第2話〜その日、超常現象研究会のせんぱいと、くぅさんのこと〜

 腰まで長く伸びた黒髪は、美容院なんて行くだけの余裕がないから。

 眼鏡は中学校の頃に作ったもので、もう度が合っていないのか、遠くが見えづらい。

 年中長袖の制服とタイツ、校則遵守のスカート丈は、身体中にある傷跡を、見せたくないから。

 私――水張靄の格好は、自分で選んだものじゃなくて、そうある必要性でできていました。見た目だけ、では、ないとは思うけれど。


 水張家は、清藤市というところの、住宅街の中にある、小さな一軒家です。三階建てのおうちで、私の部屋は一番上の階にあります。


 朝。

 スマホの小さなアラームの音で、私はゆっくりとまばたきをしました。もっと大柄だったら、冬眠明けのクマみたいに見えるだろうな、ってくらいにのっそりとした動きで、ベッドを下りて、制服のブレザーに着替えます。

 私は生来どんくさいのと、身体のあちこちがいつも痛いのとで、ゆっくりとしか動けません。


 お母さんに怒られて、お仕置きをされて、あざができたり火傷をしたりするのは、毎日のことでした。お父さんは、出張とか、単身赴任とか、お仕事が忙しいので、あまり家に帰ってきませんでした。たまに帰ってきても、平日は私が起きるより前に家を出てしまうので、あんまり顔を合わせないのです。

 家にいたところで、お父さんはお母さんを止めたりはしません。本当に痛いお仕置きは、お父さんがいる時にはされないけど、ぶたれるくらいは、当然でした。

 私はどんくさくて、頭も要領も悪くて、ちょっとしたこともできない悪い子なので、お仕置きをされるのは当然です。

 お母さんはいつも、私にどうしたらいい子になれるかを教えてくれます。例えばテストでいい点を取ることだったり、お手伝いをちゃんとすることだったり、小学校の頃は、かけっこで一番になることだったりもしました。

 でも、私は、何一つちゃんとできない悪い子だから。お仕置きされるのは、私にとっては当たり前のことでした。




 家を出て、学校に行くと、ちょっとだけほっとします。学校では、痛いお仕置きをされることがないから。

 でも、授業で当てられるのは、あまり好きじゃありません。


「じゃあ、次の訳を、水張」

「あ……え、と……」


 英語の時間。先生が私のことを呼びます。私は急いで立ち上がって、だけど、言葉がなかなか、出てこないのです。

 人より喋り出すのが遅い自覚は、私にもありました。前の日になんとか予習をして、ノートにはちゃんと、自分なりの日本語訳が書いてあります。ただ、それを読み上げるだけなのに、私の舌はうまく動いてくれない。

 考えていることを言葉にまとめるのは、元々あんまり、上手な方ではありません。家でも殆ど喋らなくて、私なんかの話を聞いてくれる人はそれほどいないので、「ええと」さえも、まともに言えないのでした。

 私が「あ」とか「う」とか言いながら、舌を動かそうと必死になっていると、先生がため息をつきました。


「もういい、座れ」

「は、い……」

「みんな、水張みたいになるんじゃないぞ」


 先生の言葉に、クラスのあちこちから、ぽつぽつと笑い声が漏れました。私はそんな中、みじめなような、少しほっとしたような気持ちで、腰を下ろします。

 クラスメイトにも先生にも笑われて、確かに今の私は、みじめかもしれない。それでも、小学生の頃に、答えが言えるまで立たされたことに比べれば、ずうっとマシでした。その時の私は、緊張でますます声が出なくなってしまって、なんでもいいから何か言わなくちゃと思えば思うほど舌が固まって、「あ……」とか「う……」とか言いながら、数十分も立っていたので。

 当然、授業は進みません。私のせいで授業が遅れてしまったから、先生に怒られて、クラスメイトにもいじめられて……それと比べたら、笑われるくらい、どうってことないのです。

 そのくらいのお仕置きは、仕方ないから。




 勉強もできない、運動もできない、喋ることさえままならない、悪い子の私。痛くないお仕置きを我慢して、放課後、私は部室棟に向かいます。

 傾いた日差しに照らされた景色はキラキラしていて、足取りが軽い。だって、私がこれから向かうのは、せんぱいたちのいる部室なのですから。


 超常現象研究会――それが、私の所属する部活です。

 正式に言えば、部活じゃなくて研究会。所属人数は四人、この春の新入部員は私一人。殆ど廃部寸前と言っていいくらいなのに、やたらと歴史が長く、部室棟の一角に陣取っている、不思議な会でした。


