第五話 Spitzname−呼び名−

 夕食を食べた後、そのまま茶の間で考え事をしていた。これから、俺の生活はどうなるのだろうか?祖父母は気楽に考えているように思えるが、俺にとっては彼女が家に居るという事は不安の種でしかない。


「和政~、台拭いて頂戴ねえ~。」


食器を洗っている祖母に軽く頷くと、俺は台拭きを手に取り、ちゃぶ台をくまなく綺麗にした。それからしばらくして、台拭きを洗おうと台所に向かうと、水切りに食器を並べ終わった祖母がこちらに歩いてきた。


「ばあちゃん、ちょっと相談したい事があるんだけどさ。」


「あら。なあに?」


「どうするの?あの人。」


「どうするってねえ、ただこの家に暮らす人が一人増えるだけよ。食事は一食増やす。布団も一つ用意する。それだけじゃないの。」


祖母は全くと言っても良いほど、彼女の存在を気に病んではいない。やはり、四人体制へと心を切り替えていかなければならないのだろう。


 自分の部屋へと戻る途中、どうも廊下の奥にある部屋が気にかかる。そこは、約一年間使われていなかったが、彼女が来たのとによって彼女の自室兼寝室となった部屋だ。


「なんか嫌だな。」


そう呟き、廊下から自分の部屋の扉へと視線を移し、そのまま扉の中へと入った。


「勉強の続き、しないとな。」


そう言って勉強机に筆箱を置いた時、スーッと扉が開いた。


「お邪魔しても良いですか?」


「えっ?.......うん、別に良いけど。」


彼女は部屋に入ると、中を見渡した。俺は座ろうと思っていた椅子を彼女の方に向け、床に座った。彼女は小さくお辞儀をした後にその椅子に座ると、こう言った。


「不機嫌そうな顔してますけど、何かありましたか?」


「お前があの部屋で暮らすって事になったからだよ.......」


つい『お前』と口に出してしまった。決して、故意に彼女に強い態度を取ろうとしていた訳ではない。


「和政さんのお母さんの部屋、でしたよね。」


「そうだよ。別にさ、入られる事が嫌なんじゃない。部屋の中を下手に弄られるのが嫌なんだよ。」


そう、彼女が生活する事となった部屋は一年前まで母が暮らしていた部屋なのだ。


『あの頃のままの姿で残しておきたい。』


そんな思いから、前は人を中に入れることすら嫌だった。しかし、今となってはそれは全く許容できる事である。

更に、彼女に名前で呼ばれると、それ以上も許せるような気持ちになってくるのだ。


「そうですか。なら、極力弄らないでおきますね。」


「いや、最後に元に戻すなら、好きに使っていい。」


俺はこの気持ちの変化によって母が離れていっているようには感じていない。むしろ、母の死を改めて受け入れる事なのではないかと考えている。


 そんなことを考える内に黙り混んでいてしまったようだ。その沈黙を破り、彼女が口を開く。


「分かりました。ありがとうございます。ところで、互いに自己紹介でもしませんか?」


その言葉によって、ノスタルジーに浸っていた所を一気に現実へと引き戻された。


「自己紹介はもうしただろ?」


「いいえ。まだ不十分です。それに一ヶ月も一緒に暮らすんですし、互いを知ることは大切だと思いますよ?」


「まあ、そうだな。」


俺はしぶしぶ納得した。


「和政さんのフルネームって、山本和政ですよね?」


「そうだけど。」


「素敵な名前ですね。」


「そうか?というか、名字は何処で知ったんだ?」


「表札に書いてあったじゃないですか。」


彼女は微笑んだ。俺はその顔を見つめる。それなりに可愛いな........

見とれていた訳では無いが、視線が硬直していたが故か、彼女にこう聞かれてしまった。


「どうしました?もしかして、『ドイツ人なのに金髪碧眼じゃないのか』とか思ってたんですか?」


「いや、そんな風に思ってない。逆にどうしてそんな事を聞くんだ?」


すると彼女は少し顔を赤らめながらこう言った。


「実は私、日本のアニメが凄く好きなんです。それでですね、日本のアニメってドイツがモチーフのキャラクターって多いじゃないですか?」


「確かにそうだな。」


「そういうキャラって結構金髪とか碧眼が多いので、日本だとそのイメージが強いのかなって思いまして.......」


言われてみればそうかもしれないが、俺にはあまりその様なイメージは無い。

改めて、彼女を眺めてみる。髪色は黒に近く、瞳は灰色。俺より一回り小柄で、身長は恐らく10センチか15センチ程低く、微かに幼さが感じられる。恐らく、年下なのだろうか?


「そういえば、君って何て言う名前なんだ?」


「私ですか。うーん.....」


何故か首を傾げ、悩んでいるようだ。


「下の名前だけで良いですか?革命家として、身元が発覚するとかなり不味いので。」


「分かった。」


「私の名前は、フランツィスカと言います。呼び名はそのままでも、愛称でも、今まで通りでも何でも良いですよ。」


「フランツィスカか。素敵な名前だな。」


「そうですかね?」


彼女は少し、照れている様子だ。


「君が俺を『和政』って呼んでくれるんだからさ、俺も君を『フランツィスカ』ってそのまま呼ぶようにするよ。」


「そうですね。もう少し、お互いについて話しましょうよ。」

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