十一体目「イザームの子へ」

 関門に詰めている番兵は、ナリタだけではなく僕も通さなかった。

「通行印が無いと通れんのね。前に来た時、連れ立ってた者が持ってたと思うけど」

「あ、それなら、後ろのカバンに入ってるかもしれないです」

「出せるの。だったらそこの小屋使っていいから」

 屋根の下にレンテを引き入れ、カバンを下ろした。ルルガルの荷物だから、開けて見るような行為には至らなかったけど、内容の物は分かっている。服を除け、丸めた紙の束を一つ一つ解いていると、番兵が近づいて来て、手元を覗きながら言った。「そっちのレプティラ。街に入るなら衣を着けてからにしてね」腰と背に吊った剣を鳴らして、番兵が去っていった。

 腕を広げ、自らの体を見て、ナリタが言う。「着ないといけないか」

 鱗に覆われた体、それは暗座の近くにも及び、男物の形も紛れている。

「ナリタは、男?」

「そうに決まっている」怒りを乗せた声が返って来る。「イザームの戦士だ」

「それなら鎧持って来てたけど、着けた方がいいんじゃないかな」

 ナリタは言い分のある顔で長らく止まっていたけど、何を言うにも至らず、体に掛けていた袋を下ろし、荷物を広げていった。頭に兜、肩、腰に垂れ、籠手、脛当て、胸の心部に丸い鉄の板を付けて、足には何も履かずに、二本の短い剣を背中に掛けた。残った物は袋に詰め、袋をレンテの首に掛けようとする。「体に付けるより多くの物は捨てていいんじゃないかな」

「これは一族から引き受けた物だ」

 背を伸ばし、大きく見せようとしても、ナリタの頭は僕の胸の位置に当たっている。

 縦よりは横の方が大きく見せられ、猛進する四足の固い獣みたいな圧力を放っている。

 腰の脇に垂れを付けていて、暗座の所だけは何も隠していない。

「それでもいいけど」

 全ての文字は読めないけど、ルルガルが出した通行印の形は思い出せる。似ている物を三つか四つ選んで持っていくと、番兵はその一つを見て「良し」と言った。「と言いたいけど、ルルガル・ネイが立ち会わないと認められないね。シマパンとナリ・タ。ルルガル・ネイがどこに行ったのか、分かってる……」進退も無し、僕は小包からルルガルの腕を取り出した。

 ようよう色が悪くなって、傷みが付き始めていた。

 顔を白くして逃げ出した番兵がそろそろ近づいて来て小包の中を覗いた。

「切られた……食われたか」

「野盗に襲われて、今や命は無いでしょう。腕だけでも主都に届けないといけません」

 腕だけでも届けろとは言われないけど、僕とナリタは、通れるなら腕の供でもいい。

「そんな事を言っても、野盗がやったという証拠がね」

「御身の一族も、賊に襲われ、皆が死んだ」とナリタが言った。

「丸太村を少し下りたところに死者を埋めました。レプティラが十人くらい。生きた形を保っていないけど、それくらい襲撃が激しかったんだと思います。野盗のような恰好をした、大きな棍棒を持った男で、骨の魔獣を連れていたから、死霊術を使っているのかもしれない」

 番兵は何も考えていない目で遠い森を見ていた。

「腕は、戻しておきなさい。その野盗は、どこに行ったの」

「パラグラフだと思います」

「巡回兵を出そう。二人は通っていい。まずは服と体を洗いなさい」

 レンテを引いて字の心部に向かうと、ナリタは後ろに付いて、馬に身を隠すようにして歩いていた。人が来れば、馬を置いて逆に回るまでした。小さなレプティラが、全体に装具をした姿で、逃げ回っている背中や尻尾が見えるのでは、逆に注意を取られてしまうけど。それも街道沿いの建物が見えて来れば、人目を厭わずナリタは走り出して、軒先に広げた商品や、積まれた箱や樽を見たり、触れようとして怒られたりした。追い付いて、呼ぶ。「ナリタ」