 部室棟はOBさんの寄付で建て増ししたものだそうで、校舎から直接繋がる通路はありません。一度、上履きを履き替えて外に出て、学校の敷地内を少し歩いたところにある、ツタの絡まった古い建物でした。

 軽音楽部が廊下でギターを弾いているのを横目に、私はローファーを脱ぎました。下駄箱があるわけでもないし、わざわざ内履きを持ってくる人も珍しいので、あまり広くない建物の、玄関に当たるところには、外履きの靴が散らばっています。

 部室棟には、一つ一つは小さな部屋が、たくさんあります。物置みたいに使っていて、普段の活動は別のところでやっている部もあれば、軽音楽部みたいに廊下まではみ出ている部もあるし、重要な機材だけを置いている部もあるし、ちんまりと室内に収まっている部だって、勿論あります。

 私たち超常現象研究会は、ちんまりと室内に収まっている部類でした。二階建ての部室棟の、階段を上がって一番奥。私はその扉を軽くノックしてから、開きます。


 窓から大きな木が覗く、日当たりの悪い部屋。まだ日が沈むには早いのに、薄暗い室内には、蛍光灯の明かりが灯っています。

 窓と扉のある面を除いた左右の壁には、天井まで届きそうな本棚がみっちりと向かい合っていて、中央に長机が二本、本棚と平行になるように置かれている。パイプ椅子が長机一本につき二脚ずつ、本棚と椅子の間を、人ひとりがどうにか通れるくらいの隙間を空けて、鎮座している。

 これが、超常現象研究会の部室でした。同好会扱いなので、厳密には「部」室ではないけれども、建物の通称がそもそも「部室棟」なので、ここに部屋を持っていれば、同好会でもなんでも、「部室」と呼んでいるのです。


「やっほ〜靄ちゃん! 元気?」


 私が部室に入ると、真っ先に声をかけてくれたのは、一番ドアに近い椅子に腰掛けていた、家入ルル先輩でした。

 薄く緑がかったように見える外ハネのボブヘアーに、首元から三つ外したボタンから覗く喉元、白い鎖骨、短いスカート。どちらかと言えば派手めな制服の着こなしや、うっすらとしてあるメイクは、まぁ、はっきりと言ってしまえば、弱小同好会には似合わないタイプです。

 だけど、外見からもわかるくらいに快活な性格で、私なんかともたくさんお喋りをしてくれるし、どんくさい私の世話を焼いてくれる、優しい人です。


「はよっす」


 ルル先輩の隣、窓際の席から、短く挨拶をしてくれたのは、宇都マコト先輩です。

 首元のボタンが一つ開いていて、ネクタイは緩め。模範的とまではいかなくても、よくある制服の着崩し方なのとは一転、髪は海みたいな深い青色に染めてあって、ちらりと覗く耳には、ピアスがたくさんついています。うちの学校は、割と自由な校風ですが、多分ピアスは校則違反なんじゃないかな、と思います。

 マコト先輩は言葉が少ないし、いつも少し怒っているみたいな表情をしているので怖く見えますが、やっぱり根はいい人です。みんなでお喋りをしている時に、話が脱線したら、本筋に戻してくれるのはいつも、マコト先輩でした。


「マコト! あんたね、ちょっとくらい愛想よくしなさいよ!」

「うざ……」

「あ〜もう! そんなんだからね、先生に目ぇつけられるの!」


 ルル先輩とマコト先輩の喧嘩が始まりました。先輩たちは、よく喧嘩をしています。とは言っても、女子と男子だからでしょうか、殴ったり蹴ったりはしません。ルル先輩がマコト先輩に怒って、マコト先輩がまともに取り合わないからもっと怒って、の繰り返し。

 最初は、ちょっと怖かったです。でも、今では、なんだかんだで仲が良いから、こういうことを言えるんだろうな、と思っています。本当にギスギスしているところは見たことがなかったし、怒るっていうのも、雑な返事をするのも、そのくらいでは嫌いにならないと思っていなければ、できないことなので。

 それに。


「もう、二人とも。靄ちゃんの前で喧嘩しちゃ駄目だよ」


 せんぱい――世羅川エノせんぱいが、優しく二人を諭します。

 ふわふわした柔らかい、明るい茶色のセミロングヘア。大きな目はちょっぴり細められて、困ったように少しだけ下がった眉。声も困っているようで、でも、ほんのりと笑うような響きがある。

