第6話〜どうやら私の魂にはラスボスが混ざっているようです〜
――清藤の地には、遥か昔に、魔女がいた。
他の星の神を喚び、世界を滅ぼそうとした彼女は、しかしそれを阻止する魔法使いに敗れ、厄災の神ともども、封印されることとなる。
けれども、異星の力、神の力を扱うほどに強大な魔女を、完全に滅することはできない。厄災の力は封印から漏れ出て、人知の及ばぬ怪物を作り、人を脅かした。
そのため、魔法使いたちは、この地を監視、守護している。この現代において、なお。
そして封印もまた、永遠のものではなかった。徐々に綻びが生じ、このままでは、魔女と神が放たれ、世界はまた、滅亡の危機に晒される。
魔法使いたちは、その魔女をこう呼ぶ――異星の魔女、と――。
という話を聞かされて、ついでとばかりに「そういう土地」、つまりは「強大な力を持つ悪い魔法使いを封印した場所」というのは、なんだかんだで世界各国にあるのだ、と言われて、私は気が遠くなりそうでした。
実際、気が遠くなるような話です。そういう強大な魔法使いがいたのは大昔のことで、今の魔法使いはその頃と比べたら弱いのだとか。
「まぁ、魔法って言っても、今や科学でどうにかなることが殆どだからなぁ」
「そ……なん、です、か……?」
「炎の魔法を使うより、火炎放射器でもぶっ放した方が早いだろ?」
「あぁ……」
くぅさんのたとえは、よくわからないなりに、説得力がありました。
魔法、というものにかかる手間がどれほどのものか、私にはわかりません。でも、なんとなく脳裏にぼんやりと浮かぶファンタジーの魔法使いがやっていることは、科学でもできちゃう気がします。
大体にして、空を飛ぶこと一つ取っても、簡単にできる世の中です。単に空を飛ぶだけなら飛行機でもいいし、浮遊感を味わいたいなら、ハンググライダーみたいなものもあります。自由に飛びたいのなら、ヘリコプターの操縦免許とか……難易度は色々ですが、いずれにせよ、魔法を使えない人だって、できちゃいます。
多分、魔法使いというものが残っている理由も、ちゃんとあるんでしょうけど……十分に発展した科学は魔法と区別がつかない、ということなのでしょう。
「こういう土地は、実際あちこちにあるのよ。清藤市もその一つで、表向きには秘密裏に、魔法使いが派遣されるの。私たち、清藤市警察特殊警務課はその一つね」
「……と、く……?」
「うっそ、あんたたちまだその話してなかったの!?」
黒乃さんは、びっくりしたのと呆れたのが混じったような顔で、くぅさんたちを見ました。
「そこの娘、まともに会話をするのも難儀するんだぞ? そこまで話が進むものか」
「だ〜か〜ら〜、あんたらみたいなデカい男に囲まれたら、話すものも話せないでしょ!」
サカキさんが果敢にも肩を竦めましたが、黒乃さんの一言で封殺されました。私はなんとなく、ああ、この中で誰よりも口喧嘩に強いのは黒乃さんなんだな、と理解します。
でも、私は相手が大きな男の人じゃなくてもうまく話せないので、サカキさんがちょっと可哀想な気もしました。
「あ、の……」
「ん、なぁに?」
「わ、たし……ほんと、に、しゃべれ……ない、ので……」
あんまり怒ってほしくないなぁ、と思いながら、黒乃さんをちょっと見つめます。淡い色の瞳は綺麗で、芯が強い。いつもなら気圧されそうになるような強さなのに、不思議と私は、黒乃さんを見つめていることができました。
探るような目が、私を見つめ返します。そして、小さくため息をつきました。
「まぁ、そういうことなら、仕方ないけど……」
私は一生懸命に頷きました。すると黒乃さんは、首を傾げて、優しい声で尋ねます。
「言いたくなかったら答えなくていいんだけど、あなた、昔からそうなの?」
「え……と……むかし、は……おこ、られる、から……しょう、がっこうの、頃には……こう、だった……と……思い、ます……」
「そう……ありがと」
私がおずおず、どうにか思い返しながら答えると、黒乃さんは眉を寄せました。何か悪いことを言ってしまったのだろうか、と思っていると、黒乃さんは全員を見回して、それからくぅさんを見ました。
「ほぼ確実に、クロウ、あんたが正解よ」
「まぁ、だろうなぁ」
「……?」
それはそう、という感じで頷くくぅさんですが、私はまたしても、何もわかりません。
そんな私を見て、黒乃さんは一つ、呼吸をしてから切り出しました。
「先に、特殊警務課の話をしましょうか」
「は、い……」
「特殊警務課っていうのは、この国で魔法的に重要な土地に置かれる部署よ。所属する全員が、警察官で魔法使いなの」
「はえ……」
「通称、特務課――特務一課、そこの男どもが所属しているのは、魔法関連の敵対生物の鎮圧、駆除を行うわ。私は二課、主に魔法関連事項の調査を担っているの」
