第3話〜始業式、私とせんぱいの出会いのこと〜

 今日から、私は清藤市立清藤高校の一年生になります。

 清藤高校というのは、市の名前を冠しているだけあって、市内でも有数の進学校です。県外の私立高校に行くのであれば、成績のいい学校は他にも色々あるけれど、いわゆる「伝統のある地域の名門校」という位置づけでした。


 朝、新品の制服に袖を通して、私は入学式に臨みました。

 普通なら、高校生初日というのは、ワクワク、ドキドキするものかもしれません――高校の勉強って難しいのかな、どんな部活に入ろうかな、クラスで友達ができるかな――って。


 でも、私には、大した感慨はありませんでした。


 元々、清藤高校には、入りたくて入ったわけじゃありません。お母さんとお父さんがOBで、絶対に入れと言われたので――清藤高校じゃなかったら、学費を出さないと言われたので、頑張っただけ。だから、入学式を終えても、私はまだ、合格してよかった、いい子でいられた、と思う気持ちが強くありました。

 でも、進学校なので、勉強はきっと、今までよりもずっとずっと、難しいでしょう。中学校の頃も、定期テストのたびに、いい成績を残すように言われて、ちゃんとできない悪い子の私はお仕置きをされて……高校生になったら、もっとお仕置きをされるのかな、と思うと、憂鬱でした。


 友達だって、できないに決まっています。そんな期待は、中学校に置いてきました。

 中学校の入学式では、私はまだ、今度こそは友達ができるといいな、と思っていた。だけど、結局一人も友達はできないままで、入学式には同じ中学から進学した、見知った顔もいるというのに、誰ともまともに話したことはないのです。


 入学式の日は、式が終わり、生徒会主導の部活動紹介を済ませたら、クラスでホームルームをして、放課後――実質的な、部活動勧誘と見学の時間です。新しいクラスメイトたちが、わあっと教室を出ていく最後尾を、私はのろのろと歩きました。

 清藤高校は「文武両道」を掲げる学校で、進学校ではあるけれど、部活動に力を入れている……そうです。大小さまざまな部活動や同好会があって、文化部といえば美術部と吹奏楽部、運動部だって水泳部すらなかった中学校と比べたら、選択肢はそれはもう、大きく広がります。

 きっと、みんな、ワクワクするんだろうな。


 廊下に出れば、色々な部活がビラを配っていて、まるでお祭りみたいでした。


「演劇部、屋上で公演しまーす!」

「ラグビーを一緒にやらないか!」

「部誌配ってます、一冊どうぞ」

「体育館で練習試合やってま〜す! 飛び入り歓迎!」


 ――あんまりにたくさんの声が飛び交っていて、私は少し、頭が痛くなりました。さっきまで一団になっていたクラスメイトは、もうあっちこっちに散らばって、ひときわ声が大きかった子たちが、バスケ部のところにいるのしか見えません。

 ワイワイガヤガヤとしている中を、私は一人、ぽつんと歩いていました。色んな人が色んなものを配っているのに、私に差し伸べられるものは、何もありません。

 タイミングが悪い、と言うんでしょうか……別に私自身は、そういうのを受け取りたくない、という態度でいるつもりではないのですが、大概の場合、どういうわけか、無視されてしまうのです。

 こればっかりは、そういう星の下に生まれたと思うより他にありません。どっちにしても、私は、部活に入るつもりはありませんでした。

 きっと、学校の勉強は難しくなって、下手をしたら、定期テストでいい点を取るどころか、授業についていくのも大変でしょう。部活に入ること自体に、両親が嫌な顔をすることはないにしても、負担が大きくなることは目に見えています。


 それに。私は、中学の最初に、美術部と吹奏楽部の見学に行ったことがあるけれど――あまりいい思い出では、ありません。

 元々、美術や音楽が得意ということもなく。美術部ではデッサンも大したことがなかったし、吹奏楽部では楽器を鳴らすことすらできなくて、笑われてしまいました。結局、中学は三年間、帰宅部で通しています。

 困ることもなかったし、特別やりたいことがあるわけでもないので、高校も帰宅部でいいかな、と思っているうちに、昇降口に着きました。内履きをローファーに履き替えて、外に出ます。

 途端に、横からパァーッ!とトランペットの音が聞こえました。

 校舎から校門までの間も、当然のように、部活動勧誘のざわめきがありました。屋外だからか、いっそう騒がしく――確かにまぁ、楽器は音楽室以外では、あまり鳴らせないよなぁ、と思います。

 トランペットにホルン、エレキギターまで、あっちこっちで音が鳴り響いて、ついでに運動部らしき掛け声も、校舎内とは比べ物にならないくらい大きくなっていました。


 頭が、ズキズキと痛い。

 音が、大きくて。人が、いっぱいいて。

 その中でひとりぼっちの私は、音にも、人にも、慣れていなくて。

 なるべく、人のいない方に、せめて校門まで、うつむいて歩きます。

 だけどどんどん頭痛は酷くなって、ぽっかりとひとけが途切れたところ、校門のすぐ横で、とうとううずくまってしまいました。


「大丈夫?」


 その、声を。

 私は、幻聴だと思った。

 だって、私がこうしていたとして、声を掛ける人なんて、いなかったから。


「ねぇ、あなた。大丈夫?」


 そっと、肩に手が触れる感触。

 ああ、本当に私、今、駄目なんだな……触覚まで、おかしくなってる……。


 そう思ったところで、私の目の前に、女の子の顔が現れました。顔を覗き込まれたのだ、と気付くのには、一瞬では済まない時間がかかって、動きが止まってしまいます。

 びっくりして、固まってしまった私に、そのひとは優しい声で囁きます。


「顔色、悪いね。一年生?」

「あ……あ……」


 声は、大して出ませんでした。クラスの自己紹介でも、私は、たっぷりと時間をかけて、消え入りそうな声で名前を言うのが精一杯でした。

 いつ順番が回ってくるかわかる自己紹介でもそうなんだから、突然話しかけられて、「そうです」と答えられるはずもありません。頷くことさえできなくて、私はただ、内心で焦りを募らせました。