 この人が、私の「せんぱい」。一番、大好きな女の子です。

 高校に入ったばかりで、ひとりぼっちだった私を、超常現象研究会に誘ってくれたのが、せんぱいでした。優しくって、いつもにこにこ笑ってくれるせんぱいのことを大好きになるのに、長い時間はいりませんでした。


「でもさぁエノ〜!」

「まぁ、ルルの言いたいこともわかるよ。でも、マコトは最初からこんな感じでしょ」

「う〜〜〜、まぁそうか……今更っちゃ今更だもんね〜」


 せんぱいと、ルル先輩の会話を聞きながら、私は空いているパイプ椅子――ルル先輩の前で、せんぱいの隣に、腰掛けます。

 あまり広い部屋ではないので、ほんのすぐそこにせんぱいがいる。それだけで、私の心臓はドキドキと跳ね回ります。少しだけ、後ろめたいような気持ちと一緒に。

 私が通学カバンを置くと、せんぱいはルル先輩との話を切り上げて、ふわっとした声で言いました。


「それじゃあ、始めよっか。マコト、持ってきてくれた?」

「ん。俺の通ってた小学校の七不思議まとめ」

「うん、ありがと。綺麗にまとまってそうだね」

「あんた本当、仕事だけはちゃんとするのね……」


 マコト先輩がカバンから資料を出して、向かいのせんぱいと、隣のルル先輩に渡しました。私は斜め向かいの席で、少し距離があるので、せんぱいの手には私の分も一緒です。

 ルル先輩が呆れ半分、感心半分でぼやきながら資料をめくると、せんぱいが私に資料を手渡してくれます。


「はい、靄ちゃんの分」

「あ……」


 私は思わず、喉が詰まったみたいな声を出しました。受け取る時に、ちょっとだけ触れた手があったかくって、柔らかくって、「ありがとうございます」さえまともに言えなくなります。

 それでもどうにか、ぺこりと頭を下げれば、せんぱいはニコッと笑ってくれました。私は嬉しくて、天にものぼるような心地でした。


「じゃ、まずは目を通していこうね」


 せんぱいの声に、みんなが頷きました。しばらくの間、下の階から聞こえる軽音楽部の演奏だけが、小さく聞こえる仄かな静寂が訪れます。


 私たち、超常現象研究会は、その名の通り超常現象を研究する会です。

 でも、取り上げる内容は、一般的な超常現象研究会とは、少し違います。他の学校にもこういう部活動があるのかはわからないけれど、確かに、テレビやネットで目にする、いわゆる「超常現象」、UFOとかUMAみたいなものは、殆ど扱いません。

 じゃあ何を研究するのかといえば、私たちの住んでいる清藤市にある、色々な伝承や、口づてに伝わる都市伝説みたいなものを、総合的に扱っています。


 マコト先輩の資料は、A4の用紙に2枚くらいの、短いものでした。全員が読み終わった頃合いで、せんぱいがそれをテーブルに置きます。


「さて――清藤市に伝わる昔話や逸話には、色々な妖怪や怪異が出てくるし、今でもローカルな噂や都市伝説が絶えない。それを考察するのが、私たち清藤高校超常現象研究会だね」

「この研究会も、なんだかんだで昔っから続いてるけど……よくもまぁ、ネタ切れしないものよね〜」

「うん。マコトの持ってきてくれた七不思議も、多分一度は上がってると思うんだけど……」

「最近だと、六つ目が違うらしい……っていうか、俺が小学校の時から変わってる」


 せんぱいたちの話を聞きながら、私はもう一度、資料に視線を落とします。

 清藤市立南町小学校七不思議の六つ目――グラウンドの人食い影。夜にグラウンドを横切ると、自分の影に食べられてしまう。

 確かにそんなことが本当にあったら怖いけれど、夜のグラウンドで、自分の影ってできるんでしょうか。夜の学校は暗いし、街灯の明かりは、端っこの方にしか届かない気がする……。

 そんなことを考えていると、せんぱいがルル先輩を見ました。


「ルル、確かそっちの方に、七不思議関連の資料があったから、探してみて。マコトもお願い」

「りょ〜かい」

「ん」

「靄ちゃんは、パソコン出してもらっていいかな?」

「っあ……」


 せんぱいに名前を呼ばれて、私の心臓はドキン、と大きく鳴りました。なかなか言葉が出てこなくって、口をぱくぱくさせてしまいます。

 そんな私を、せんぱいは優しく見守ってくれました。なので、私は頷きながら、ゆっくりと口を開きます。


「は、い……」


 ああ、言えた――安心で、心がいっぱいになります。

 せんぱいは――ううん、先輩だけじゃなくて、超常現象研究会の先輩たちは、私が言葉を口にできるまで、ゆっくり待ってくれます。そんな風にしてくれたのは、せんぱいが、先輩たちが初めてで、だから私は、そうしてもらえるたびに、嬉しくなるのです。


