第7話〜Interlude:水張靄について〜

 危険人物対象A――水張靄が眠ってから、クロウ・シェイファー、榊・ゴールディ・蜜坂、西塔・リン・有葉、それに神子川黒乃の四人は、仮眠室を後にした。


 ――16年前に、異星の魔女の魂の一部が、封印から解き放たれたことが観測された。それ以来、清藤市警特殊警務課、そして清藤市歴史保存会の魔法使いは、その魂を持つ人物を探していた。


 そして、ようやく見つけたのが、水張靄である。


 ひとまず特務一課に向かえば、室内は静寂に満ちていた。特務一課の面々は、怪物――魔女の眷属とも異星の眷属とも呼ばれる、ほころびた封印から零れた残滓の捜索と討伐に出払っている。

 クロウは迷わず窓際に直行すると、ガラス窓を大きく開け放って煙草に火をつける。


「あ、こら! 署内禁煙よ!」

「これが吸わずにやってられっかよ」


 すかさず黒乃が鋭い声をかけて寄越すが、クロウがうざったそうに返せば、すぐに黙り込んだ。

 便宜上警察組織に組み込まれているが、特殊警務課は実質、治外法権だ。

 表向きには存在を明かされていない「魔法」を扱う「魔法使い」だけで構成されている上に、法律で守られたり裁いたりはしない相手に対峙する。そのため、時に殺人すら容認される――殺すより他になかった、という状況に限って、ではあるが。

 そもそもが「そういう部署」なので、所定の場所以外での喫煙を咎めるのも、今更といえば今更だ。それに、煙草を吸わずにはいられないというクロウの言い分はもっともだったし、喫煙所に移動するには、彼らの話題は不適切だった。

 勝手知ってる特殊警務一課なので、一課所属のリンがコーヒーを淹れている。榊はデスクでふんぞり返っているので、黒乃はため息をついてから、全員に聞こえる声でクロウに話しかけた。


「ねぇ、クロウ」

「なんだ」

「仕入れたてほやほやの悪いニュースと、わかりきってるいいニュース、どっちから聞きたい?」

「……悪いニュースで頼む」


 煙草の煙を吸い込み、窓の外に吐き出して、クロウは呟いた。

 白い煙が闇夜に紛れて、ゆるりと消えていく。それを見るともなく見ながら、黒乃は努めて平坦な声で言う。


「水張靄は、家庭内で酷い虐待を受けている。それ以外の場所でも、『普通の対応』をしているのは、超常現象研究会と、クロウ、あんただけよ」

「…………」


 クロウの手が窓の外に伸びて、外壁で乱雑に煙草の火をねじり消した。

 まぁ、確かに、建物の外壁なんて、汚れるものだが。それにしたって乱暴な仕草を、黒乃は咎める気になれなかった。

 クロウはどちらかといえば、所作が乱雑な方である。ただ、それは性格がやや大雑把にできているというだけで、必ずしも乱暴な性分というわけではない。

 でも、感情的な仕草になってしまうのも、当然だろうと黒乃は思った。リンも似たようなことを考えているらしく、黙ってクロウの席にコーヒーのカップを置いて、自分のデスクに戻る。

 リンから受け取ったコーヒーを味わい、声を上げたのは榊だった。


「世界に仇をなした魂は、理を制御できぬ者には嫌われる。わかりきっていたことであろう?」


 理を制御できぬ者――要するに、「魔法使いではない」人間のことだ。そして、現代では、人間の大半は魔法も知らずに生きている。


 魔法とは、星の力だ。そして、大自然や物理法則といった、目に見えるもの、科学的に立証できるものを超えたところにある、地球という星そのもののエネルギーを扱うのが魔法使いだ。

 一般的な魔法使いは、己の住む星――地球のエネルギーを使うけれど、星の力を扱うことができる以上、理論上は地球外の星の力で魔法を使うことも可能だ。そして、星に仇なす魔法使いは、往々にして異星の魔法使いとなる。