「このはぁ様が食べていいと言った」

「だったらいいけど。寝る所探さないと」

 ナリタを珍しそうに眺めていた女主が向き直って、言った。

「宿だったら、うちの二階を貸せるよ。馬は裏に繋いでおいたらいい」

「旅金を持ってないので。厩舎か、礼拝所にでも寝所を借りようと」

「外で寝たくない」ナリタが怒って大きくなった。「宿場を借りるんだ」

「出せるなら、ナリタだけで貸して貰ったらいい。僕は他の所に行くから」

「残されるのは嫌だ。はぁ様。部屋を借りるのはやめる」女主に頭まで下げ、ナリタはすぐに付いて来た。そのまま街道を外れて、礼拝所に向かった。その建物を見ただけで、ナリタは足が遅くなり、止まってしまった。「入らなくてもいいか」と僕に聞くようで、答えは決まってるようだ。「我がイザームは巡礼の道に居ない。だからレプティラはユヴァに祈らない」

「そうか。じゃあ外で待ってるのか。レンテを見てくれるか」

「やっ」という返事を聞きながら、レンテを木に繋ぎ、一人で礼拝所に向かった。

 人は少なく、箒を持った教師が、その間を歩き回って、汚れを出していた。僕を見つけ、教師は柔らかく笑み、手を胸の前にやった。首に提げた紐の、小さな聖輪を握っている。「シマパン・ヴィーアでしたね。ルルガル・ネイと共に訪れたばかりだ。今度はお一人ですか」

「色々な事があって。僕と、レプティラの小人が寝る場所を探しているのですが」

「この中で、というわけにはいきませんが、外に風除けの帆を張るくらいなら」

「それなら難無いです」

 祈って行こうかと聖輪を見ると、教師が「少し、いいですか」と控え目に言った。

 横に近づいてきて、周りを気遣いながら、囁く声で教師は言った。「近々パラグラフとの戦いから戻った兵隊に聞いた話です。負傷していて、恐怖を吐いていた様子でしたけど、両軍の兵隊が、竜が飛んでいったパラグラフに向かって歩いて行くのを見たとか。ヴィーアの小兄もそこに居るかもしれませんね」望みを持ち過ぎないように、囁く声を保ったままだった。

「竜が」

「鉄の王、と囁かれていますね。鎧や兜、剣を纏った竜だそうです」

「そうですか。今から……追うというのも」

「そうですね。今では、戻って来るのを待ってみた方がいいでしょう」

 聖輪に手を合わせ、外に出てみるとレンテの近くにナリタが居なかった。

 レンテを引き、中央通りに歩いていった。浅い谷を挟んだ両岸に、店なんかが並んだ道が通っていて、その間を繋ぐ橋が掛かっている。川原に下りると、首人達の住む小屋が集まっていて、川で魚を獲ったり、鉱石を掘ったりしているのが見えた。大きな焚き火があって、その隣に全身を鎧で固めたレプティラが座って、何かを焼いている。谷を下りて焚き火の近くまで行くと、焦げた臭いの煙に巻かれて鼻の奥が痛んだ。咳が出る。ナリタが僕を一つだけ見た。

「蔵鼠が出るから捕まえて欲しいと頼まれた」

 先を尖らせた棒に貫かれた獣は、毛が焼けたにしても鼠ではない大きさだった。

「蔵鼠を狙う山猫が居た」とナリタが言った。「山猫は食えないから無益だった」

 首人の一人が近づいてきて、ナリタに魚を渡した。

「川に暮らしてる。マーマ」と言い、すぐに引き返していった。名前、だろう。長い首と手足と、巻きつけるような衣服に、腕輪、足輪を付けて、素足で石の上を歩いている。細い顔はレプティラのようで、並べるとナリタとは全く違う。ナリタは、人より竜に近い顔つきだ。

 ナリタは魚の腸を取り、枝を刺して火に当たるように立てた。

「マーマが油煮を分けてくれる。食べるか」

「じゃあ、少し」

 皮に焦げ色が付いた魚を火から上げ、跳ねて立ったナリタが川沿いの家に走って行った。両手に椀を持って出てきたナリタが、また焚き火の隣に座って、一つの椀を僕の前に置いた。根菜や果実、貝や魚を細かく切って、油で煮ただけの煮物は、香ばしい海のような匂いだ。啜ってみると、濃い味が舌を包んで、燃えるような熱さに驚き、すぐに吐き出しそうになる。