「よろしくね、靄ちゃん」

「は、い……!」


 返事をすると、私は本棚の中、本に混じって立てかけてあるノートパソコンを取ってきて、コンセントを繋ぐと、電源を入れました。相当古い型で、起動には時間がかかります。

 超常現象研究会では、資料は全部、パソコンでリストアップしてあります。本棚も、例えば七不思議だとか、昔話だとか、何年頃の都市伝説だとか、きちんと仕分けがしてあります。だけど、なにしろたくさんの資料があるので、網羅的に調べようとするなら、パソコンの方がずっと便利です。

 というわけで、何年か前のOBの先輩が、パソコンを導入して、目録を作ってくれました。資料の名前と大体の年代、資料の分類、それに一番大事な「どんな妖怪や、不思議な出来事が出てくるか」を一覧にして、検索をかけられるようになっています。

 このパソコンも、当時の会員がOBの先輩に買ってもらったそうです。同好会扱いだし、そんなに予算をもらっているわけでもないみたいなんですが、超常現象研究会は不思議と、OBからの援助が多いのです。

 まぁ、でも、特別に潤沢というわけでもないので、パソコンそのものは古いです。ようやく立ち上がったのを確認した私は、目録を作っているソフトが遅々として開かないのを待ちながら、せんぱいに声をかけます。


「せん、ぱい……」

「なぁに、靄ちゃん?」

「え、と……な、に……しらべ、ます、か?」

「そうだね……影とか、人が食べられるとか、そういう伝承の方を見てもらってもいい?」

「は、い……」


 ようやく開いたソフトで、私は検索を始めます。

 せんぱいが言ってくれたキーワードから、「影」と「食」……あとは人が食べられるということは、消えるということでもあるので、「消」なんかも代わる代わる入れてみます。例えば今回の件なら、「影が人を食べる」とも「影に人が食べられる」とも書けるので、検索する時には、あんまり膨大な量が引っかかるわけでもないなら、最初は漢字で短く入力するようにしています。

 結果、まぁまぁの数が引っかかりました。自分の住んでいるところながら、ちょっと怖いです。まぁ、半分古文書みたいなもののコピーとか、ちょっとした都市伝説っぽいもの、それに代々の会員さんが調査したものまで、長年収集している同好会なので、そもそもの量が多いというのもあるでしょう。

 私は検索で出てきた内容にざっと目を通して、新しい七不思議に近そうなものを、幾つかメモしました。


「あ、の……」

「靄ちゃん。何かそれっぽいの、あった?」

「えと……これ……」

「ふんふん……ああ、蘭童文書かぁ。マコト、蘭童文書の13番、お願いしていい?」

「はいよ」

「南町小の歴代七不思議、全部出したわよ〜!」

「ありがとね、ルル。じゃあ私たちで先に読んじゃおっか」


 大体、こんな風にして、同好会活動の時間は過ぎていきます。

 不思議な物事を扱うので、超常現象研究会。だけど実際にやっていることは、代々コツコツと貯めてきた資料を地道に調べるので、清藤市にはそういう言い伝えが多いのもあって、なんだか地域研究みたいです。


「まぁ実際ね、うちが同好会なのに部室もらってたりとか、割と優遇されてるのは、新聞部とか放送部に貢献してるからなんだよ」

「そうそう。文化部にも大会があるんだけど、やっぱり地域のネタって評価高いらしいのよ!」

「ま、ここから出ていけって言われても困るけどな」

「同感。この資料どうすればいいのって話!」


 私が頑張って、ぽそぽそと喋ると、先輩たちは、資料を読んだり探したりしながら、答えてくれました。


「そういうわけでね、靄ちゃん。うちの文化部が大会でいい成績を残す手伝いができるから、超常現象研究会は同好会だけど、ちょっといい待遇なんだよ」

「名を馳せさせるの好きなんだよ、お上ってやつは……」

「ほへ……」


 ニコニコしているせんぱいに対して、マコト先輩はぎゅっと眉をひそめていました。私はそういう、駆け引きみたいなもの、有名になるとかならないとか、勝つとか負けるとか、あまり考えたことがないので、ぼんやりした相槌を打つのが精一杯です。何なら、入学してからずっと向き合っている超常現象よりも複雑怪奇でした。

