとわかります。光は地面から生えているのか、それとも天頂に当たる部分からカーテンみたいに下りているのか――ともかく、公園を丸ごと包み込んで、それ以外の場所から隔絶するみたいに、まぁるく囲っているのでした。

 こんなもの、今日の夜まではなかった。私が部活を終えて、街中をフラフラしてから帰ってくる時には、犬のお散歩をしている人が行き交うような、いつもの公園だった。

 なのに、今は、うっすらとした光のカーテンの中で、ピカピカと、チカチカと、パチパチと――人影が、何かを放っている。


――人影?


 多分人影なんじゃないかな、と私は思いました。丸い頭があって、手足が四本、胴体にくっついている。それが一対ずつ、ちゃんと、手と足らしい動きをしていて、おかしいところはありません。

 あり得ない高さに、跳躍していることを除けば。

 一人の人間らしい影は、うっすら光るドーム越しの空、三階建ての建物ほどもあるドームの天頂近くまで、飛び上がっていました。人間は、ふつう、生身の身体でそんなところに辿り着けるはずがありません。

 あるとしたら、高いところから飛び降りること。だけど、ドームの中にも外にも、あの人影が飛び降りられそうな場所は、ないのでした。

 頭が混乱している。そんな中で、視覚だけがやけにはっきりしていました。とっくに度の合わない眼鏡越し、それもドームの光が淡く視界を遮っているので、人影が何なのかまではわからなかったけれど。でも、手には何か細長いものを持っていて、それを斜め下に向けて投げるところは、しっかりと見えました。

 自然と、目が動くものを追いかけます。ものすごい速さで投げられたもの――体育の授業で男子が槍投げをする時に使う、槍に似ているように思えました。その軌道までは、私の目では捉えられたとは言いがたいけれど、「それ」の向かう先は、見ることができた。


 瞬間、私の頭は、止まりました。


 小さめの遊具くらいの大きさをした、影。

 丸を潰したような、平べったい、身体のようなもの。

 手なのか、足なのか、よくわからないものが、無数に生えている。

 まるで大きく口を開いたようなシルエットから、何か長いものが――そう、カエルが虫を食べる時に舌を伸ばす、ちょうどそういう感じに、伸びていて。


――なに、これ。


 声は、出ませんでした。元々、声を出してお喋りするのが、得意なようになっていない私ですが、「それ」は人間じゃないし、私の知っている、どんな生き物でもない――その衝撃が、恐怖のような混沌とした感情が、私から声を奪いました。

 私は、とうとう頭がおかしくなってしまったのだ、と思いました。現実的な価値観と、自分の感覚や思考に、あまりに齟齬がありすぎる。だから私は、自分がおかしくなったか、さもなければ、これは夢なのかもしれないと思いました。

 夢。そうであれば、どれほどよかったことか。これが夢ならば、私は私の感覚を否定しなくて済む。だって、夢なんだから。どれだけおかしなことが起きたって、当然です。でも、私はこれが夢じゃないことを、嫌というほどわかっていました。

 だって、あんまりに、鮮明すぎる。今、私が呆然としている間にも、光のドームの中では、人影が動いています。あるべき振動も、音すらも聞こえないのは、夢の中のよう。でも、だからこそ、深夜の住宅街の静寂が、きんと耳に響いている。

 生ぬるい風が、吹いていました。その風の肌触り、長く伸ばしたままの私の髪が揺れる感触も、これが現実のことであると、私に伝えている。少なくとも、こんなにも現実味のある夢を、私は見たことがありません。


 逃げなくちゃ。


 私の頭に浮かんだのは、そんな月並みなことでした。ぼんやりと光るドームの中はよく見えないけれど、その中で行われているのが、ただならぬことであるのだけは、私にもよくわかったので。

 足は、動かない。言うことを聞かない身体。それを、どうにかして、動かそうとして。


 かつん――と、静寂に小さな音が響きました。私の足、ほんの少しだけ動いたつま先が、小石を蹴った音でした。


 なんで、どうして、こんなところに、なんて、考えるまでもない。子供や犬、たまに野良猫なんかが遊ぶ場所の近くなので、ちっちゃな石なんて、たくさん……とまでは言わなくても、そこら辺にあるのです。

 それでも、「なんで、今」と考えるのを、私はやめられませんでした。

 心臓がバクバクと嫌な感じに脈打っている。不思議なほど音が聞こえてこないドームの中に、この音は届いているだろうか。影たちの動きは、まるで映画のアクションシーンみたいで、本当ならもっと、音がしないといけないはずだ。だけど、向こうの音が聞こえないなら、こっちの音も聞こえないだろう、というのは、あんまりに、希望的観測が過ぎる――。

 冷や汗が、背中を伝う感触がしました。頭の中でどっと湧き出した思考の量があんまりに多くて、私にとっては、永遠にも思える時間。だけどそれは多分、現実には、一瞬に満たなかったのでしょう。