つまり。くぅさんたちは、ああいう怪物と戦うのがお仕事――ということ、でしょうか。そして、黒乃さんは、戦う前のお手伝いをする、というような。
でも、警察というのは、大人の人がなるものです。
「あ、の……」
「はい、靄ちゃん」
私が恐る恐る手を上げると、黒乃さんは先生みたいに言いました。
なので私は、疑問に思ったことを、素直にぶつけます。
「せん、ぱい……たち、は……えと、なんで……あ、そこ、に……?」
そう。先輩たちは、一体どういう立場なのか。
何らかの方法で年齢をごまかしていない限り、先輩たちは私と同じ、高校生です。まぁ、高校には留年もありますが、それでも、高校生と警察官を一緒にやるなんて、聞いたことがありません。
私の問いかけを受けて、黒乃さんは、ちょっぴりだけ微笑みました。
「超常現象研究会……よね?」
私は頷きます。すると黒乃さんは、どこか、困ったような、そうでもないような、微妙な表情のまま、続けました。
「あそこはね、特務課……つまり警察とは、別の魔法使いの組織なの」
「あ……そ、れ……れ、きし……保存、会……?」
思い浮かんだ名称を口にすれば、今度は黒乃さんが頷きました。
「知ってたのね、靄ちゃん」
「い、いえ……さっ、き……わた、し、の、名前……歴史、保存会、に……ない、って……リン、さん……が……」
「あ〜、そういうこと。勘がいいのね、靄ちゃんは」
「そ、ん……な、こと、は……」
褒められるのは、慣れてないので、なんだか恥ずかしいです。それも、初対面の女の人に、なんて。
真っ赤になってうつむいた私に、黒乃さんは優しく笑いかけました。
「魔法的に重要な土地の警察には、特殊警務課が置かれるって話したわね」
「は、い……」
「それは、戦力としてのものもあるけど、地元の魔法組織に対する牽制でもあるのよ」
「け、ん……?」
またわからない言葉が――厳密には、意味はわかるけれど、どういうことなのかは判然としない言葉が出てきたので、首を傾げると、黒乃さんはすっと瞳を細めました。
「清藤市歴史保存会は、この土地に根ざした魔法使いの組織よ。魔法使いは時代の流れで数が減ったけど、危険がある土地、重要な土地には、それを守るために、今でも魔法使いが生きているわ。超常現象研究会も、歴史保存会に連なる活動よ」
本当に、ただ「名前を聞いたことくらいはある団体」、それに自分の所属している同好会が、魔法使いの集まりだった。話の中で薄々気付いていたけれど、改めて言葉にされると、非日常というのは案外、近くにあるのだと思い知らされます。
確かに、科学が発展する前は、薬学も天候も、神秘的なものの領分だった――と、先輩たちから聞いていました。
思えば、そういう知識を私に教えることができたのも、先輩たちが魔法というものに親しんでいた証拠でしょう。私が納得していると、黒乃さんはちょっとだけ、困ったように笑いました。
「重要な土地には、土地の数だけ土着の魔法使いの組織がある。だけど、長い時間をかけて人が一箇所に留まると、利権や対立が生まれてしまう。だから、外部の組織として、特殊警務課があるのよね」
「じゃ、あ……え、と……」
清藤市歴史保存会と、くぅさんたち警察は、対立しているのでしょうか――それは、私には、口に出すことができませんでした。
そんな私の心中を察したのか、私を黒乃さんは安心させるように、笑顔を向けます。
「基本的には、私たちは彼らと協力してるわよ。ほら、超常現象研究会の子だって、一緒にいたでしょう?」
「あ……」
「まぁ、高校生を最前線に立たせるようなことはしないわ。彼らには、戦う時に結界を張ってもらっているのよ」
結界――というのは、多分、私の見た光のドームのことでしょうか。確かに、先輩たちはあのドームの外側にいて、戦っていたのは中にいるくぅさんたちでした。
「彼らも、いずれは歴史保存会の魔法使いとして活動することになるだろうけど、極力危険の少ない場所に置くようにしているわ。だから……絶対に安全とは言えないけど、それでも……あんなことになんて、本来ならないはずだったのよ」
悔しそうに言う黒乃さんに、私ははっとしました。
たくさんの、私の知らない世界の話が出てきて、圧倒されてしまっていたけれど。せんぱいは……先輩たちは、あのあと、どうなったんでしょう。
私が青ざめたのを見て、黒乃さんは「失言した」とばかりの、少し焦ったような、気まずいような表情を見せました。そして、私が尋ねる前に、先回りして答えます。
「マコトくんとルルちゃんは無事よ。今は入院をしているけど、検査の必要があるから。傷自体は軽症で済んでいるわ」
「せん、ぱい……エノ、せんぱい、は……?」
「行方不明。異星の眷属――怪物に、さらわれた可能性が高いわ」