 そんな私に、ルル先輩が言います。


「あとはアレよね、基本的にうちらは人数が少ないっていうか、ほそぼそと続いてる割に、会員が三人以上いることって滅多にないのよね!」

「あ……そ、なん……です、か……?」

「ああ、部活への昇格条件には、五人以上の会員がいることが条件だからな、歴代の超常現象研究会は、そもそも満たしたことがない」

「うん。今年靄ちゃんが入ってくれたのが奇跡みたいなものなんだよ」


 せんぱいから優しく言われて、私は耳まで真っ赤になりました。

 変な同好会だな、とは、こういう話を聞くたびに思います。だって、そもそも超常現象研究会は、新入生への勧誘を、あまり積極的にしていなかった……と、私は記憶しています。

 私は、たまたませんぱいから、声をかけてもらっただけ。見学に来た時には、すごく歓迎してもらいましたが、その時は三人とも、私と一緒に部室にいました。勧誘期間の間、ずうっと。

 別に、誰も入らなくても困らなかったのかな。予算は少なくても、必要なものはOBの人からの支援があるみたいだし。だけど、私一人にだけ特別に声をかけて、それでおしまいにしちゃうものなんでしょうか。


 そういうことは、思うんですけど。


 私はもう、せんぱいが私の入会を「奇跡」と言ってくれたこと、向けられる優しい微笑みに、ドキドキしっぱなしでした。こんなに優しくしてくれる人がいていいんだろうか……。

 いえ、超常現象研究会の先輩たちは、みんな、優しいです。明るくて元気なルル先輩だけじゃなくて、ちょっと怖くて、無愛想に見えるマコト先輩だって、私の言葉が出るまで待ってくれるし、私は安心して、お喋りを始めることができます。

 だけど、せんぱいは、なんだか特別で――私はこの女の子が大好きなんだ、と思うくらい、ちょっとのことで胸が高鳴って、細かいことはどうでもよくなってしまうのでした。


 先輩たちがあれこれお喋りをして、たまに私が相槌を打ったり、質問をしたりしながら、資料を広げては突き合わせて、今回の議題――南町小学校の新しい七不思議に似ているお話を探し、考察していると、下校時刻のチャイムが、少し遠くで鳴りました。部室棟は校舎とは完全な別棟になっているので、スピーカーはないのですが、校舎やグラウンドに流れる放送やチャイムは、お喋りをしていても聞こえるのです。

 せんぱいがまず、顔を上げて、手にした資料の一片を、トントン、と長机に落として揃えました。


「今日はここでお開きだね」

「あ、は、い……」

「コピーの方はこっちにまとめるわよ。マコト、七不思議のやつお願い!」

「るせ、もうやってる」


 広げる、を通り越して、あっちにこっちにやり取りしていた資料を、先輩たちはテキパキとまとめていきます。明日もまた、続きから話していくので、本棚には仕舞いませんが、次に見た時にグチャグチャになっていないように。

 私も、みんなで書き出したメモに手を伸ばします。保管用の大学ノートに清書する前に、考察を好き好きに書いたコピー用紙。派手そうな見た目に反して綺麗に整った、ルル先輩の字。大雑把に跳ねているけど、不思議と見づらくはないマコト先輩の字。なんだかどうにも弱々しいような私の字に、せんぱいの、ちょっと丸っこくて可愛い字。

 見ていると、なんとなく胸の中があったかくなって、だけどいつまでもぼんやりなんてしていられないので、私もせんぱいの真似をして、集めたメモを、長机にトントン、としました。


「うん、こんなものかな」


 ふわっとしたせんぱいの声。窓から差し込む日差しは、すっかり傾いていて、きっと外に出たら、西日が眩しいのだろうな、と思わせます。

 長机の上が片付いたら、荷物をまとめて、帰る支度をします。部室の鍵はせんぱいがかけて、四人でぺたぺた、部室棟の薄明るい廊下を歩きました。


「明日は考察の続きってことで、よろしくね」

「はっ……はい……!」


 勢い込んでブンブンと頭を縦に振れば、せんぱいは私を優しく見て、ポンポンと頭を撫でてくれました。

 うれしい。ドキドキする。心があったかくて、このままフワフワ、空を飛べそう。


「ほら、靄ちゃん。帰るよ〜?」


 ぽ〜っとして足が止まった私の背中を、せんぱいが押します。なので私は、やっぱりぽ〜っとしてしまって、でもせんぱいが背中を押してくれるので、ゆっくりゆっくり歩きました。