 響いた音に反応するように、弾かれたように私を見る誰かがいました。その人は、光のドームの外側に立っていて、両手でドームを触れていました。

 多分、最初からそこにいたはず。だけど私は、ドームの中で繰り広げられる非日常的な光景に気を取られて、「外側に人がいる」ことに、それまで気づいていませんでした。


 月明かりだけが、ぼんやりと空を照らす夜でした。

 零時近くの住宅街には、ぽつぽつと街灯の明かりがあるだけ。

 でも、「その人」は、光を放つドームのすぐそばにいた。

 だから私は、「その人」の顔を、はっきりと認識して。


「靄ちゃん!?」


 せんぱい、でした。

 一学年上の、同じ同好会に所属する、私が一番、大好きで大好きで仕方のないひと。今夜も会いたかったひと。

 世羅川エノ、せんぱい。

 その人が、間違いなく、そこにいる。

 喜んでいいのか、驚けばいいのか、すぐにはわかりませんでした。すごくすごく会いたかった。離れていたくなかった。そんなひとが、すぐそこにいる。

 だけれど、せんぱいの手はあのドームに触れていて、多分きっと、このおかしな状況の、中にいる。物理的な内と外じゃなくて、「この状況を、理解している」。

 そして、せんぱいの声は、すごく切羽詰まっていました。なんでこんなところに私がいるのか、問われているみたいな声でした。だから、私は蚊帳の外で、本当は、ここにいてはいけないのは、私なんだと気づきます。


「せ、んぱ……」


 思わず、声が出ました。私の声はとても小さくて、「せんぱい」というたった一つの呼びかけさえ、語尾が震えて、消えてしまった。


 その直後。

 パリン、と、音ではない何かが、私の感覚に届いた。

 首だけで私の方に振り向いたせんぱいの前で、光のドームが割れる。

 そして、その中に閉じ込められていたものが、私の目と耳に届いた。


「結界が割れた!」

「なんだと!?」


 銃声、誰かが叫ぶ声――それを発しているのは、ドームの中にいる人たちでした。

 ぎょろりとした、たくさんの目――それは、さっき槍のようなものを投げられていた「何か」のものでした。


 異形。明らかな、怪物。少なくとも私の知っているどんな生き物とも同じじゃない。ぬめぬめした身体の表面に、無数の目がついていて、それが別々の方向を、ぎょろぎょろと、規則性もなく見回している。

 人影が――今や、遮るものもなく見える人間が、「それ」に向かって銃弾を撃ち込み、剣で切りつける。足が切り落とされる、手が弾け飛ぶ。

 そうして、高く跳んだところから、槍を構えているのは――これもまた、見知った顔でした。


「くぅ、しゃ……?」


 私の小さな小さな声は、やっぱり最後の言葉を音に乗せることができませんでした。

 クロウ・シェイファー。それが、その人の名前です。言葉を発するのが上手じゃない私は、いつも「くぅさん」と呼んでいる、赤い目の男のひと。警察官で、夜に街をぶらついている私に、声をかけてくれるひと。

 名前からして、日本のひとじゃ、多分ない。警察官らしくない、青みがかった、襟足だけが長い髪が、ふわりと風にたなびいている。


「どうして一般人が!?」


 誰かの発したその声で、私は本来、ここにいてはいけない人間なんだ、と、改めて理解しました。

 動揺と緊張が、ドームの中と外、ごく近くにいた人たちに、走っている。

 逃げないと。

 私は咄嗟に思いました。ここに私は呼ばれていない、それ以前に、きっと、すごく危険なんだ。

 だけど身体は、ちっとも動いてくれませんでした。足が震えて、走り出すどころか、歩くことさえできない。もしも膝が砕けてしまったら、四つん這いになって動くことはできたかもしれない――そんな状態で、私はただ、立ち尽くしている。

 とても、長い時間が経ったように思えました。でも、それは一瞬のこと。


 パァン!と響いた銃声が、私の意識を引き戻します。ああ銃声だ、と思えたのは、金髪の男の人が、拳銃を構えているのが見えたからです。どうっ、と鈍い音がして、ぎょろぎょろと辺りを見回す怪物の身体が、多分身体の輪郭が、歪みました。

 ああ、撃たれたんだ――その射撃に、決定的な威力はなかったみたいです。怪物はたくさんの目をぎょろつかせて、その無数の目が――小さく何かを唱えるみたいに、口を動かしているせんぱいを、見た。


「待てッ!」


 くぅさんが槍を投げるのと、怪物がぐぃんと手足のようなものを伸ばすのが、殆ど同時でした。槍が胴体に突き刺さる。だけど手足が伸びるのは、止まらなくて。

 怪物の手足が三方向に延ばされているのを見て、せんぱい以外の人が、同じように何かを唱えているのに、私はようやく気づきます。

 ついさっきまで、光のドームに阻まれてよく見えなかった人たちは、せんぱいを含めて、ちょうどドームがあった場所を三角形で囲むみたいに立っていて、やっぱり、私はその人たちに見覚えがあるのでした。