 熱が取れるのを待って、魚を齧りながら、油煮も食べ終えてしまった。

 椀を川で洗って、マーマに返しに行くところに、レンテに水を飲ませて、先に傾斜を上がって礼拝所に戻る事にした。その道なり、黒い一体服に白い前掛けを付けた、小さな姿が見えたので、近づいてみるとバーバットだった。「お戻りですか、シマパン、とルルガル嬢は」

「賊に襲われて別れてしまって。急ぎで主都に戻るところなんだけど」

「それは災難」両手を合わせ、硬貨のような目をくるくるさせる。「宿は?」

「宿賃が出せないから礼拝所で寝させてもらう事になったんだ」

「そうですか。また、お連れの人が居る時にでも、寄っていってくださいね」

 厩舎だけでも貸して貰えればとは思ってないけど、そう言って、バーバットが足早に去ってしまうのが少し悲しかった。礼拝所に戻って藁筵と帆布を借り、塀の近くの木の下に、レンテを繋いでおいてから、簡易な寝床を作って荷物を置いた。石を並べ、焚き火を起こした。空も暗くなって来たから、もう寝てしまってもいいけど、やっぱり荷物が気になってきた。

 ルルガルのカバンは二つあって、籠の方は山で落としてしまったようだった。

 残っているのは、板を張り合わせ、革を張った荷箱の方で、開けてみると質のいい衣が溢れ出した。丸めたような皺が、川のように流れ、その端は鰭のように地面に広がった。ローブだけでも黒いのが三枚、革の足履き、毛皮の襟巻き、カンカン帽は、管状の植物を編んだ帽子だけど、二つ折りに折り曲がっている。綿で作った肌着は、体に纏う物と、腰に付けるような物と、あとはよく分からない紐があった。傷に当てたり、短剣を帯びるのに使うのだろう。

 手布は四辺に揃えて畳まれた物が十や二十と積んであった。それくらいだ。

 鉱石みたいな物は何もない。封切り刃。空の小瓶。筆と墨瓶は手布に包まれていた。

 薄い外套を取り出し、それを体に掛ける事にした。不思議な甘い匂いがする。横になったところで、それが墓所で焚かれる短香と同じだと感じた。出発前に、父祖に祈っていたのかもしれない。そんな人だったか、そんな人でもいい。僕を守って腕の他を食われるくらい、善の人だったはずだ。外套に包まると、馬上でルルガルをほとんど背に負うて過ごした事が思い返される。思えば、ずっとルルガルからは、死んでいるみたいに短香のような匂いがしていた。

 眠りの闇が遠く、傍らで揺れる火の赤さばかりが目に入ってくる。

「シマパン、寝ているか?」声が聞こえると、閉じていた目が開いて、燻っている火の向こうに動く影が見えた。滑るように短剣を掴み、体を起こした。二つの長い牙のような物が、火に向かって光っていた。「水はあるのか?」この脅すような声は、ナリタだ。近づいてくるナリタは、全身に鎧を付けた姿で、手に剣を持っていた。それらは乾いた血で汚れている。

「ナリタ、どこで何を」

「野盗だ。三人、番兵に任され、一人を斬った。喜ばれた」

「ああ、そう」何か、謝礼とか、宿の部屋を取ってくれたりとか、したらいいのに。

 礼拝所の井戸の場所を教えると、ナリタは水を汲みに行き、置いてあった水瓶をそのまま持って来て剣を洗い始めた。赤く汚れた水を塀の近くで捨て、また汲みに行って、水音で誰かが来るんじゃないかと思った。塗れた鎧や剣を火の周りに並べて、ナリタは薪を継ぎ足した。

「主都には入れないのか」

「何の話。知らないけど、入れないのか」

「ニワの国の王子が来てると番兵が話した」

「でも、こっちも急ぎの用だし、入れると思うけど」

「それはいい」と、横に倒れ、すぐに寝息を整えてしまった。

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