 ルル先輩も、マコト先輩も、とろとろした私の歩みに合わせてくれます。

 ちょっとツンとするにおいと一緒に出てきた、写真部の生徒。廊下の隅っこでケーブルを片付けている、軽音楽部の生徒。下校の準備をしたり、部室棟の外に向かう生徒と一緒に、私たちも外に出ました。

 初秋の西日が、強く照っていました。まだ涼しさは遠くて、私はなんとなく、太陽の方を眺めます。

 気温は高くても、秋は秋。この太陽は、あっという間に落ちてしまうんでしょう。そうしたら、夜がやってきます。

 名残惜しい、昼の時間。校門までは何十歩もかからなくて、私と先輩たちは、すぐにお別れの場所に着きました。


「じゃあね、靄!」

「は、い……また、あし、た……」


 元気に声をかけてくれるルル先輩に、黙って小さく手を振るマコト先輩。私のたどたどしい言葉に、先輩たちは笑顔になりました。

 そうして、せんぱいが、優しい声で言います。


「靄ちゃん、気を付けて帰るんだよ」


 こくん、と私が頷けば、先輩たちは手を振って歩き出します。三人一緒に、私が行くのとは逆方向へ。

 放課後は、いつもそう。時々、一緒に駅前のファーストフードなんかに行くこともあるけれど、お別れする時は、私一人と、先輩たち三人で、分かれます。


 それがなんだか、変なことだと、私は知っている。


 マコト先輩の通っていた、南町小学校は、学区は違うけれど、私の家から比較的、近いところにあります。もしかしたら引っ越しをしたのかもしれないけど、そうでなければ、私とマコト先輩の帰る方向が違うのは、おかしい。

 それに、どうしてかいつも、せんぱいは私に「気を付けて帰るんだよ」と言います。別れの時のお決まりの台詞と言ってしまえばそれまでですが、なんだか、それだけではない気がするのです。


 多分、せんぱいたちは、私と別れてから、「何か」をしている。

 そして、その「何か」に、私を巻き込まないようにしている。


 そういうことを考えているのですが、私は正面を切って、何をしているのかを聞けずにいました。先輩たちはお互いに最低でも一年の付き合いがありますが、私は今年の春からの新参者です。そんな先輩たちが共有しているらしいところに、私も踏み入っていいのか、よくわかりませんでした。

 それに、先輩たちが私に内緒で「何か」をしていたとして、私を遠ざけるのにも、理由はあるのでしょう。毎回、せんぱいが「気を付けて帰るんだよ」と言ってくれるからには、もしかしたら危ないことで、私に危ない目に遭ってほしくないのかもしれません。

 まぁ、そもそも。先輩たちが私の知らないところで「何か」をしているのかもしれない――というの自体、私の憶測に過ぎません。ただただ、三人一緒に寄り道をしているだけかも。その仲間に入れてもらえないのは、ちょっと寂しいですが、仕方のないことでもあります。


 こころなしか、いつもよりとトボトボとした足取りで歩いていけば、そのうち、駅前にたどり着いていました。清藤高校は比較的、駅が近いところにあって、私の帰り道は、大体この駅――清藤駅を通るのです。

 清藤市はそれなりの都市圏にありますが、市内自体はものすごく栄えている……というわけではありません。それでも、駅前には繁華街のようなものはあって、学生や定時上がりの社会人を中心に、まぁまぁの人出があります。

 特筆するほど治安が悪いわけではないけれど、まぁ、高校生から見たらいかがわしいようなお店や、学生のちょっとしたたまり場みたいなものが、ないでもない。勿論、駅ビルだとか、普通に遊んだり、買い物をしたりする場所もある。清藤駅前は、そういう場所でした。


 夕日はすっかり落ちて、正真正銘の夜が来ていました。私はどこに行くでもなく、フラフラと駅前を歩きます。

 門限までは、まだ時間がある。学校にはもう戻れないし、ギリギリまでフラフラ歩き回るのは、私の日課みたいなものでした。なんとなく、家には帰りたくないから――それに、もしかしたら、先輩たちに会えるかもしれない。そういう気持ちで、あちこち歩き回っていた私は、今ではキョロキョロと辺りを見回します。