 せんぱいと同じ、私が入っている同好会の、先輩たち。誰にでも嫌われる、こんな私と、普通に接してくれる人でした。


「あ……」


 怪物の手足、もう触手とでも呼んだ方がいいような長さと形になっているそれらが、せんぱいたちを捉える。まるで人間が小さな虫を払う前みたいに、大きくしなる。


 くぅさんが、さっき投げたはずの槍を構えている。

 拳銃を構えている人も、剣を構えている人もいた。


 間に合わない――それは、何も知らない私にも、唯一わかったこと。まるで鞭みたいな触手が、すごい速度で、せんぱいたちへと向かっていくのが、スローモーションに見えた。

 あんなもので、薙ぎ払われたら――。


「いやぁーーーッ!!!」


 自分でもびっくりするほど、大きな声。

 殆ど反射で出た、私の悲鳴。

 頭の中が、わからなくなる。

 ぐるぐる回っている思考が真っ白になって、ただ、大好きなせんぱいが、私なんかと一緒にいてくれるせんぱいたちが、いなくなってしまうのが怖くて。


 ――何もかも、見えなくなった。


 辺りが真っ白になっている。私はそのことに、しばらく気づけませんでした。怖くて怖くてたまらなくて、自分の感情で手一杯で、頭が真っ白になったから、視覚でものを捉えることができなくなってしまったのだと思っていました。

 でも、目の前がチカチカし始めて、ああこれは、本当に、見えるものが白くなっているのだ、と気づいたのです。

 フラッシュみたいな強い光が、視界を焼いている。時々、チカチカと瞬いて、月明かりと街灯に照らされただけの薄闇が見え隠れします。でも、あんまりに光が強いものだから、それは真っ黒に塗りつぶされているみたいでした。


 ぐらりと身体が揺れて、私は膝をつきました。

 もう、何がどうなっているのかもわからない。ただ、身体がすごくだるくて、力が抜けてしまっている。まるで、私の中から何かが吸い上げられているような感覚。

 これじゃあ、逃げることもできません。脳裏に浮かぶのは、「死」でした。

 そもそも、逃げてどうにかなるようなものなのかも、わからないけれど。


 不思議と、私の身体はガタガタと震えました。怖くて、歯の根が合わない。悪いことの方が多い人生です。死にたいと思ったことなんて、何度もあった。

 あんな状況で、せんぱいたちも無事とは思えません。私に良くしてくれる、数少ないひとが、そして何より大好きなひとが、死んでしまうかもしれない。その後の日々を生きることが幸せとは思えないのに、私は怖かった。

 その時です。


「靄!!!」


 力強い声が、私の名前を呼びました。くぅさんの、声でした。

 いつも飄々としているくぅさんからは想像できない、まっすぐに響く声。まだ視界は瞬いていて、顔なんて見えないのに、私のことを心配してくれているのが、伝わるような。

 呼ばれた途端、チカチカと瞬いていた光が、消えていきます。あんまりに明るすぎたので、全然目が慣れないけれど。まるで靄が晴れるように、薄暗闇が、辺りを包み込みます。

 そうして、パチパチとまばたきをして――どうにか、周りの様子が見えるようになった時。


 私の周りには、武器を持った人たちが、たくさんいました。

 誰もが一様に、それを私へと向けています。


「な、んで……」


 声は掠れて、誰にも届かないんじゃないかと思うくらい、小さかった。

 くぅさんの姿は、私に武器を向ける人たちよりも、少し近いところにありました。ドームの中にいた、拳銃を持った金髪の男の人と、剣を持った赤茶色の髪の男の人が、今にも駆け出しそうなくぅさんを、押さえていました。

 何が起きているのかは相変わらずわからなくて、拳銃を持つ人たちの向こうでは、たくさんの目のある怪物が、しゅうしゅうと煙を上げています。伸ばした触手は力なく地に落ちていて、その先でうずくまる人影は、確かに、呼吸するように上下している。


 一体、誰がこんなことをしてくれたのか――あるいは、しでかしたのか。どちらの言葉を使えばいいのか、私には判別できません。

 本当に危ないところだったのは、私にもわかりました。それがどうにかなったのなら、多分、いいことのはずです。だけど一方で、簡単にこんなことができてしまうなら、あんなに「危ない感じ」にはならないはずです。だから、これは、くぅさんやせんぱいたちにとっては、イレギュラーな出来事で――


 ――せんぱい?


 頭がぐらぐらする。視界がぼんやりとして、狭くなっていく。もう、指一本も動かせなくて、身体も感覚も、私の自由になってくれません。

 倒れた怪物の、一番私に近いところに――せんぱいに、伸びていたはずのものが、ない。その先に、せんぱいの姿もない。

 私は、ようやく気がついて。気がついたけれど、それだけでした。


 ゆっくりと明滅する視界が、暗転する。

 そうして私は、意識を失ったのです。


 最後に思い出していたのは、「その日」のこと――何の変哲もないはずだった、一日のことでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る