三体目「鉄からなるもの」
何某、の王と言う時、それはドラゴン族の名を呼んで言う事が多い。
正しくは、その全身の骨格。
更に血肉、そして皮毛は、戦場にある物を纏い、生きた姿を顕現するという。
そうやって戦場に現れると言われる十七の高名な竜骨のうち、今しも討伐されていないのはたったの五柱で、その中でも存在するかも明らかでない名が「鉄の王」だ。よく知られた物では、ハスパー大帝国に討伐された「鬨の王」は、戦の勝利に現れ、勝者の雄叫びをいつまでも響かせて、長い長い繁栄を約束した。他にも「砦の王」や「煙の王」が討伐されている。
「ネオン領は今、剣山地域に沿って、シシン領、スノハラ領と同盟を組んでいる」
領主ポーラポーは静かに語った。
「高地は自然の要害だ。三国は大きな戦火に紛れる事なく、各々の文化を交えながら生き永らえて来た。しかし此度の衝突は高く付くだろう。パラグラフ王家の家宝が何なのか、まだ分かっておらず、パラグラフ領主もそれを明かそうとしない。それは戦の種として蒔かれた言葉でしかないのかもしれない。何として、パラグラフ軍は近く正式に宣戦布告をするだろう」
ガ字も高地の集落ではあるけど、隣国までは深い森に阻まれている。
いくつかの監視所があって、小児らはその見える範囲しか入っていかない。
そこでは、野盗や敵兵よりも、恐獣の方が恐ろしい。勇敢な小人達は、弓と槍で獣を狩る事はできる。それを運ぶ事ができない。放置された骸は、大地を汚し、災いを齎すと言われている。放置すると字の人々に怒られ、夜通しでも運び、解体し、カーシュにお供えをする。
一番に勇敢だったラパンは、ツノモグリを三体も狩って、そのままにしていった。
ラパンが崖から落ち、足を折った時も、同じその頃だった。
「パラグラフはニワの港湾国と接し、良好な関係にある。ネオンとパラグラフの争いは、ニワが内陸に侵攻する理由を与えるだろう。そうなれば、パラグラフ以上の大国を相手に戦わねばならない。こちらも剣山地域の防塞を崩すわけにはいかない。シシン、スノハラが離反しないように固く手を組む方が先決だ。ニワも剣山三国と直接争おうとはしないだろうからな」
文官も、ルルガルも黙って聞いていたから、僕も黙っていた。
僕は地図なんて読めないけど、言葉だけではあまりにも想像が及ばない。
「そんなに怯える事はない。全て仮の話だ。何か、聞きたい事があるな」
何も無い。
ただ分かるのは、高貴な身分ではなく、領主の肉体が持つ獣性によって、僕は戦争を仕掛けられるような恐怖を感じていた事だ。母様は手を揃え、背を正して、分からない話を熱心に聞き入っていた。母様は身分の差を触れるように感じられる。僕は、それがよく分からない。
領主ポーラポーが王城で暮らしても、森で暮らしても、二つは一つ。
同じ恐るべき力を感じて、その面前でだけ僕は冷たい息を吐くだろう。
「その戦いは、避けられないんですか」と、誰も聞かないから僕は誰かに聞いた。
左の脇腹を突かれて「避ける理由があるか」とルルガルに言い返された。
領主ポーラポーは、寂しげに目を細くしただけだった。
「シシンってのは、山の向こう側の領地の事だいね」と母様が言った。
「分からないけど、そういう話らしいです」
「どの山の向こうにも、多くの国があるという話だ」
「それで、我が領主。鉄の王の話をするんじゃないのか」
「そうだな。剣の瀬渓谷であった衝突の事は聞いただろうが、そこで鉄の王が現れた」
その話をしていたように、するりと名前が出されると、同じ物の事と信じられない。
「見たん、ですか」驚いて、すぐに聞き返していた。