 駅前には、喫煙所が幾つかありました。そこを通りがかるたびに、私はつい、ちらりと中を覗きます。先輩たちが、そんなところにいるわけがないのに。

 当然、喫煙所にいるのは大人ばかりです。この時間だとスーツ姿の人が多くて、大学生っぽい私服の人だって、私の目から見たら、すごく大人っぽい。別に、先輩たちが子供っぽいわけではないし、私服だったら紛れられるかもしれないけれど、制服姿で、まさかこんなところに入るわけにはいきません。悪目立ちしすぎます。

 繁華街の路地裏とかだったら、もしかしたら、制服で煙草を吸っている人もいるかもしれないけど……どっちにしても、せんぱいを探すのなら、見たって仕方がない場所に、私の視線は吸い寄せられてしまう。

 小さくため息をつくと、不意に、ポン、と肩を叩かれました。


「よっ、不良娘」

「ッ……!!!」

「悪い悪い、驚かせちまったか?」


 私がびっくりして、飛び上がらんばかりに喉奥で悲鳴を上げると、気さくに声をかけてきたその人は、あんまり悪気もなさそうに笑いました。私はなんだかほっとして、空を仰ぐみたいに首を上げます。ほんのりと、煙草の残り香が香りました。

 こんな風に、私に声をかけてくる大人は、一人だけ。それが、クロウ・シェイファーさん――くぅさん、と呼んでいる、大人の男の人です。

 薄青のかかった髪に、赤みの強い瞳。綺麗だけど、整っているというよりは、肉食の獣みたいな顔立ち。日本人離れした見た目と名前の通り、生まれ育ちは外国の人です。派手なシャツにジーンズのラフな私服は、会社帰りのサラリーマンに紛れると目立つけど、まぁ、繁華街にはすんなり馴染めます。

 一言で言うなら、テレビや漫画のイメージなりに、「その筋」の人っぽい。だけど、そうは見えないのに、警察の人でもありました。いわゆる、私服警官さん。

 なかなか言葉が出てこなくって、私がぱく、ぱく、と唇を開いたり閉じたりしていると、くぅさんは私の頭をわしわしと撫でました。


「んみゅ」

「はっはっは、悪い悪い」


 思わず出た、変な声。ちょっと恥ずかしくて、なんだか胸がドキドキします。そんな私をこねくり回すみたいに撫でながら、くぅさんは笑っていました。あんまり悪いとは思っていない、気がする。でも、私はそれでも構いませんでした。

 撫でられること自体は、嫌ではありません。そもそも、未成年の私を、くぅさんが遠慮なく撫でるようになったのは、私が全然嫌がらなかったからなので。最初は「つい、うっかり」撫でてしまったようで、謝られたんですが――まぁ、確かに、未成年の女の子に、成人男性が無遠慮に触るのは、よくないことでしょう。でも、最初は本当に、うっかりだったみたいだし、今では知らない仲でもないので、私の言葉が出てくるまで、撫でながら待たれるのは、もう「いつものこと」になっていました。


 ――私がくぅさんと初めて出会ったのは、やっぱりこうして、街中をフラフラしている時でした。その日はやっぱり先輩たちを探して、繁華街の、奥の方まで足を伸ばしたのです。

 結果として、私は見回りの警察の人に補導をされてしまいました。今にして思えば、当然です。制服で、いわゆる「水商売」のお店がある辺りをうろついていたら、そりゃあ、警察の人は声をかけるでしょう。

 厳密に「補導」と言える行為なのかは、ちょっとわかりません。でも、「ここで何をしているの?」と聞かれた時点で、私はやっぱり、すぐに言葉を出せませんでした。

 でたらめでもいいから、「迷ってしまって」とか、あるいは正直に「人を探していて」とか、言えたら多分、よかったんでしょう。だけど、何も言わない私に、警察の人のまとう空気が、どんどん鋭くなっていきました。

 そうなってしまうと、私は緊張して、ますます声が出せないという悪循環。とうとう連れて行かれそうになる――というところで、声をかけてくれたのが、くぅさんでした。


 それ以来、私たちは時々、放課後の駅前で出くわすようになりました。

 会う、と言うには、約束もない。たまたま、くぅさんの巡回と、私の徘徊が重なった時だけ、ちょっぴり挨拶をして、お喋りする。それだけと言えば、それだけの関係。

 ただ、私は。それをすごく、楽しみにしてしまっている。もはや、先輩たちを探しているのか、くぅさんを探しているのか、わからないくらいに。


 私が言葉を出せずにいると、くぅさんは私の正面に回りました。そうして、赤みがかった目で、私を見下ろします。


「また超常現象研究会探しか?」

「…………」


 なんて答えていいかわからずに、私はかすかに顎を引きました。

 確かに、先輩たちを探しています。でも、くぅさんに会えただけで、私はすごく嬉しくなっている。この気持ちを、どういう風に言い表せばいいのか。もしも私がお喋り上手だったとしても、きっと、言葉にできなかったでしょう。