その返答に、私は正しく、言葉を失いました。
頭が真っ白になって、何も考えられない。
いつもぐるぐると渦巻いている思考が、すっかり止まっている。
「おい、黒乃」
「隠しておけることじゃないわよ、クロウ」
「はぁ……テメェはそういう奴だよな……」
黒乃さんと、くぅさんが、話している声が、どこか遠い。
まるで世界を膜一枚隔てたみたいな、感覚。
それを打ち破ったのは、私の手を掴む体温でした。
「おい、靄」
「あ……」
「大丈夫だ、エノは生きてる」
くぅさんの、力強い声が、私の鼓膜を震わせて、頭に入ってきます。
「魔法使いは、生きていれば魔力の有無がわかるし、辿れる。エノの嬢ちゃんは、現在地は不明だが、魔力反応は消えちゃいねぇ」
「ほん、と……?」
「ああ、本当だ」
身体に入っていた力が、一気に、抜けたような気がしました。
せんぱいは、生きてる。その事実は、私にとってはすごく大事なことで、安心で頭がぐらぐらして、ふわっと、身体が後ろに倒れます。
その、背中を、受け止められました。くぅさんの、手でした。
くぅさんは、私の上体をゆっくりと横たわらせてから、クシャクシャと頭を撫でます。
「もう少し、話、できるか?」
私は頷きました。
大丈夫。これ以上に心臓がドキドキすることなんて、多分ない。信じられないような話なら、もうたくさん聞きました。せんぱいのこと以上に、心が揺さぶられることなんて、ないはずです。
くぅさんは、一度、黒乃さんを見ました。黒乃さんが頷いて、それから、私の方に向き直ります。
「結論から言うぞ」
「は、い……」
「靄――お前の魂には、『異星の魔女』の魂が、混ざっている」
は……?
たま、しい……?
異星の魔女って、大昔の、封印するしかできなかった、すごく悪い人の……?
「お前が怪物を倒せたのは、その力があるからだ」
ああ、たしかに……?
結界が必要で、複数人で戦っていたような相手を、私が一人で「倒せた」って……。
そういう――ラスボス、みたいな力があるなら、そりゃあ、できるかも……?
ちょっと前の、これ以上驚くことなんてないと思っていた自分を、力一杯はたきたい気分です。いや、私の力ではたいたって、大して痛くもないと思うんですけど。
私が混乱していると、くぅさんは困ったように顔をしかめます。
「……悪い、驚いたか?」
「え……あ……」
「まぁ、いつかは言わねぇといけないことだからな……」
それは、まぁ、本当に、そう。
魂がどうとかは、私にはわかりません。だけど、強い力を持っていて、しかもそれが悪い人に由来しているのなら――そして、もうとっくに、その力を使ってしまっているのなら、黙っておくわけにはいかないでしょう。
なんだか、頭が痛い。
私、そんなに大層な人間じゃないのに。
お仕置きされて当然の、悪い子なのに。
ああ……だから、なのかな。
悪い子だから、悪い人の力が使えちゃうんだろうか――。
私がぐるぐると考え込んでいると、くぅさんが、私の顔を覗き込みました。
「靄、今日はもう、ここに泊まっていけ」
「は、い……」
「最後に、一つだけ、聞かせてくれ」
赤みがかった瞳が、逆光の中で光っている。
だけど、その光は、怖いものではないような……そんな気が、して。
「お前は、その力を、どう使いたい?」
考えが、まとまらない。
思考がちっとも休まってくれなくて、人と話すだけの頭の領域を食いつぶしている。
だけど、私は――今、私がどうしたいのかだけは、はっきりとわかりました。
「せん、ぱい……を……」
「ああ」
「た……すけ、たい……」
たった一人、行方不明になってしまったせんぱい。
私の、大切な人。
その人が、まだ生きているというのなら、私は、せんぱいを助けたい。
こんな私に、それができる力があるのかは、わからないけど――。
「わかった」
くぅさんが、頷きました。同時に、前髪をクシャクシャと撫でられます。
その表情は、穏やかでした。私の選択を、嬉しく思ってくれているみたいに。それがなんだか嬉しくて、安心して、私は急激に、眠気を感じ始めます。
たくさん、色々な話を聞いて、そもそも、夜も遅い時間で、今は多分、深夜です。安心したら、そりゃあ、疲れるし、眠くなるのも当然でしょう。
だんだん、まぶたが重たくなってきます。目がシパシパして、近くにあるくぅさんの顔も、ぼんやりしていました。
眼鏡が、そっと抜かれました。サイドテーブルにでも乗せたのか、カチャリと小さな音がします。
そうして、大きな手が、ポンポンと私の頭を撫でました。
「しっかり休むんだぞ」
そう、言われて。私は緩慢な動作で頷きました。
それっきり、眠りの闇の中に、私の意識は落ちていきました。
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