 だからこそ、異なる星の力をもって、自らに牙を剥く存在を、星は許さない。

 更に、全てのものは、星のエネルギーから生まれている。人間もまた、星から生まれたもので、魔法使いでない人間は、星に逆らうことはできなかった。

 故に、星に仇なした「異星の魔女」の魂を持つ者は、魔法使いではない人間の嫌悪を引き出す。それに振り回されないのは、星の力を扱い慣れている魔法使いだけだ。


 水張靄の境遇――家庭では虐待を受け、学校でも、それ以外の場所でも、まともな人間関係が築けないのは、彼女が「異星の魔女」の魂を持つ証拠と言えた。


「……いいニュースは?」


 クロウは二本目の煙草に火をつけながら尋ねる。

 すると黒乃は、やるせないような笑みを浮かべて呟いた。


「靄ちゃん、すごくいい子ね」

「……ああ」

「まだ特務課としての対応は協議中だけど、問答無用で殺害とはならないはずよ」


 クロウの表情は晴れず、細く煙を吐き出す横顔が、夜空と比べたらあまりに白い。

 靄とはついさっき会ったばかりの黒乃にしてみても、あまりにもわかりきったことだった。以前からそれなりの面識があったクロウにとっても、当然のことなのだろう。


 異星の魔女が、己の魂の一部が不遇にあっても手出しをしないのは、封印されていることだけが原因ではない、と見られている。

 一部であれ、開放された魂が強い力を使えば、残りの魂も引き寄せられて封印はほころぶ――そして、魂の持ち主が人間を嫌い、世界に絶望すればするほど、魔女の魂と共鳴し、強い力を発動する可能性は高まるからだ。


「……殺害には至らないにしても、何らかの措置が下りる……というのはないのか?」


 黒乃に尋ねたのはリンだ。

 特殊警務課の業務、つまりは魔法事象への対応は、時に人道に反することもある。異星の魔女の封印だって、現代の司法に照らせばまともなものではない。ともすれば、当時の慣例にさえ従っていないだろう。

 敵対している魔法使いを生かしておけないと判断されれば、殺害すら許可される。それが特殊警務課だ。異星の魔女の魂を持つ人間ともなれば、比較的穏便でも記憶の消去、なりふりを構わなければ洗脳など、何らかの魔法的な措置が施される可能性は、決して少なくない。


 黒乃だって、そのくらいは承知している。けれども一方で、そんな事態にはなりにくいだろうことが視えていた。

 目元に手をかざせば、キン、と魔法の波が立ち、黒乃の瞳が淡く光る。


「あの子の魂、びっくりするくらい綺麗よ。魔法で措置をした方が、変に刺激して危ないってくらい……ね」


 魔眼。

 黒乃の瞳には、ただ魔力を通すだけで発動する、魔法の力が生まれつき備わっている。どのような効果を持つのかは、種類によってそれぞれだ。そして、黒乃の魔眼は、「物事の本質を見抜く」ものである。


「『せんぱい』を助けたいっていうのも、勿論、本音だったわ。多分、性根が素直なんでしょうね。良くも悪くも、自分に降り掛かった物事を、そのまま受け入れちゃうのかも」

「……気に入らねぇ」


 ぼそり、と、クロウが呟いた。その声は、室内の蛍光灯だけが照らす夜闇の中に、冷たく響く。

 誰も、何も、言い返せなかった。気の置けない仲の榊さえ、茶化しもせずに黙っている。クロウは、この中で唯一、魔法を発露する前の靄とそれなりの仲なのだ。

 そして、靄が異星の魔女の魂を持っている可能性を、特殊警務課の中で真っ先に感知した人物でもある。


 元より、清藤市歴史保存会に連なる組織である超常現象研究会は、ある意味で靄の身柄を確保していた。

 超常現象研究会は同好会活動として、清藤市の魔法使いの中で、情報収集の一部を担っている。


 そもそも、清藤市に不思議な話や妖怪の物語が多いのは、異星の魔女と災厄の神が封じられた土地だからだ。封印が機能していても、そこから漏れ出したモノが、人に見られて妖怪や怪異として語り継がれていた。

 それらの情報と、若者たちの中で語られる最新の話を突き合わせ、魔女の眷属か否かを判別するのが、超常現象研究会の真の目的だ。代々の会員は全て魔法使いで、今現在所属している学生も例外ではない。


 しかし、水張靄は魔法使いの一族でもないのに、四人目の会員として所属していた。それは、超常現象研究会の一員であり、歴史保存会の重鎮、御三家の一角でもある「世羅川家」のエノが見出したからだ。

 異星の魔女の魂を持つ子供の、候補として。

 それに遅れることしばらく、特殊警務課で最初に、靄を「発見」したのがクロウだった。


「……まぁ、歴史保存会よりも先に保護できたのはよかったんじゃない?」

「ああ」

「奴らの動向はどうなっているのだ、黒乃?」

「今のところは不明よ。マコトくんもルルちゃんも病院送りだから、多分連絡は行ってないと思うけど」


 黒乃が気遣わしく声をかけても、クロウの返事に普段のキレはなかった。そして、榊の問いに、黒乃は肩を竦める。


 一口に魔法使いの組織といっても、警察機関と地域の魔法使い集団では、大きく異なる。

 地域の魔法使い集団――清藤市における歴史保存会は、永くその地にあるだけ、血縁や地縁も濃ければ、思想にもそれらが大きく関わってくる。だから異星の魔女の処遇を巡っては、歴史保存会の中でさえ、一枚岩ではなかった。