 私の反応を見て、くぅさんは肯定だと思ったみたいでした。そして、困ったように頭をかきます。


「あいつらは、今日はいねぇよ」

「……そう、です……か」

「ああ。だから今日はもう帰れ」


 これは私も、知り合った後で知ったことなのですが。くぅさんは、先輩たちと知り合いのようでした。どんな知り合いかは、わかりません。でも、くぅさんが「いない」という日には、絶対に先輩たちは見つかりません。そもそも、私が先輩たちを見つけたことも、ないんですが。

 もう、帰れ――その言葉がチリリと胸に刺さって、私は一生懸命、口を開きました。


「ど、して……」

「ん? なんだ、靄」

「ど、して……くぅ、しゃ……知って、るの……?」


 自分でも嫌になるくらい、舌っ足らずの細い声。

 本当はちゃんと、「クロウさん」と呼びたい。だけど、変に引っかかっちゃうから、「くぅさん」でいいと言われた呼び名。それさえも、きちんと呼べない私。

 だけど、今日こそは、聞かなくちゃと思った。

 先輩たちも、くぅさんも、口を揃えて私に「帰れ」と言う。

 それは一体、どうしてなのか――その答えの一端が、先輩たちとくぅさんの、関係性にあると思ったのです。

 私の言葉を聞いたくぅさんは、む、と眉を寄せました。ちょっぴりだけ、怖くも見える顔。だけど私は、それを怖いと思いませんでした。だって、そんな顔をするくらい、私の問いに真剣になってくれているということだと思ったから。


「ま、あいつらとは……ちょっとな」

「ちょ、と……」

「大した縁じゃねぇよ、助けたことがあるだけだ」

「た、すけ……?」

「ああ……嬢ちゃんが補導されそうになってた時みたいにな?」


 それを言われると、私はちょっと弱いのでした。くぅさんは服装こそ派手でも、ちゃんと警察の人だし、こうして巡回をしているので、先輩たちが助けられたことも、あるかもしれません。

 同時に、ああ、これは本当のことは教えてもらえないんだな、と気が付きます。私は、今、ごまかされている。

 だって、ちょっと助けたことがあるだけで、先輩たちが今日、この辺りにはいないって、わかるでしょうか。同じ学校に通って、同じ同好会に入っている私でさえ、今、先輩たちがどこにいるのかなんて、わからないのに。

 それでも私は、なんにも言えません。冗談めかした口調で私を茶化す前のくぅさんは、すごく真剣で、ちょっぴり困った顔をしていた。多分、私には言えないことがあって、それでも嘘はつきたくなくて……そんな表情。

 きっと、先輩たちを助けたことがあるというのは、本当なのでしょう。ただ、それだけの関係ではないだけで。


「…………」


 言葉はやっぱり出てこなくて――何を言うべきかも、そもそもわからなくって。私は、ただ、じっとくぅさんを見つめました。

 辺りは、すっかりと暗くなっていました。近くの喫煙所には、紙巻き煙草を吸う人の火種が、まるでホタルみたいにポツポツと灯っています。

 月が明るい夜でした。駅前は街灯に照らされて、繁華街の方は、ネオンじみた明かりで、薄ぼんやりとけぶっています。


「靄」

「ん……」

「もう帰れ、な?」


 ポン、と。大きくてあったかい手が、私の頭に乗せられます。

 途端に、ドキドキとうるさくなる心臓の音。

 ――私は、せんぱいのことが好きな、はずなのに。

 どうしてかこんなにも、ドキドキしちゃっている。


 少しの時間の後、私はゆっくりと、ほんの小さく、頷きました。

 いずれにせよ、門限はもう、近くなっています。そろそろ帰らないと間に合わなくて、間に合わなかったら、門限を破った悪い子の私は、お仕置きをされる。

 お仕置きは、嫌です。お仕置きをされても当然だと思っていたって、痛いのも、苦しいのも、嫌でした。


 頷いた私を見て、くぅさんはちょっとだけ、優しく笑いました。


「じゃあ、気を付けて帰るんだぞ」


 小さく手を振られて、私も振り返しました。


 こうして、私は家に帰って――深夜に家を飛び出して、あの不思議な夜に出会ったのです。

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