 ともかく、返事をしないといけない。

 ちょっと頭痛がしただけだから、大丈夫ですって。

 休んでいれば治る程度のものなんだから、心配させてはいけない。


 焦れば焦るほど、私は「ひゅっ、ひゅっ」と息を詰まらせます。過呼吸とか、そういうのではないんですが、息の仕方も忘れたみたいになってしまうのです。

 女の子は、私のことを、じっと見ていました。名札の色が違うから、上級生だとわかります。二年生か三年生かまでは、覚えていないけれど。

 しばらくすると、そのひとは、私の肘を軽く握りました。


「せーので引っ張るから、立てそうなら立ってね」

「あ……」

「いくよ……せーの!」


 掛け声と一緒に、軽く引っ張られる。私の身体は、それに追いつくみたいに立ち上がりました。

 私が立とうとするのを見て、そのひとは少し、引っ張る力を強めます。自分一人の力で立つわけじゃないからか、なんだか、心臓とお腹の奥の方が、ふわっと浮き上がるみたい。

 二人の顔が近づいて、甘酸っぱいにおいが、柔らかく香りました。なんだか、どうしようもないくらい、胸がドキドキします。


 このきもち、何なんだろう……。

 人からこんな風に触られるのも、助けるみたいにされるのも、殆どないことだから、頭がフワフワ、混乱していました。


「よかった、立てたね」

「あ……は……」

「もしよければ、静かなところで休んでく?」

「え……」

「あ、ごめんね。怪しいよね」


 全然、怪しいなんてことはありません。そのひとは清藤高校の制服を着ていたし、何ならしゃがみ込んでいた上に、しどろもどろになっている私の方が怪しいでしょう。

 でも、そのひとは、私を責めたり、嫌な顔をしたり、しなかった。そうして、にっこり笑ったのです。


「私、二年の世羅川エノっていうの」

「あ……み、み……みず、はり……もや、です……」

「靄ちゃんかぁ、よろしくね」


 どうにか、名前だけは伝えると、世羅川先輩は、私の名前を呼んでくれました。

 名前を呼ばれて、よろしくって言われるなんて、どのくらいぶりだろう。

 なんだか、びっくりするくらいに、心臓がドキドキしています。


「私、超常現象研究会っていう同好会に入ってるんだけど、よかったら部室で休んでいって」

「ちょう、じょ……」

「変な名前だけど、変なことはしないよ。他にも二人、メンバーがいるしね」


 変なことをされる、なんて。私はちっとも思っていなくて、何度も首を縦に振りました。行きます、という意思表示として。

 確かに、何をしているのかいまいちわからない名前ですが、学校の部室でできる変なことなんて、たかが知れているでしょう。たまに聞くような、余程のいじめがある部活でもあるまいし。

 それに学校でやるようなことなんて、最終的には先生に言いつけてしまえば、どうにでもなるのです……私、は、悪い子だから、話は別かもしれないけど。

 ともかく、私は最初から、世羅川先輩を疑ってなんていないし、怪しいとも思っていません。すごく親切な人なんだな、という気持ちで、嬉しくて。


「連れてっても、いい?」


 ちょっぴりいたずらっぽく笑う、その顔。

 横に並ぶと、私より少し背が高い。

 逆光に薄く透ける茶色の髪が、天使の輪っかを背負っているみたいに神々しい。

 薄茶色の瞳が私を、今は私だけを、見つめている。

 私の肘を掴んでいた手が、いつの間にか、手を握っている。


 ドキドキして、眩しいのを。

 私は、まるで恋なるものをしているみたいだ――と、思いました。


 頷けば。

 せんぱいは、私の手を引いて、歩き出します。

 喧騒から少し離れて、でも、向かっていく先も騒々しい。

 だけどもう、頭痛はしませんでした。


 校舎と比べたら、小ぢんまりとした建物――このすぐ後に、「部室棟」と呼ばれているのだと教えてもらった場所に、私たちは向かっていきました。

 いつになく、私の足取りは軽くなっています。

 こんなに優しくしてもらうのも、笑いかけてもらうのも……私の、もうすぐ16年になる人生の中、記憶のある限りでは、初めてでした。


 春のうららかな日差しの中、私は学校の先輩と一緒に、手を繋いで歩いています。

 入学式も新しいクラスも、全然、いいことなんてなかった。

 これから先のことなんて、不安と諦めしかなかった。

 だけど、この時、今ばかりは、私は確かに、ドキドキして、ワクワクして、なんだか素敵なことが起きるような気持ちになっていました。


 一歩先を歩いていたせんぱいが、私を振り返ります。


「あのね、靄ちゃん」

「っあ……は、い」

「もしよかったら、超常現象研究会、見学していって」

「あ……」

「うち、二年しかいなくてね。興味があればでいいんだけど、靄ちゃんが入ってくれたら、私、嬉しいな」


 キラキラした光の中、せんぱいが柔らかく笑います。

 それを見た私は、きゅうっと胸を高鳴らせて、一生懸命に頷きました。

 何度も、何度も。




 これが、私、水張靄と、世羅川エノせんぱいの、出会いでした。

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