領主ポーラポーは深く頷いた。「見た、という者が居た。知った話だろうが、竜骨は幾周紀も現れたという話を聞かない。大帝国に討伐された鬨の王、海の先の国で討伐された枷の王の話が耳に最も温かな噂だ。他国に勝つ為、今も国々が足をすり減らして探し回っている」
「それって、これから、見つけて」
考える間に、左から声が継ぎ足される。「討伐するのか、という事だな」
「ネオン軍は討伐隊の編成を進めている。字の士族にも志願を募るだろう」と領主が言い、四者の顔を注意深く巡り見た。背後の戸を叩く者が居て、文官が立っていった。入って来たのは女給で、小脇に抱えていた籠の中身を文官に見せると、女給はそれを卓上に並べていった。
水差しに煎り豆茶、カースと、切り分けたサグストを盛った大皿。
もう一つ、泡が弾けるような音を立て続けている鉄板を乗せた丸盆。
骨付き肉の脇に置かれた、先の丸い銀色の小刀が、脂に濡れて光っていた。
黒い髪を二つに編んだ女給は、食器を並べ終えると一歩下がって言った「領主様のお昼間に合わせて持って行くようにと。客人方も口にして良いと給仕長に言付かったのですが、出来れば領主様の判断を」領主の顔を覗き、僕や母様を見る時は、少し顔付きが険しくなった。
まるで農村の出を見破られたように、その態度には宮と蓆ほどの差があった。
雀斑の顔を向けられた領主ポーラポーは、丸盆を引き寄せ、ふむ、と横柄に頷いた。
「ガ字の二人、取って構わん。足りなければ、また持って来させよう」
「いえいえそんな。そのくらいの用意はありますんで」と母様が引き下がる。
「そうか。で、だ。剣の瀬渓谷では今、北防隊と北部監視所の部隊が警戒に当たっている。パラグラフも、お互い渓谷から距離を取って、様子を見ている状況だ。遠征隊が撤退した理由は分かるだろう」と、横を向いて、女給に手を振って言った。「下がれ。また夕間に頼むぞ」
「はい」静々と頭を下げ、女給が籠を持って応接間を出ていった。
「負けたからですか」と僕は言った。
「負けは負けだが、両軍ともにだ。『鉄の王』が全ての兵隊の装備を奪っていった」
「じゃあ、それはどこへ」
「それを探す為に、パラグラフ軍よりも先にだ、ネオン軍は討伐隊を編成するんだ」
「そうですか」と僕は言った。
「そうしたらシマパンは何で呼ばれたんかねえ」と母様が言った。
僕に聞くように、銀髪の少女や領主の耳にも声を届け、答えが来るのを願っていた。領主ポーラポーは僕の左の方を見て、ルルガルが文官の腕を叩いた。文官ネイザボゥは、後ろで括った髪を自ら掴んで、滑らかに磨かれた天井を仰ぎ見た。「ルル嬢から話すべきなのでは」
「スレンジーからでいいだろう」
「はい。シマパン・ガ=ヴィーア」文官が、ルルガル越しに、僕に顔を見せてきて、そのまま言った。「ルル嬢、ルルガル・ネイは討伐隊編成に先んじて、鉄の王捜索に向かおうとお考えです。そこで護衛兼、身の回りの世話役として、ルル嬢はシマパンを指名なされました」
「僕ですか」
「理由はいくつか。二兄の捜索を兼ねられる事。字の農家なら馬を扱える事。家督を継がない庶子である事、でしたかな」答える前に、母様が小さく小さく頷いた。「領主付きの石術師として、あくまでも『鉄の王』の調査が目的なので、戦闘に参加する事はありません。シマパンにとっては討伐隊に参加するよりも都合のいい状況だと思われますが、お受けしますか」
母様が肩に手を置いて「シマパン」と呼びかける。
僕は、どう返事をしたらいいか、考えが行き着かない。
「ルルガルに同行しない場合、討伐隊に参加するかしないかも考えておいて欲しい」
「しなくてもいいんですか」
「ラパンはネオン軍にとっても大事な兵隊だ。探すのも任務に含まれているだろう」