 特殊警務課のような、警察の外部組織が重要地に置かれるのは、そういう事情もある。万一、地域の魔法使い集団が過激な思想を有していた時に、歯止めとなるためだ。

 勿論、歴史保存会が先に靄の身柄を保護したとして、必ずしも酷い目に遭うわけではない。けれども、少なくとも敵対の意思がないのであれば、純粋な保護を行うことが決まっている特殊警務課の方が、安全なことは事実だった。


「エノちゃんは、『世羅川』だからねぇ……」

「世羅川は確か、御三家の中でも、最も思想が過激なんだったか?」

「少なくとも、上の世代はね。エノちゃんはどうかわからないけど……靄ちゃんにとっていい先輩だったのは事実みたいだし」

「そのようなもの、何の参考にもなるまいよ。古狸どもは揃って腹芸ばかり上達しておるからな」


 黒乃にリン、榊の会話を横目に聞いていたクロウが、二本目の煙草を消した。吸い殻は携帯灰皿に捨てて、窓を閉める。

 そして、他の三人をぐるりと見回した。


「靄は、どうする?」

「一旦は自宅に戻すことになるわね。このままだと、私たちが誘拐犯になっちゃうわ」

「はっ、笑えねぇな」


 吐き捨てるように笑うクロウに、黒乃は肩を竦めて、榊は楽しげに目を細めた。

 靄に肩入れする気持ちは、わからないでもない。黒乃はそういう観点、すなわち「大人は子供を守るべき」という点では比較的まともな感性を持っている自負があった。

 一方で、クロウがこうも感情的なところを見せるのは、珍しくもある。黒乃に関しては、単にそういう一面を見るほど親しい付き合いをしているわけではないというのもあるが、同じ一課で付き合いの長い榊が笑っているのだから、やはり珍しいのだろう。

 クロウはジロリと榊を睨みつけた。


「朝になったら、俺が送っていく」

「どういう風の吹き回しだ?」

「……あいつ、虐待受けてるんだろ。朝帰りでまともな対応をされるとは思えねぇ」

「まぁ、一般的に考えても、深夜の外出と無断外泊は叱られるわよね」


 クツクツと笑う榊を横目に、黒乃は言外に、「靄の場合は、本当に何をされるかわかったものではない」と滲ませる。


「あの子の家庭環境、児童相談所が介入していないのが不思議なくらいよ」

「どうせ介入したところで、魔法使いでもなければ、あの娘の味方にはならんだろう?」

「それはそうなんだけどね……」


 異星の魔女の魂は、地球という星の敵だ。

 ただ「そこにいる」だけで、人々の嫌悪を薄っすらと掻き立てる。

 それ故に、クロウの懸念は正しく、また、黒乃としても、クロウが立ち会ってくれるのであれば、言うことはない。

 ため息をついた黒乃に、リンがふと、呟いた。


「そういえば、黒乃。どうやってこの短時間で、そこまでの情報を集めたんだ?」


 この短時間――靄が現場で魔法を発動し、気絶した彼女の身柄を取り押さえ、署に戻ってから、靄のいる仮眠室を訪れるまで、一時間近く。まぁ、もっともな疑問に、黒乃はなんてことないように答えた。


「生活安全課で、にゃあさまにね」

「マジかよ」

「代償はなんだ?」


 クロウが顔をしかめて、榊も嫌そうにぼやく。


 清藤市警察の生活安全課には、どんな情報であっても瞬時に調べ上げるピクシーがいる――それは、特殊警務課の常識だった。

 いつから警察にいるのかわからないし、何故警察官になれたのかも不明。その上、少年少女の補導と夜回りにしか興味がなく、居場所のない子供を自宅で保護しているらしい。

 何もかもわからない在り方もまた、魔法的なものであるのだが――いずれにせよ、とんでもない情報通であるので、署内では特殊警務課以外でも恐れられる存在だ。


 彼女に情報を求めるのなら、何らかの情報を対価として教えなければならない――榊が嫌そうな表情をしたのは、そのせいだ。

 なーさまと呼ばれる彼女は、求める情報の種類は問わない。彼女にとっての価値は唯一、「知る者が少ないこと」だけ。おかげで、大半の署員の弱みを握っているなんて噂もあるくらいだ。


 黒乃はそんな榊とクロウの反応に、いたずらっぽい表情を浮かべて笑った。


「誰かさんたちが、この間の討伐任務で大失態を晒した話よ」


 二人は膝から崩れ落ちて、今度はリンが、困ったようにため息をついたのだった。

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