「シマパン」と母様が言う。「どっちでもいいかんね」
「出発は早いのでしょうか」
「今すぐを考えている。同行者が決まったらな」
「行きます」と僕は答え、その言葉が正しいかを舌で確かめる。「行けると思います」
「よし。決まった」ルルガルの立った勢いで椅子が倒れた。文官ネイザボゥが体を傾けて、その椅子を起こした。「シマパン・ガ=ヴィーア。今より死ぬまで我が骸となれ。出るぞ。スレンジーも」ルルガルは戸口に向かって、開けながら振り返った。「たちまち、用事がある」
進退なく、僕は母様と目を見合わせる。
「母御は我々が送り届ける。字から迎えの者を呼んでもいい」
「じゃあ、お願いします」立って廊下に出ると、ルルガルは服の下から小さな銅板を取り出して僕に投げ渡した。「商区二番通りのイールズ邸に行き、それを見せて兎馬を借りるんだ。カンライ・ネイ=イールズにルルガルの遣いと言えば分かる。荷物は?」と聞かれて、ようやく旅立つ実感が触れた。「ああ、これもだな」次にルルガルが取り出したのは、短剣だった。
「おや、それ」腰に手をやると、皮製の鞘が垂れているだけだ。
「落としただろう。兵隊に倒された時に」
短剣を受け取る間も、ルルガルはさっさと走り出し、途中で振り返った。「用意を終えたらイールズ邸に向かう。粗相の無いようにな」廊下を曲がって、姿が見えなくなると、応接間の戸が開いて文官ネイザボゥと母様が出てきた。母様は手にサグストを一切れ持って、それを口に運ぼうか、悩むような手の動きをした。文官ネイザボゥが戸を閉め、衛兵に何か告げた。
僕らはルルガルと反対の方向に曲がって、のろのろと階段を下りた。
「お使いを頼まれて、行くところですが。母様は」
「だったら都合がいい。シマパンの荷物を宿から持って来とくよ」
「助かります」
「それはそれで。ルルガル・ネイって、誰かに似てる気がするんだけどねえ」
「まさか母様の若い時ですか?」
「違う。あの銀色の髪、なんだったっけね、……王妃様も、確かあんな銀色の」
立ち止まった母様が横を見上げると、文官ネイザボゥの関心を持たない暗い目が母様を少し見た。「お見掛けした事があるのは良い事です。ルルガル嬢も、王妃に似ていると噂されるのをお喜びなさるでしょう。では」と、文官が母様を連れて行き、僕は商区二番通りを探しながら歩き出した。王城から、坂道を下って歩き、広場から正門へ伸びる道の、横に通る道が二番通りだと聞いた。道が広く、建物が大きくなり、人の多く行き交う区画で、真っ直ぐ歩こうとすると十歩、二十歩の内に一人、二人と当たりそうになって、それを避けると別の人に当たりそうになった。嫌な顔一つせず、風が通るように避けて、その人はどこかに行ってしまう。
二番通りと水門前の交わる角に、イールズ邸はあった。
邸の裏手、広い一画に小さな厩舎があって、その中で馬の世話をしている人が居た。
五頭の馬はどれも脚が太く、背が低い、力の強そうな兎馬だった。黒い体毛に埋もれた小さな目が、恨みを向けるように僕の居る道を見ていた。邸の表に回って戸を叩くと、すぐに番頭が顔を出した。「あの、これを」銅板を差し出すと、番頭は、ああ、と掠れた声を出した。
銅板は、薄い四角形で、そこに文字が刻まれているようだった。
「王城から。ほう」と言う番頭の目は、鋭く尖った敵意を感じさせた。
「カンライ・ネイ=イールズという方に、ルルガルの遣いと言えと」
「そう、ルルガル嬢か」大きな溜め息。番頭が言った。「中へお入りください」
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